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戦前の日中関係はややこしいので太平洋戦争終結から現代までの
日中関係史を簡単に記してみました。 メモ下記程度で突っ込みどころ満載ですから間違い等、 皆さんからのコメントで残して頂けるとありがたいです。 はじめに(戦前のおさらい) 昭和12年に始まった日中戦争(シナ時変)では日本軍は強くて残虐、 中国軍(蒋介石・八路軍)は弱く逃げ足がはやいとわれてました。 しかし日本軍は大陸の幾多の戦場で勝利をおさめ続けたものの 中国を最終的に屈服させる事は適わずにいました。 当時の首都南京を日本軍が占領しても蒋介石は重慶という更に奥地に 避難し戦争はドロ沼化しました。 陸軍の参謀本部は長年ソ連を第一の仮想敵としてきたので、 日中戦争を早く終わらせないとソ連との戦いの準備ができないと、 近衛首相や外務大臣にも和平の要求を求めましたが、 近衛首相は「蒋介石政権を対手とせず!」と無責任に終始し、 海軍に至っては中国奥地への都市爆撃(戦略爆撃?)を強め中国は もとより米英の反感を日本国は買ってしまいます。 シナ事変から3年経過してもケリをつけられないまま、昭和15年になると 日本は、中国を屈服できないないのはソ連・米国・英国が中国にたいして 裏側から経済・軍事援助しているから、いくら日本軍が戦場でいくら中国兵を 倒しても戦争に完全勝利できないと思い込みました。 昭和15年春ドイツが西部戦線での電撃戦でオランダ・フランスを倒すと 日本は鉱物資源の多い東南アジアの仏印(ベトナム)蘭印(インドネシア)へ 目を向けその資源を手にする作戦を練り始めました。 日本的な独善性のある考えですが英国からの対中国援助ルート遮断する という目的で北部仏印(今のベトナム)に進駐し、まだ行けると見るや機を みて南部仏印にも進駐しました。 日本海軍もフィリピンから近い海南島(鉄鉱石が豊富)も占領しました。 これを看過できず米国も日本に石油や精密工作機会などの禁輸を開始し 徐々に日本が日中戦争を継続できないように日本の中国への覇権王手に 「待った!」をかけて妨害を開始します。 昭和16年、米国に石油を禁輸され中国との戦争勝利に自信を亡くした 日本陸軍は本気で中国からの撤退を考え米国と「日米了解案」を とりきめますが昭和16年6月突如ドイツがソ連に対して奇襲攻撃を開始 (独ソ開戦)して大きく状況が変わります。 ドイツとソ連の戦争開始で日本はドイツが勝つと考えドイツがソ連に 勝ってる間に蘭印(今のインドネシア)を占領し石油等の資源を手に 入れようと中の悪かった陸軍・海軍が「南進」でともに手をとりあって 対米英蘭戦争への準備を進めます。 しかし米・英・中国は独ソ戦の開始で最終的にドイツが負け ソ連が勝つと推測しました。 米国からソ連への援助物資も膨大に贈られました。 それまで米国からみたソ連は、中国を痛めつける日本同様にフィンランドに 侵略したりバルト3国を併合したソ連は道義上許せない極めて 悪質な国でしたが、独ソ戦の開始で米国とソ連はパートナーとなったのでした。 当然ソ連と米国が手を結んだことで怖い国が無くなった米国・英国は 独ソ戦以後の昭和16年夏以降は日本に対し急に強気にでます。 しかしそれを察知できない日本は実力行使で蘭印をはじめとする南方占領を 準備、日米外交は継続しますが外交を隠れ蓑としつつ12月に真珠湾攻撃や 英領マレー半島上陸で太平洋戦争を自ら開始し、誰もが知っての通り 3年8ヶ月後の滅亡に突き進みます。 太平洋戦争直前の日本はアメリカの石油禁輸政策などを逆に好機とも 捉え石油や資源確保のため蘭印を占領しようと模索し、米英開戦に 踏み切りますがよく考えるとおかしな話です。 終わらない日中戦争に決着をつけようと太平洋戦争をはじめています。 普通に考えると中国に完全勝利できない日本が世界最強の米英2国家 と本気で戦い勝つ自身が何処まであったか判然としないのです。 