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私は以前から海軍関係者の高官程、戦場に出たがらぬ傾向にある一定の 統一感(スタンス)のようなものを感じていたが、 その認識を少し裏づけることとなりそうである。 海軍も軍艦で戦う海戦や陸戦隊が戦った島嶼戦では高官も少なからず戦死 しているが一番大きな戦いであった「航空戦」では昭和18年以降は佐官クラス の飛行隊長も殆どは自らは飛ばずに急造将校や下士官兵の航空関係者を酷使した。 (軍艦でも駆逐艦、海防艦、潜水艦は戦艦に較べると酷使されたと感じる。) 日本海軍の高官や参謀は乗るチャンスは幾らでもあるのに飛行機に乗って 「航空戦」には出向かなかったようである。 1年半も続いたソロモン航空戦でも海軍参謀等の誰もがガダルカナル島の敵飛行場の 偵察行や爆撃行に同乗せず「戦いの現場」をその目で確認しようとはなかった。 眼光鋭い源田参謀も人格円満な奥宮参謀も何故か自分の目で一度も実際の戦場を 自らの目で実際に見ようとはせず「敵の電探や対空射撃は凄い!」とか 「零戦はまだまだ強い!」等と根拠のない事を言っていたのである。 私の知るところ高官で最前線に部下を率先し飛んだのは特攻の親とも謂われる 大西中将、有馬少将、終戦直後に私兵特攻?した宇垣中将(例外か?)くらいである。 私物命令等で戦後は悪評高い陸軍の名(迷)コンビ服部卓四郎大佐、辻政信中佐らにしても 中央で威張り散らすだけでなくいざ戦いになると最前線にも出向きノモンハンでは互いに負傷し、 長居はしなかったものの激戦地ガダルカナル島の第一線まで駆逐艦に乗せてもらい 現地の状況を視察し現地軍と意見調整もしたり第二回総攻撃に参加するなど 「今後の戦い」に活かすべく、肌感覚での戦場の空気の吸収努力は続けてはいた点などを 比較しても海軍の高官参謀らは怠慢であったとも思われてくるのである。 九大で歴史と言えばマル歴と思う程に短絡思考の私はこの本の背表紙を見ても当初は 興味を示さなかったのであるがこの春ふと図書館でこの本を開いた途端、 車を割高な有料駐車場に駐車していたのを忘れ2時間ほど読みふけり、 遂には2度も叉来館して借りる事となった。 本の内容は今でもまかり通る「海軍善玉論」への批判や後半の特攻隊員の 階級や将校の現役率(現役将校と予備将校の比率)や陸海軍で異なる昇級差等に について詳しい調査、考察がなされており感銘をうけつつ、二十歳以下の若者が主力と なった特攻隊員の苦悩や矜持を思いつつ、久し振りに落涙した。 この著書では陸海軍の飛行将校の階級や出身別の考察あぶり出しが見事であった。 先ず陸海軍の特攻隊員(空中特攻のみ)の人員であるが 海軍全体で2616名 陸軍全体で 1327名である。 内少尉以上の将校が 海軍 845名(海軍全体の32%) 陸軍 597名(陸軍全体の45%) この中から将校の現役率を著者は割りだしている。 海軍将校の場合 戦死者 現役者 予備役 現役比率 少佐 1名 1名 0 100% 大尉 49名 45名 4名 92% 中尉313名 96名 217名 31% 少尉482名 6名 476名 1.2% 合計845名148名 697名 17.5% (※少尉の欄には少尉候補生29名を含む) 陸軍の将校場合 戦死者 現役者 予備役 現役比率 少佐 4名 3名 1名 75% 大尉 27名 26名 1名 96% 中尉 57名 57名 0 100% 少尉 504名 91名 413名 91% 合計 597名177名 415名 30% (少尉の欄に見習い士官を5名含む) 陸海軍の違いを較べてみると少佐、大尉ではほぼ同じ規模、同じ現役、予備比率だが 中尉となると陸軍の現役100%特攻にくらべ海軍は現役率31%と急降下する。 少尉となると陸軍も急速養成した予備少尉が増えプロ軍人たる現役少尉は18%と 低くなるが、驚くべきことに海軍では構成比率で482名と一番多い少尉での特攻戦死者は 現役将校僅かに6名で1%弱、予備少尉の戦死比率は99%であった。 つまり特攻隊の中に占める人員構成の一番層が厚かった海軍少尉の実に99%は何を 隠そう1.2年前まで大学生をやっていて学徒動員されたり志願した期間限定 (戦争が終わると民間会社か大学に復学予定)の急速に育成された、指揮権も部下 もいない予備士官の専任のパイロットであった。 