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・ 第二次世界大戦でのドイツ海軍といえば戦艦ビスマルクやUボートと呼ばれた潜水艦の 活躍が知られていますが、ドイツは陸軍や空軍に予算を多く廻していたので戦争後半は ドイツ海軍の目だった活躍は少なくなり潜水艦も水上艦も軍港や基地に隠れてしまい 「沈黙の艦隊」となってました。 しかしドイツ第3帝国の最後が近づいた1945年の春、海軍総司令官デーニッツ元帥は 一大決心をし秘密基地や軍港に残されていた少なくなった満身創痍の各種艦艇を使って 海軍最後の大作戦を敢行します。 このドイツ海軍の最後の作戦は「同胞を一人でも多く救う」ための作戦であり最後まで 「戦いに勝利」しようとし、老人や少年まで戦闘参加させようとしたドイツ陸軍や空軍の 作戦とは根本から大きく異なっています。 またデーニッツは4月30日ヒトラー総統の死後、ヒトラーの指名を受けて国家首班となります。 大戦末期のドイツ海軍では敗戦と同時に全艦艇を敵国に渡さずに自沈させる「レインボー計画」 が立案されていましたがデーニッツはその基本計画を翻し東部戦線地域に取り残された軍民を 海上から救うためにドイツの残り少ない艦艇全てを使い切ろうと「ハンニバル作戦」を立案し 素早く実行に移します。 西部戦線では相手が英米なので降伏したり捕まっても余程のことがないかぎり殺される事は 余りなかったようですが東部戦線のソ連軍は、日本でも昭和20年の満州国侵攻で御存知の通り 略奪暴行狼藉・虐殺等はあたり前の軍隊でした。 1945年4月時点でドイツ国民はどうせ国が負けて滅ぶならソ連軍に捕まるよりも 米英軍側に捕まろうと必死に西に移動までしたのでした。 もちろんデーニッツもそれを指導しましたが、デンマーク半島より東部にある東プロイセン やポーランドにはドイツの軍民200万人以上が快進撃するソ連軍に包囲され陸路での母国 への脱出は困難となってました。 ドイツ海軍は残された数少ない艦艇と石油を最後の難局で有効に使用して敵に損害を与える事 よりも、自国民を一人でも多く救出する事を最優先としました。 尚ドイツのポケット戦艦や巡洋艦はバルト海から東部戦線のソ連側の前線に対し果敢に 長距離砲撃を何度も試み東プロイセンからの海路撤退の時間稼ぎにも貢献しています。 (翻り終戦後の樺太や千島での戦いに日本海軍は残念ながら戦争は終わったと無関心でした。) ドイツ人にはソ連の支配地域に残された同胞がどのような目に遭うかはっきり想像できました。 東プロイセンの避難民救出のためにドイツ海軍は最後の力をバルト海に結集させました。 大は巡洋艦、駆逐艦から潜水艦、小は小艦艇、ヨットや艀(はしけ)や民間商船まで数百隻を 動員し文字通り海軍の全力を傾注いたしました。 この救出活動はドイツ降伏後も暫く続き、ソ連軍と撃ち合いも演じました。 またソ連占領地の岸壁から少艇に避難民が駆け込み超満員となった時、遠慮した老人に若い 海軍兵が海に飛び込み岸辺の老人に「乗り移れ!」と叫び岸に泳ぎ着き乗らなかった老人と ともに地上戦に参加したなどの日本のキスカ島撤退戦を上回る美談も事欠きません。 (一例では乗員300人乗りの駆逐艦に着たきりの避難民を2000名以上載せたそうです) しかしドイツの同胞救出作戦を黙って放置してくれるソ連軍ではありません。 バルト海に潜水艦を進出させ輸送船ばかり攻撃しドイツ人1万人以上を溺死させました。 (このあたり8月15日以降に樺太から北海道へ避難する日本船を撃沈したソ連潜水艦と見事に 重なります) ソ連の攻撃による死者1万人超えは痛ましい犠牲ですが救出者全体の中に占める比率は1%以下でした。 