陸軍の敵はずっとソ連でしたが、なぜにか中国と戦い、中国と決着を つけぬまま米英も敵に廻し、最後の昭和20年は宿敵のはずであった ソ連に満州まで差し出す覚悟で英米との和解調停まで頼みますが ソ連に弱みを見透かされ終戦間際に侵略攻撃を受け満州はおろか 日本領であった千島列島・樺太南部も不法に奪われ追われて てしまい現在に至ります。 戦前・戦中の日中戦争を中心に駈足で端折りましたが軽く理解 したことにしていただき戦後の日中の歴史を日本降伏時点からみてみましょう。 【メモ】 日本は少資源国家であり長期的な戦争に国力が耐えられず、 との考えで戦争初端に大兵力を準備集中して相手軍隊の殲滅戦を 企画したが中国側は日本を泥沼の消耗戦に引きずりこもうと画策し 時間の経過が中国に味方するとの判断で戦争をデザインした。 結果は中国の思うままとなった。 (つまり日本外交の敗北、中国外交の勝利であった) このあたりは小林 英夫 氏の出色の日中戦争モノ 「日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ」が詳しい。 日本ブログ村 https://history.blogmura.com/his_meiji/index.html |

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日本は石油がないと戦争の継続も、経済活動さえも何もできなくなります。
話し合いで自由貿易してもらえないから、
仕方なく日本は資源を武力で抑えに行きました。
アメリカのハワイからの艦隊が来るのを
遅らせるために真珠湾を攻撃しました。
戦わずに不利な条約を結んで他国の属国になるのか、
戦ってギリギリまで抵抗し、政府を残した状態で降伏してから
条約を結んだほうが、より良い結果になるのか。
当時の先人たちは戦うほうを選んだのです。
「なぜ負ける戦争を始めたんだ!」と、よく言われますが、
そういう状況は、まさに自衛ではないでしょうか。
私は、1905年10月15日の『桂・ハリマン覚書』を破棄したことが、
日本の大きな大きな間違いの始まりであったと思います。
2011/5/11(水) 午前 9:20 [ - ]
1905年、日露戦争勝利のポーツマス条約でロシアから
日本が得た満州の権益の一部である南満州鉄道を日米共同経営にするという
覚書が桂太郎首相と鉄道王E・H・ハリマンとの間に取り交わされましたが、
ポーツマス講和会議から帰国した小村寿太郎外相が満鉄移譲について、
「清国の承諾を得る以前に、このような契約をなすことは不当であり、
また、10万の同胞の命と20億円の税金を犠牲にして得た満鉄を
結局は米人に売却し、南満州の権益を放棄するのは
ポーツマス条約の真髄に反する」と主張して覚書は破棄されました。
2011/5/11(水) 午前 9:22 [ - ]
小村寿太郎外相の主張も理解できますが、イギリスとアメリカが
日露戦争の戦費を貸してくれた事も考慮すべきでしたし、
この『桂・ハリマン覚書』を実行して日米両国共通の国益を増やし、
同じ敵から両国が同じような攻撃を受け、米国も徐々に極東地域における
治安の悪さや共産主義勢力拡大の脅威を学んで実体験することにより、
20世紀初頭の、この早い時期から日米同盟の構築を目指すことができていた
ならば、大東亜戦争を回避できたのではないでしょうか。
「桂・ハリマン覚書」破棄直後から
アメリカの反日政策が始まり、大東亜戦争まで続きました。
2011/5/11(水) 午前 9:22 [ - ]
夜神楽さん おはようございます。
千5百文字を超える膨大なコメントの文字数に圧倒されます。
私は戦前の日本が100%悪いとも逆に100%正しかった
とも思っておりません。
日中関係にしても日米関係にしても日本にも悪い処は
ありましたし中国や米国にも悪い(エゴな)部分が多々
あったと思います。
夜神楽さんは避けられる戦争では無かったという理解の
ようですが私は結果的に破滅につながる敗戦に至った
日中戦争及び日米戦争を防ぐ手立てはなかったものか?