著者山口氏も 「大戦末期海軍当局が海軍兵学校出身者の現役少尉を最後まで特攻出撃から はずした理由は何であったか、知る手だては今のところない。」 と強い疑念を呈しおり、224pの海軍善玉論批判でのむすびでは 「いいかえれば海軍特攻の主力の一翼をになった海軍少尉の殆んど100%は学生出身の 予備役であった。 それが海軍当局のいかなる”配慮”によるものかは不明であるが、特攻隊史上の重要な 一事実として長く記憶されるべきであろう」 と結んでいる。 私もこの部分については全くの同感であり、その後福岡市総合図書館にも出向き戦史叢書の 陸海軍別の沖縄戦や特攻作戦の各巻を斜め読みしたが、現役、予備役比率や年齢は見事に スルーされていた。 私は何故海軍が現役少尉多数を温存したかについては熟考の末に的外れかもしれないが ある理由を見つけ出す事ができたが、確証は無いのでここではまだ述べない事にする。 また特攻隊員の年齢は19歳から24歳に多く分布するが海軍は何と19歳で特攻戦死された方が 一番多く、陸軍では18歳以下の特攻戦死者は殆んどいないのに海軍では18歳以下が178名 (海軍航空特攻者全体の8%)も含まれており中には16歳の少年兵までいたのである。 やはり海軍善玉論は多くの良い思い出を経験した旧関係者らの虚構神話でなりたっていた。 私が3年前に海上自衛隊鹿屋基地の資料館で読んだ特攻隊員の見事な遺書の多くは 「文系大学生」から特攻隊隊員に転身した予備小中尉のものが大半ではなかったのかとも 思えてきたのである。 体当たり特攻では爆弾を積んだ飛行機が敵艦に体当たりしても衝突速度は 自然落下する通常の爆弾より遅く、命中爆発しても特攻機が蓋(ふた)を被せたように 上向きや横方面への爆発を吸収するので破壊力も急降下爆撃等の投下爆弾に比較して 遥かに威力は弱かったものと考えられる。 そのような爆発威力の劣る攻撃方法なら予備(学生)士官に任せればよいとでも 考えたのだろうか。 本来なら急降下や急機動に不慣れな予備士官でもある程度の間合いをおいて 敵艦を攻撃できつつ帰投生還も有りとし、その後の再出撃も可能とすべき方法 (戦力の温存再使用も視野に含む)となるロケット弾による攻撃方法等を模索研究 すべきではなかったろうか。 体当たりでは爆発威力が劣るからとどんどん大きな重い爆弾を搭載させ機体の 飛行性能を悪化させそれを訓練時間も少ない予備(学生)士官達に操縦を任せた がそれが最善の策であったのか。 特攻による成果が少ないのは特攻隊員らの「技量未熟」と片付けたが本来なら戦争の 助っ人である予備(学生)士官達を特攻の主力人員として用いたり、充分な育成 訓練をさせないままに若い学徒兵(士官)を出撃させたのは誰なのか。 戦後も生き残った高官や海軍参謀らには特攻攻撃を美化する以前に 真実や真相を語る義務もあるのではないだろうか。 このような海軍発想は戦争と現在の企業を混同視はできないが今も問題となる一流企業でも 「名ばかり管理職」の残業未払い問題やパート・派遣社員に正社員以上の 挺身、滅私奉公を要求する多くの企業にも伏流となり継承されているようにも考えられる。 先の源田実氏や奥宮正武氏は戦後も後輩らの海軍航空関係者らによる 「海軍批判」を禁じさせていたようである。 源田氏の死後も海軍関係者からの海軍批判はエースパイロット坂井三郎氏の 晩年の著作や航空ではないが生出寿氏の一連の著作くらいと寂しいものがある。 叉この著書で知ったのだが朝鮮人、台湾人には海軍は兵学校や予科練の志願を 頑なに閉ざしていた事も教えている。 当時、内鮮一体の標語もあり事実、鹿児島県知覧の陸軍基地から特攻出撃された 朝鮮人パイロットの話も史実として出てくるが海軍はこの時期どのような考え で朝鮮人、台湾人を隔てたのかも大いに気になるところである。 まだまだ海軍戦史には欺瞞や装飾や謎が多いように思えてくるのである。
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私は昔海軍ファンのつもりでしたから海軍批判は控えたい