実は第一次世界大戦でのドイツ側の敗因は戦線が海も陸も膠着した大戦後半に赤化思想や厭戦気分 でおかしくなっておりました海軍に責があります。 キール軍港での艦隊乗員の叛乱が一番の敗戦原因となりドイツ海軍は国民を大きく裏切り敗戦を 決定づけました。 しかし第二次大戦でのデーニッツ率いる再建ドイツ海軍は第二次世界大戦では最後の最後の 国民の負託に応える事ができました。 1943年になりドイツ海軍水上部隊を廃止しようとした総統ヒトラーの命令に反し、潜水艦至上主義者でもあったデーニッツは戦えなくなったドイツ水上部隊も「使い道」があると譲らず艦隊を保全しました。 この2年間の英海軍の空爆にさらされ続けたドイツ海軍が戦争の最後の最後で自国民救出に大活躍したのです。 最後まで海で戦い救出作戦に参加した水兵の言葉がドイツ海軍戦記にこう記されています。 「われわれは英雄ではない。 われわれは只われわれの義務を遂行したのみである」 (ドイツ海軍戦記 Cベッカー著 249p) 又海路脱出のための橋頭堡を最後まで確保し続けたドイツ陸軍約20万人も5月8日の終戦で 悠々とソ連軍の捕虜となりました。 そういう意味合いから沖縄戦に効果無と予想された大和以下の水上部隊主力を投じて 全滅させた無け無しの石油も使い切った「滅びの美学」に支配され、特攻戦術が常態化 した日本海軍は「責任と義務」の解釈は誤っていたのかもしれません。 もし昭和20年夏の日本海側に大和や長門の主力艦と水雷戦隊と少しの石油を残していたなら 千島や樺太であれだけソ連軍に無法ぶりを発揮させなかったかもしれません。。。 第二次世界大戦でのドイツ軍人と日本軍人を比べてみますと同じ敗戦国でもドイツは数々の名将を 輩出し、日本には名将は少なく参謀まかせのノーチェツク無責任の指揮官が多い事に改めて気づかされます。 昭和にいると日露戦争を経験した叩き上げの将は少なくなり、危険を嫌い、危険度の高い 潜水艦や航空分野に進まずに昇進し、昇進後も劣等感からか年齢も階級も格下の海大卒の エリート佐官参謀の起案する作戦計画に異議を唱える指揮官がいなくなっていたのが日本の 大半の海軍提督でした。 どうも「日本人は戦争に向かない」とか「資源が物量が・・」とか海軍生き残り元参謀らの
「言い訳」が聞こえてきそうですが。。。 日本の海軍にくらべ質量ともに貧弱であったドイツ海軍が示した見識・実行力・心意気を 日本人も心の奥に記憶していて損はないでしょう。 |

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うーん(-_-;)
これは考えさせられますね。
僕の知らないは情報でした。傑作
2010/6/21(月) 午前 9:20
ヒロシさん
私も昔から終戦間際のドイツ海軍の活動を知って
たわけではありません。
ネット検索でも部分的に散見される程度です。
日本海軍も前線での戦いぶりは凄まじいものがありますが
指導者層が。。。。ですね。
2010/6/22(火) 午前 8:16
はじめまして、以前から興味深く拝見させて頂いてました。
敗戦時に見捨てられる前線部隊を殿軍が奮戦する美談はよく耳にしますが、首脳部自ら前線に取り残された自軍を救出する作戦を実行って稀有なケースですね。
救出部隊の士気も高かったのでないでしょうか。
戦争とはいえこの時期のソ連軍の無法ぶりは欧州でもアジアでも憤りを感じます。
本当にどちらも同じ人間なのでしょうか。
2010/6/22(火) 午前 10:32 [ 十兵衛 ]
昔のソ連のやつらろくなもんじゃねェ蚊等ですね!