事実は日本にとり最悪のシナリオになりましたが最善手
というか他にも選択肢があるのに結果的に短期的な
損得を考え中国との長期消耗戦に陥りその解決策を
南方資源獲得と中国と援助国の遮断により対中国
対米英戦に解決を求めようとして失敗した点は
政治家・軍人・外交・に関わった方々の責任は残ると考えます。
2011/5/12(木) 午前 6:23
戦前の日本は間違っていないと私も思い込みたいです。
でも世界史的にみると第一次世界大戦後は日本は常任理事国
一等国でしてたが、戦争で300万人以上の同胞がお亡くなり
になり戦後は二流国に没落し戦前の地図も固有の領土も削られました。
私は先の戦争で得た部分より日本国(国民)が失った部分が
大きいように思えてきます。
昔北京の55日という義和団の乱の映画みました。
伊丹十三さんが柴五郎役で出演してましたが、
昭和の軍閥は無責任な人が多く明治の柴さんら将官に
比べ責任感・世界との相互理解力や最悪事態への想像力
でかなり劣ってたように思います。
ちなみに柴五郎は陸軍大将まで出世いたしますが陸大を
出ていない為に途中何度も閉職につかされました。
しかし柴将軍の驚くべき点は太平洋戦争の敗戦時に85歳
という御高齢ながら元軍人として自殺を図っている点です。
昭和の陸大出の軍人の多くは終戦でハラキリも行わず
食い口のために仇敵ソ連や中国や米国に使えたりしています。
これって私的に考えますとそれこそ売国奴と一緒ですよね。
2011/5/12(木) 午前 6:27
ハリマンとの共同利権はどうなっていたか私にはよくわかりません。
もしかすると米国の石油試掘技術は当時世界一ですから米国が先に
大慶油田を発見したり、逆に満州で日米中ソで揉めてもしかすると
史実より早く日米戦争が起こりうる可能性さえ高まったのでは
ないかとも思えます。
夜神楽さんの仰るように中国と米国も上手くは行きませんでした。
太平洋戦争で米中手を組みますが米の将軍は皆蒋介石と喧嘩分かれです。
それで米国も国府軍に援助を渋るとソ連の援助を得た毛沢東に中国を
乗っ取られました。
しかも朝鮮戦争でも米国は人口無尽蔵の中国(義勇軍)を倒す事が
できませんでした。
この時米国は、戦前の日本が中国大陸で果した防共的な側面と
極東の安定に大きく貢献していた事を知るわけですが後の祭りでした。
そういう意味で戦前日本を100%悪く言うつもりはありませんが
軍人下克上で常に「不拡大派」より「拡大派」の声が大きくなり
真の独裁者統制者が不在となって陸海軍が別々の戦略を練り主対戦国が別々等統制で不在で敗れた戦前日本が100%良かったとか
パーフェクトであった等とは私には今
2011/5/12(木) 午前 6:34
でも思えてこないのです。
日中の長い歴史を振りかえると日本人が中国人と交渉を持つと
ろくなことがないということです。
小西行長、支那通軍人、チャイナスクール、NHK、トヨタを
見ればわかるように深く関わればろくな事がありません。
私も長くなりました失礼いたします。
2011/5/12(木) 午前 6:36
私も戦前の日本が100%悪かったとも100%正しかったとも思っていません。
ただ戦後の日本人は、大東亜戦争後は100%日本が悪かったという
自虐史観に染まりすぎていますので、
それを是正しなければ正しい教訓を得ることはできません。
おっしゃるように他国に悪い面はありましたが、
まわりの国がどうであれ、
日本としては、どうであったのか、どうすべきであったのかだと思います。
―――――――――――――――――
私の認識は、「戦争は避けられなかった」ではありません。
「避けようのない国難であった」という認識です。
2011/5/12(木) 午後 4:21 [ - ]
●侵略国家ロシアの南下政策と共産思想侵略。
●まじめに近代化せず、ただただ闇雲に攻撃するばかりの中国。
●強い者に従っておけばいいという伝統の朝鮮。
(近代化したのは条約による従属方法だけ)
●植民地政策の西洋列強の国々。
●すでに「持てる国」であった強欲なアメリカは遅れてアジアに来た。
すでにアジアは欧州諸国の植民地ばかりで、それぞれの権益の範囲があった。
アメリカは自国は『絶対的排日移民法1924年』や
『ホーリー・スムート法1930年』などで門戸を閉ざしておきながら、
アジアに関しては何とか他国の権益範囲に入り込んで利益を得たいがために、
「門戸開放、機会均等」などという聞こえの良い言葉を使い、
限定的にルールを変えようとした。日本はそのターゲットになった。
日本が置かれた状況は極めて厳しかったのです。
2011/5/12(木) 午後 4:21 [ - ]
戦争を避けるのは簡単です。戦わなければいいだけです。
なにをもって「破滅」と考えるのでしょうか?