気持ちもあるのですが許せない気持ちも強く湧いてきます。
日曜にNHKで反省会は見ました。
陸軍はソ連と本気で戦う為に予算を要求しました。
海軍は米国と本気で戦う気はありませんでしたが
予算獲得の為に米国を敵とみなしついには憎む
までになりました。
大正時代は海軍の予算が陸軍を上まわりました。
日中戦争がはじまると陸軍に予算で水をあけられました。
これに対ソ戦が加わると海軍は更に予算は削られました。
海軍は権力予算の更なる低下を恐れ米軍と本気で戦う準備
をしますがどうサイコロ転がしても図上で勝てないので
真珠湾の寝込みを襲いましたが米国を本気で怒らせ
日本を大きく誤らせたと思います。
2009/8/11(火) 午後 7:17
昭和16年米の禁油政策で開戦決意を考えたとの通説がまかり
通りますが蘭印との交渉で石油供給の見込みは立ってましたし
樺太からも少量石油は取れました。
人口石油も日本海軍は独を真似て開発したと嘯いていました。
高い恩給の元公務員が集い戦後の反省会の目的が「外部公表はナシ」が基本路線ですから「海軍の美しい神話」がばれない様な
小細工の確認だったのかもしれません。
戦艦大和は議会承認無しで建造ですが20年前の長門は国会で
承認され建造されました。
この間に日本は元老や首相、天皇のいう事を聞かない役人天国
になり国をオカシクせせたのでしょうか。
2009/8/11(火) 午後 7:27
認識の高まりを見て、ブログの発展に期待が高まります。個人の闘は、強い枠が嵌められると、平和ボケに、ミサイル礼賛や核開発礼賛を叫ばせてしまいます。
現地を切り離した中央詰めの佐官以上将軍は、責任逃れの意識が神聖にして絶対、これを平和ボケで見逃せば、ひょうきんナンバーワン田母神が続出します。米中の握手が強くなるにしたがって、その心配は薄れますけれども、軍国の問題はコクみんがカタを着けて阻止、平和憲法を護る気力を世界に見せて、国際信頼が取り戻せると考えます。ヒステリーのホトんどは平和ボケ。九大の研究は、総括にはほど遠いので、九大に向けたnaomoe3さんが覗かせた‘先入観’は、杞憂でありません。
部分開示と、全体開示の拒否、そして証拠隠滅、は権力保持の秘策です。現地の下級司令官らを責任者に用意立てる、現地狩の手法は、エリートの常套です。ニッポン伝統の責任逃れ策は、挑戦すら赦さず、非情の門が閉ざされます。ウソやム能や失敗を、守りきるほどに権力が高まり、ただのエリート軍令部が統帥権のすべてを一手に握った図式は、中央集権の常套伝統として、今も死守されます。→
2009/8/12(水) 午前 0:44 [ georgeyuma ]
→ それゆえに、‘国家の戦争’は、個人の闘から見上げて、想像すると、厳しい錯覚に襲われまあす。
国家の戦争と個人の闘いが、ゴチャマぜになれば、軍令部の嘘書きで始め嘘書きで終わらせる‘エリート談合ナカマ’を、見逃します。多読で見破る公の図式は世界共通、古今東西の要諦として、承知される公論ですが、文士さんの嘘書き八百長やアジが真実を塞ぎ、公文記録が隠され公文記録が破棄される限り、八百長を相手に議論するヒトは現れません。
ドキュメンタリー風に研究開発の優劣を論じる、その言葉の端々から、事実のように現実を想像すると、これも虚言に巻きこまれます。真実や真剣さが一部にとどまり、権力を命令で奮ったヒトは上に行けば往くほど、ウソの軸を太く固め、権力を恣にしたその姿は、外見が公費の気取り策で徹底的に演出され、軍閥や経済閥の人格が、高潔者のように嘘書きされます。
これからは、部分の開示をもて、全体の事実を隠す、その文士さんが得意とする売上増を狙った売り物の文筆力と、闘うことになります。→
2009/8/12(水) 午前 0:45 [ georgeyuma ]
→不都合の著述は、売上増から裏切られ、退けられます。売文の世界に生き残れません。まだまだ嘘書きで始め嘘書きで終わらせる、ニッポン言論の限界が、つづきます。ご健闘を祈ります。お気に召すまま、コメントは、まったく自由です……丈司ユマ……丈司ユマ
2009/8/12(水) 午前 0:46 [ georgeyuma ]