2010/6/22(火) 午後 4:46 [ blu*ru*ner1*0x*h ]
十兵衛さん コメント、登録ありがとうございます。
昭和20年夏満州に侵攻したソ連軍の中には独ソ戦が終了して故郷に戻れると思いきや対日戦に廻されて気の荒くなった部隊も大滑走です。 その鬱憤を晴らす飴が「占領地」での強奪強姦の黙認であったようです。
2010/6/23(水) 午前 8:41
中爺ィさん ソ連人全員が極悪でもないのでしょうけど。
指導者次第なんですかね。
KGBあがりのプーチンさんも悪党独裁者に見えてくるのですが。。
2010/6/23(水) 午前 8:47
とりあえず日本の悪口言えば許されると思い込んでるのは日本捕虜収容所で洗脳されたせいなのかな?深刻に考えた方がいいんじゃねえの。僕はよい子だギブミーチョコレート。いつまでたっても憲法ひとつ廃棄できない訳よね。他と比較してすぐ日本の悪口言うのは奴隷の保身だわさ。
2012/5/22(火) 午前 8:22 [ 本性奴隷 ]
奴隷さん
何がおっしゃりたいのか意味不明です。
2012/5/23(水) 午前 5:45
はじめまして。少し古い?記事へのコメントご容赦くださいませ。
現在の邦人人質事件で色々検索していてこの記事を拝見いたしました。
キール軍港の救出劇はお見事!と言う他ありませんね。確かに旧軍は人命を軽視しすぎたきらいはあります。
ただ…僭越、余談にございますが、帝国海軍においては、相対峙した敵の誇りを慮り、エース(撃墜王)の設定をまったくせず、決して『人殺しの英雄』は作り上げなかった、という事もご存知おき願いたく存じます。
2015/1/27(火) 午後 10:47
天津風さん はじめまして
ドイツ海軍は第一次大戦ではキール軍港に
引き籠り敗戦革命をおこした罪悪感もあり
その反省から第二次大戦では有終の美を
かざることができたように思います。
日本海軍には列国標準のエース(撃墜王)という
概念はなく5機墜としても6機墜としても評価や
待遇は変わらなかったようですが、私が訝しく
思うのは、開戦時は個人撃墜を記録していたのに
ガダルカナル島後半あたりから個人の撃墜記録を
残さず部隊の撃墜記録としてしまった事です。
これは敵国軍人の名誉とかとは関係なく海兵出の
将校よりも下士官・兵のパイロットの方が撃墜スコアを
稼ぐのをみた将校団が面白く思うはずもなく部隊全体の
記録としてしまったのが真相ではないかと思います。
昭和18年以降遅まきながら編隊空戦を重視しましたので
三機編隊・4機編隊に関わらず小隊長や中隊長となるべき
中尉以上の将校が撃墜できず2.3番機の下士官や兵の
乗機が撃墜を重ねると人事上でも拙い点もあったでしょうね。
2015/1/28(水) 午後 7:12
(続きます)
そのあたりの将校と下士官兵の温度差は岩井勉氏の
「空母零戦隊」等を読まれるとご理解できると思います。
戦後の航空ファンからすると戦時中に海軍が真面目に個人
撃墜記録(それでも数の誇張はつきものですが)
をカウントしれおれば戦後の与太話ででてくる坂井さんの
64機撃墜とか赤松さんの400機・小高登貫の105機
とかいう数字が一人歩きして「捏造神話」になることも
無かったのではととも思います。
海軍航空隊の上層部は搭乗員の技量能力ををどういう物差しで
測ろうとしかたのか私には理解できません。
(階級だけで測ろうとしたわけではありませんが、戦後の
遺族年金や恩給も階級で異なりますからね〜。)
こちらこそコメ文字が増え失礼しました。
2015/1/28(水) 午後 7:15
ブログ主さんは、日本軍が行った沖縄からの老人や女性子供といった弱者の疎開をご存じないのですか?
日本海軍及び日本商船隊の決死の努力で186隻80000名の沖縄県民が県外に疎開成功しております。
当時は日本近海すらも米軍の潜水艦が跳梁しており、その途中で対馬丸の悲劇が起こってしまいましたが、しかしこの疎開で犠牲になったのは対馬丸のみ
当時の日本としては、信じられない成功率であり、それだけ日本がこの計画に注力していたことにあると思います。
あと記事の記載も間違えておられて、東プロイセンからの疎開で(ハンニバル作戦)撃沈された商船は
ヴィルヘルム・グストロフ、シュトイベン、ゴヤの3隻で合計33000名以上(正確な死者は不明)が亡くなってます。
ハンニバルが大成功したのもバルト海のソ連軍潜水艦戦力が当時さほどではなかったからで、高性能且つ百戦錬磨の米軍潜水艦相手に見事疎開を成功させた日本軍と比べるべくもありません