もう、すでに外堀は埋められていたのです。
戦っても破滅、戦わなくても破滅だったのです。
教訓は、気がついたときには外堀は埋められていて、
抜き差しならない状況にあり、つまり、その状況は、
どの道を選んでも厳しい交渉となり、相手に理不尽な要求を、
言われるがままに受け入れなければならないので、
そういう状況にならないように、
「戦っても勝てる」をめざしながら、戦わなくてもいいような外交を
していかなければならないということに尽きます。
2011/5/12(木) 午後 4:21 [ - ]
例えば強姦されるときに、
戦って抵抗して死んでも受け入れないのか、
命を助けてくれるなら受け入れるのかという選択ですよ。
交通事故で衝突する1秒前に「運転を代わってくれ」と言われても、
極めて厳しい状況で選択肢は限定され、
どういう事をしても大きな打撃がある状況のようなものだったので、
直前に指導者になった人たちばかりを批判するのは酷すぎます。
日蘭会商は翌月から一方的に日本への輸出量を減らしてもいいという
ことを要求してきていたから、そんな内容に同意できなかった。
アメリカに話し合いましょうといっても話もしてくれなかった。
日露戦争後のアメリカは一貫して反日でした。
2011/5/12(木) 午後 4:36 [ - ]
日中戦争(支那事変)は支那から日本軍に攻撃してきたのです。
攻撃してくるから応戦するしかないじゃないですか。
中国には欧米列強の租界、租借地も多くあったし、
中国には欧米列強11ヵ国の軍隊も駐屯していました。
日本の租界、租借地、軍隊の駐屯も、
欧米列強と同じように中国と条約を結んでいたのです。
なぜ中国は日本だけを執拗に攻撃していたのですか?
アメリカは日本を攻撃する勢力に軍事物資を支援していました。
>事実は日本にとり最悪のシナリオになりましたが
最悪の状況になったから、戦わないのも属国、
戦っても属国になってしまうという
極めて不利な選択肢しか残されていませんでした。
2011/5/12(木) 午後 4:36 [ - ]
>他にも選択肢があるのに
どんな選択肢ですか?
>中国との長期消耗戦に陥りその解決策を
>南方資源獲得と中国と援助国の遮断により対中国
>対米英戦に解決を求めようとして失敗した
日本は中国と戦っているのに、その戦っている相手に武器を供給し
続けている援蒋ルートを遮断することが、なぜ悪いのでしょうか?
日本の仏印進駐より以前から米英は日本への資源供給を減らす方向でした。
日本は普通に自由な貿易ができれば良かったのですが、
貿易させてもらえなかったのです。
戦わずに不利な条約を結んで属国になる道か、
戦ってから条約を結んだほうがいいのか。
2011/5/12(木) 午後 4:50 [ - ]
戦わなかったら、どんなに素晴らしい日本になっていたのですか?
第一次世界大戦でアメリカは本格的に参戦して戦後の地位が上がりました。
日本も海軍だけでなく陸軍も出して本格的に参戦していれば、
戦後の地位はもっと上がり、日英同盟の破棄はなかったかもしれないし、
大東亜戦争も起こらなかったかもしれません。
>戦争で300万人以上の同胞がお亡くなり
>戦前の地図も固有の領土も削られました。
損害に見合った結果だと思います。
自由な貿易ができるようになりました。
日本は自由貿易ができれば良かったのです。
戦前よりは領土は減りましたが、
決して満足ではありませんが、いいほうではないでしょうか。
韓国は防波堤になってくれています。
日清戦争以前から、今のように国防にヤル気を出して清国から自力で独立し、
近代化してロシア南下や
防共の最前線をやってくれていたら頼もしかったのですが…。
2011/5/12(木) 午後 4:50 [ - ]
>戦後は二流国に没落し
どこが二流国ですか?こんなに繁栄したのに、
もっともっと繁栄したというnaomoe3さんのシナリオは、
とてつもなさそうですね。
日本の代わりにアメリカ軍が共産主義国と対峙してくれて、
朝鮮戦争でも日本の代わりに
アメリカ軍が5万人も犠牲になってくれたじゃありませんか。
アメリカは日本と戦争して30万人のアメリカ兵が死んで、
一体、なにを得たのでしょうか?中国に軍事物資を支援した結果は?