二階級特進前の階級だと思いますが海軍少尉特攻隊員の予備少尉の比率は異常ですね。あまり高すぎるので怪しい気もしてきますが、他のソースで同じようなデーターがあれば信憑性も高まるのですが。特攻隊の指揮官が全部予備少尉だったとなるともっと批判証言があってもよさそうと現在の私は考えてしまいますが当時は予備少尉が指揮官でも全く問題が無い当然のことだったのでしょう。
2009/8/16(日) 午後 11:48 [ たけし ]
ブログも盆休みさせていただきました。
自分の勇もなく欠点を隠しつつも他人から尊敬されたいと思い
しかも後世までそう思われたいのが日本エリート人情でしょう。
日本軍では点数はよくても鈍感なな参謀が下手な作戦を立てても
現場の将校・下士官・兵士の粘りでなんとか挽回したりイーブンに
持ち込む事はできましたが、「現場の人間がどうにかする」との
現場だより発想の延長で遂には世界中を敵にし敗戦となったわけですが「現場だより」は今も変らぬ日本的象牙の塔現象かもしれません。
2009/8/17(月) 午後 9:06
二度と同じ過ちを犯さないためになどといいつつ、、、反省会の
内容が後継組織のはずの自衛隊や戦後政府にも伝わっていない
らしいとなるとなんの為の反省会なのでしょうか?
終戦間際陸軍に殺されぬよう海軍が学徒兵を確保した。
和平のために海軍が動きだし「終戦」に持ち込んだ。
特攻隊は現場からの志願で行なわれた。
等と都合のいい話題には饒舌ですが都合が悪いと
「海軍は政治に無関心」としてサイレントネービーに徹しました。
自分らを棚に上げ海軍を断罪した事でNHK内部での反省会は
済んだつもりでしょうか。
2009/8/17(月) 午後 9:12
takeshihayate さん
この本は2005年に発行された比較的新しい
実証的な本と思えました。
予備少尉は先任というより専任で部下もおらず部隊内での
指揮権は基本的にはないようでした。
部隊を指揮できるのは正規将校のみとされていたようです。
米軍には学生から撃墜王なった者の多いのですが。。
2009/8/18(火) 午後 9:34
内緒でのコメントありがとうございます。
深い内容で参考になりました。
そうですか其々の部署でかなり違いがあるのですね。
2009/8/21(金) 午前 8:32
↑
どうもコメントありがとうございます。
私本当に驚いています。
おべっかでなく本当に良い著作だと感じました。
その際は宜しくお願いいたします。
2010/8/17(火) 午前 6:53
いえいえこちらこそ
今後も宜しくお願いいたします。
イザの方も少し拝見させていただきましたが
かなり面白く読ませていただきました。
真木和泉には興味を持ってますが未だあの著書は読んでおりません。 今度読んでみます。
2010/8/18(水) 午前 7:21
はじめまして。
中々興味深い考察ですね。
特攻には予備士官を優先して出撃させたとは良く聞きますね。
予学出身者の戦記などを見ると良く不満が書いてあります。
ただ、少し気になったのが、兵学校出の飛行科将校と予備学生出身の飛行科将校とでは、後者の方が人数が多いように思われ、単純に比率での比較は出来ないような気がしました。
あと、兵学校出身少尉の戦死者が少ないのは、僕も詳しく調べた訳ではありませんが、任官時期が違うからのような気がします。
兵学校を卒業した時点で少尉任官、その後飛行学生に進み、練習航空隊を経た後第一線に行くので、その頃には中尉に進級しているのではないでしょうか。
飛行科予備学生は航空術教育ののち予備少尉候補生だそうなので、第一線配属時でもしばらく少尉のままだったのではないかと思われ、その辺りの違いが出ているのではないでしょうか。
2010/9/12(日) 午後 11:54 [ suz*kik* ]
suz*kik* さん
コメントありがとうございます。
そうですね、兵学校卒も予備学生も前線に出るときは
皆中尉に進級してる場合が多いですね。
ぜひこの本も読まれてください。
2010/9/13(月) 午前 8:14
レスありがとうございます。
一度読んでみたいと思っています。
さて、気になったので少しだけ簡単に調べてみました。
兵学校72期625名中、41期飛行学生に進んだのが324名です。
昭和19年3月15日少尉任官