デーニッツは1943年以降、完全に対策されて、出せば撃沈のカモと化していたUボートを大した改善策もなく出撃させ続けて994隻も喪失させた無能司令官です、過大評価
2015/3/19(木) 午後 9:39 [ tih*1s*k* ]
過大評価だと思います。
あと、ドイツが国民を大事にしたなんてとんでもない
国土でソ連軍の進撃に多くの国民が取り残され、虐殺され強姦されました。
ベルリンでは10歳前後の子どもが国民突撃隊としてソ連の重戦車相手に戦わせました。
その犠牲者の総数は現在に至っても未だ解ってません。
ブログ主さんのように日本の戦史を調べるとなぜか日本軍に手厳しい意見に至る人が多くなる傾向がありますが
未だに戦争犠牲者すら特定できないほどの惨敗を喫したお粗末なドイツと比較すると、日本の方が未だ遥かにマシだというのが私の結論です
2015/3/19(木) 午後 9:39 [ tih*1s*k* ]
上にも書かれてますが、沖縄からの疎開を進めるためにもどうしても米軍艦隊を上陸させる訳にはいかなかった。
その為に「大和は浅瀬にて浮き砲台とす」を目的として特攻した訳です。
燃料片道切符の話は元々はそれがゆえですね。
戻る事を目的としていない。
とにかく沖縄上陸の阻止、最悪でも疎開の為の時間稼ぎ。
それと、降伏後にソ連は北海道に向けて進軍してますが、
その時の北方駐屯地の日本軍は降伏後もソ連相手に戦ってますよ。
2015/7/22(水) 午前 1:07 [ ae9*gt_* ]
ドイツ軍とはいえ一枚岩でなく、とくに海軍は政治とほぼ無関係であったのでナチスの方針だけでドイツ海軍も汚名を着せられるなんてことはないはずです。
あと、ソ連軍の蛮行が肯定されるわけではないですがナチスドイツがソ連領内で行ったことを考えると復讐されることは目に見えていたはずで自ら招いた災難であると思います。
2017/11/2(木) 午後 11:10 [ 名無し ]
この作戦については、ヒューマニティが強調される面が多いですか、確かに完全否定はできないものの、戦争に負け慣れているからでしょうね。要は負けたあともあるんだってこと。ただしNATOの一員となった西ドイツ軍を正当化するために美談仕立てになっていることもあると思います。ただし残存艦艇の使い方はうまかったですね。
2018/10/19(金) 午後 0:51 [ DB103 ]
> DB103さん
こんにちは
ドイツもレニングラード包囲戦やウクライナ等で
残虐非道な行為を行ってますから報復を恐れての
対処だろうと思いますが、終戦後の千島・樺太戦や
引上げ船をロシア潜水艦を沈められても傍観していた
何処かの国の海軍よりは立派な有終の美を飾ったように
思いました。
2018/10/21(日) 午前 8:04
当時、日本は飢餓作戦による大量の機雷投下によって、大型艦が殆ど動けなくなっていたことも考慮に入れるべきでは?
その大型艦も殆どが戦闘不能に陥っていましたが。
2019/5/20(月) 午前 8:18 [ ABC ]
また、樺太の戦いにおいては、海軍の第二新興丸が雷撃を行ったソ連潜水艦と交戦しております。
そして占守島の戦いでは、海軍の97式艦攻がソ連上陸船団を攻撃したり、海軍第51警備隊が、幌筵海峡に侵入を試みたソ連艦隊を撃退するなどしております。
海軍がソ連の侵攻を傍観していたと評するのは、いささか言い過ぎではないでしょうか?
2019/5/20(月) 午後 0:00 [ ABC ]
いきなり最初から血圧が上がってませんか?
何故に私が大型艦が動けないのを考慮すべきなんですか。
(殆どが戦闘不能に陥ってるんでしょう)
海軍の第二新興丸は先に国籍不明の潜水艦から魚雷を
受けて自衛反撃したまででです。
北方戦史での海軍のやる気の無さについては
「知られざる本土決戦南樺太終戦史―日本領南樺太十七日間の戦争」
をお読みいただけると誰でも理解できます。
もちろん海軍内での個々の持ち場で全力を尽くされた方がたくさん
おられると思います。
しかし南樺太の住民を避退させるために陸軍、警察、本土防衛隊、警察
が必死で遅滞戦闘を行っていた際に、海軍は北海道に脱出する船に海軍関係者
や家族を優先的に乗せ、他の脱出住民には「定員に達したから」と断っています。
最終的には樺太庁の長官が全責任を受けもつからと定員の数倍を乗せ出港しています。
(樺太庁の長官や庁職員は最後まで住民と居残り抑留されましたが、
海軍関係者で樺太に残留された方は少ないように思います)
2019/5/21(火) 午前 7:38