満州権益どころか中国全体が共産主義国になってしまいましたとさ…。
イギリスも他の列強国もアジアの植民地を失いました。
2011/5/12(木) 午後 5:05 [ - ]
欧米列強国は、この平和国家で、約束を守り、キレイ好きで正直で、
真面目で、優しい日本と仲良く、日本を応援すれば良かったのです。
naomoe3さんが観た「北京の55日という義和団の乱の映画」が、
史実に基づいた内容なのか、どんな内容なのかは知りませんが、
1900年、中国で外国人を襲撃する外国排斥運動が起こり、
外国人にとって、さながら地獄図のような光景が眼前でくり広げられ、
さらに清国政府は義和団に味方して参戦したのです。
日本は地理的に近いという理由で列強各国から、
日本の本国から応援部隊を出すように要請されましたが、
日本は「野心がある」と思われるのを避けるために応じませんでした。
しかしイギリスなどから再三にわたって派兵を要請されて日本は応じました。
2011/5/12(木) 午後 5:06 [ - ]
欧米列強11ヵ国の軍隊で鎮圧しましたが、
北京を占領した連合軍は各所で略奪を開始し、
頤和園なども略奪と破壊の対象になりましたが、
日本軍だけは略奪に参加しなかった話は有名です。
日本軍だけはそういったことに一切、手を染めなかったのです。
さらに鎮圧後の日本の占領地域だけは軍規厳正で、
治安維持が特に優れていました。
ロシアの占領地区ではロシア兵が虐殺や放火、強姦をやりまくっていたので、
日本の占領地区に逃げ出す支那人が大勢いたほどでした。
なぜ自分たちの先人の活躍を調べもせずに
先人の名誉を「こき降ろす」のでしょうか?
2011/5/12(木) 午後 5:27 [ - ]
>柴将軍の驚くべき点は太平洋戦争の敗戦時に85歳
>という御高齢ながら元軍人として自殺を図っている点です。
>昭和の陸大出の軍人の多くは終戦でハラキリも行わず
>食い口のために仇敵ソ連や中国や米国に使えたりしています。
>これって私的に考えますとそれこそ売国奴と一緒ですよね。
【1】命を賭して責任感を持って戦う。
【2】戦わずに相手に服従して何でも言う事を聞いて奴隷になる。
naomoe3さんは大東亜戦争については国としては、
【1】を批判して【2】を選べば良かったような意見ですが、
個人となると逆なんですね。
2011/5/12(木) 午後 5:28 [ - ]
南満州鉄道の共同経営はアメリカから提案してきたのに、
それを(桂・ハリマン覚書)実行していたら、逆に日米戦争が早まった
恐れがあるというnaomoe3さんの見解は納得がいきません。
『桂・ハリマン覚書』を破棄した直後から、
あきらかにアメリカの反日が始まりました。
だから『桂・ハリマン覚書』を実行し、
あの頃から日米同盟の構築をめざしていたら良かったと思います。
早くから日米同盟の構築をめざさないほうが良かったというのですか?
■確認ですが、
・蒋介石の重慶政府(米国が支援)
・汪兆銘の南京政府(日本が支援)
・毛沢東の延安政府(ソ連が支援)
でいいですよね?
これ以上は書き込まないつもりです。ではまた、いつか^^
2011/5/12(木) 午後 6:58 [ - ]
今度は3千文字を越えそうなコメントが。
私の記事本文を超える他人様からのコメント文字は珍しい
というか多少常識的でない部分を感じます。
カキコされる時間が羨ましくもあり、そんなに
かく時間と文字をこなせるなら自身でブログでも
書けばいいのにと思いましたが造られたんですね。(笑
貴方も戦前の日本が100%悪かったとも100%正しかったとも
思ってないならば、私と歴史の解釈に大きな違いはないと
思ってます。
二日酔いで寝ぼけた眼で今は全文読んで頭に入りませんのと
週末は忙しいので叉時間のある時に書かせてもらいますね。
2011/5/13(金) 午前 6:34