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戦争末期に文字通り起死回生?の作戦として行われた 神風特別攻撃隊の開始時の謎について書かれた本です。 著者の大野氏はベストセラーはないものの「良い仕事」 されてる方だと尊敬しております。 神風特別攻撃隊の第1号と言えば最初に成果を敷島隊の 関行男大尉(1944年10月25日)とされていますが 著者は第一号は数々の考証から久納好孚中尉 (1944年10月21日)の方が4日早いと結論づけています。 何故、久納中尉でなく関大尉なのか? 久納中尉は正規将校(海軍兵学校卒)ではない大学生から 飛行予備学生に進んだ予備将校なんですね。 海軍はどうしてもプロ軍人たる海兵出身の正規将校たる関大尉 に特攻の見本を示すべく第一号にしたかったのですが実際は 4日前に予備将校の久納中尉に先を越されますが、敷島隊の 関大尉らが米空母に体当たりを敢行し大戦果を挙げたとして久納中尉の事は戦後もスルーし続けます。 海軍にはたくさんの将校がいましたが、久納中尉のような予備将校や兵や 下士官から苦労の末に将校となった特務士官は士官=将校になっても 海兵出の正規将校達から区別され同じ中尉や大尉でも部隊や編隊・軍艦を 指揮する事は先ずできず基本的には部下無しで戦わされたんですね。 正規将校が神風特攻隊で率先して活躍したのは最初だけで(特に海軍の場合) 主力は海軍の予備学生や少年飛行兵だったのですが。。。 何故、正規将校を特攻隊で温存したかについては海軍の関係者達はは 戦後も墓場までサイレントネイビーな理由です。。。 詳しく知りたい方は知られざる戦史【38話】陸海軍特攻隊将校戦死者の出身考察(主力は学生)http://blogs.yahoo.co.jp/naomoe3/60164992.html 「陸軍と海軍-陸海軍将校史の研究」 山口宗之 を(特に上記の著書)お読みいただければ幸いです。 |

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へええ、これ知らなかったです。
また勉強になりました!
2011/2/22(火) 午前 2:34 [ IZM ]
坂井三郎も,実力ではなく,経歴で差別されると言っています。
将校と下士官・兵隊にあった差別です。
「モダンで居心地が良く勇ましい・・
これは海軍兵学校を出た士官だけが口にできるスローガンであって,下士官・兵にとっては無縁の言葉」
兵学校出身の将校らの無能さと非情さを見続け,そのために多くの戦友を失ったのだという怒りがある。
学歴社会は,別に戦後に始まったのではない。エライさんが身の回りを固めるために,兵学校出で固めたということです。
戦後の陸軍はさんざん叩かれたけど,
海軍はうまく立ち回って知らん顔・・・。
2011/2/22(火) 午前 4:16
IZMさん
おはようございます。
海軍は様々な「神話」を終戦と戦後の
ドサクサで創作してますね。
2011/2/22(火) 午前 7:18
たつやさん
コメントどうも。
坂井さん源田実が亡くなった後から海軍の
上層部批判に転じてますね。
坂井さんも昭和20年頃将校になりますが「特務士官」
と廻りの新米将校から称されました。
私が海軍航空で気になる部分は戦闘機パイロットなどでも
正規将校以外に特務士官、予備将校、下士官、兵と同じ空中戦を
行う人達の階級が細分化されており風通しが悪かったように思いますね。 自称64機?落としたとされる坂井さんは一機も落してない正規将校のサロンでは相手にされないわけですから。。
しかも無線も活用しないのに日本人だから以心伝心とか戦後の馬鹿参謀の書いた本もありますが、どうも航空戦の実相が海軍幹部には判ってなかったと思いますね。
2011/2/22(火) 午前 7:33
こんにちは。
海軍は樺太でも陸軍が戦っている時や、民間船が危険を冒して、8月15日以降に樺太から北海道へ邦人を非難させている時も、さっさと逃げています。
私が調べた限りで、樺太で8月15日を迎えた1293名の海軍軍人・軍属の内、ソ連に抑留されたの107名。しかも樺太北部の海軍の航空基地にあった高射砲は海軍が撤退する際、陸軍から譲渡するよう要請されていますが、それすら拒否(口実は、台座に固定されている為)しています。しかも、大泊にソ連軍が上陸した際、現場で避難民の整理にあたっていたのは予備の経理士官と下士官の2名。しかもこの経理士官はなぜか軍使に選ばれソ連軍に赴いたところ射殺されました。この時、大泊の海軍武官府分室の責任者のS大佐は兵学校出で、さっさと北海道へ逃亡しております。
2011/2/22(火) 午後 4:14 [ 樺太市民 ]
樺太市民さん
こんばんは
詳しい情報を教えてくださり
ありがとうございます。
樺太でも海軍正規将校以上の方々はは何をしてたのでしょうね。
米内大臣がソ連に頑強に抵抗しないように指示したとか?云いますが
自衛戦闘中ですからね。
そういえば元空母赤城艦長のA司令も終戦時元山空司令の立場で
部下を見捨て逃げ帰ったとか何処かのネットに詳しくかかれてました。
勇敢な海軍将兵も数多くいらっしゃったとは思いますが。。。上官が弱虫だと下の者が手足となりいくら頑張っても結果は知れてますよね。
2011/2/22(火) 午後 7:49
<身代りに対当たり>や<他の人のために身を張る>ことは日本のみならず欧米でもあり頭が下がります…
しかし総攻撃に際して抜刀して敵陣に切り込むや雄々しくラッパを吹き鳴らすそして軍旗を翻す…馬鹿げた戦法に感じます。
そして神風や桜花などの特攻についてはやはり<なされた方たちの勇気>は称えるべきなのですが、それを戦術とした軍部や当時の国民のあり方には許せない思いがあります。
嫌な無知の時代が来ないことを願うばかりです。
2011/2/22(火) 午後 8:03 [ ルゴス5号 ]
ルゴスさん
おはようございます。
おっしゃる通りですね。
特攻については何故アソコ(現場の方が)まで、
何故そこまで(指導者が部下に)・・・という部分で
今後も考えさせられますね。
2011/2/23(水) 午前 7:15