同7月29日飛行学生卒業
同9月15日中尉進級となっています。
フィリピンから沖縄の航空戦に間に合った、もっとも消耗した兵学校出身飛行士官だと思われ、戦没された方が202名、約65%もの損耗率です。
ほぼ同時期の飛行予備学生が13期で4726名中戦没された方が1605名、損耗率は約35%になります。
昭和19年5月31日少尉任官
同7月頃部隊配属
昭和20年6月中尉進級が一般的なようなので、少尉の戦死者に予備士官が多いのはこの辺りの状況があるのではないかと思われます。
また、人数比は兵学校出身の飛行士官は飛行予備士官の約6%になります。
この傾向は次の期もほぼ同様でして、
兵学校73期902名中42期飛行学生が500名、戦没者284名。
14期飛行予備学生1954名中戦没者395名。
1期飛行予備生徒1393名中戦没者159名。
2010/9/13(月) 午後 11:47 [ suz*kik* ]
suz*kik*さん
よくご存知ですね。
宜しければ資料を教えていただけますか。
私は漫然と昭和18年の学徒動員で予備学生を抱えた海軍はこのころから空中、水中特攻と連動して教育訓練を急いでいたと思っています。 飛行兵でも甲乙丙とか何かと格差をつけた海軍は
昭和18年時点で動員した学生パイロットをどの様に使いこなそうと考えていたか興味もあります。
2010/9/15(水) 午前 7:36
いえ、全然詳しくなど無いですよ。
興味を持って沢山本は読みましたが、細かい数字などは全然覚えてませんし。
ただ、概要は理解してるつもりなので、最初のコメントのようにおおよその見当は付きます。
資料はただの集計数ですので兵学校、飛行予備学生とも生き残った方やご遺族の方達が立ち上げたHPなどで拾う事が出来ます。
格差と言うか、学歴の違いですよね。
戦前は今と違って旧制中学や旧制高校出身者はエリートと看做されていたからだと思います。
予備飛行学生の大量採用についてはこちらのHPを参考にされると良いかと思います。
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20070627/1182910497
特に特攻要員として採用した訳ではないかと思います。
ただ、このHPには兵学校生徒の温存についても書かれていますが、僕は上記損耗率を見ても解るように、一般大学生を隠れ蓑にした温存ではなく、陸軍の徴兵に対する温存ではないかと推測しています。
軍需関連産業にて、優秀な技術者、技師、職工などが見境無く徴兵されており、海軍を経由して抗議をしても受け付けられなかった例は
2010/9/18(土) 午後 8:57 [ suz*kik* ]
多くあるようです。
それらが現場の生産性を著しく削いだと、当時工廠に勤めていた技手の方の手記で見かけました。
2010/9/18(土) 午後 9:02 [ suz*kik* ]
海軍モノ戦記を読みますと大学生や優秀な学生を陸軍で兵や下士官で取られるより海軍で後世(戦後の日本)に残そうとしたとの美談まがいの表現が多いように見受けられます。
しかし、実態は航空特攻だけでなく水上特攻や伏龍部隊等に多く採用してますので私は海軍は予備学生らを戦争中に文字通り「短期現役」として酷使し兵学校出身者を温存したものと考えます。
又海軍はマリアナ戦後勝利の可能性は絶望的でありながら陸軍に航空部隊を吸収統一される事を嫌悪し特攻戦を繰り返したものと
思います。 敗戦後の海軍再建の為に海兵出や下士官は温存、特攻作戦で学徒を中心にすりつぶしたものと思っています。
(今の私の考えであり経年変化する事もあると思いますが。。。)
2010/9/19(日) 午後 8:10
少なくとも実態として72期、73期の兵学校卒業生を温存した結果にはなっていないようです。
その後の期になると海軍だけでなく陸軍も同様に大量採用していますので、それが理由ではないかと思われます。
海軍が重点的に沖縄戦で特攻を行ったように見えるのは、陸軍は本土決戦用に温存していたからで、もし本土決戦があれば陸軍も陸海空すべてで予備士官を使った特攻を行ったのではないでしょうか。
2010/9/20(月) 午後 0:01 [ suz*kik* ]