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今でも世界中のほとんどの国の軍隊は陸軍、海軍、空軍と仲が悪いそうです。 なかでも戦前〜戦争中の日本の陸軍と海軍の仲の悪さは特筆すべきものでした。 同じメーカーの飛行機の部品工場の建屋内を陸海軍別に壁で仕切り 其々監督官がおり別々にラインを流し同じ部品をつくり陸軍海軍別々 に納めてました。 あの大メーカーも三菱といえども戦前は似たような性能の海軍の 九六式陸攻と陸軍の九七式重爆をつくり戦時中は海軍の一式陸攻 とその後継機的性格の陸軍の4式重爆飛龍を同時に造ってました。 三菱 海軍 九六式陸上攻撃機 三菱 陸軍九七式重爆撃機 三菱 海軍一式陸上攻撃機 三菱 陸軍四式重爆飛龍 同じ三菱が造る似たような機体なのに海軍仕様の機体は防御力が 無いと言っていいほど脆く、陸軍仕様となると防御力は海軍爆撃機 よりあるものの洋上飛行ができず米艦を洋上で攻撃できないのでした。 日本では手が出なかった高性能液例エンジンであるダイムラーベンツ社の DBエンジンを日本の陸海軍が其々国民の血税から二重に支払い ライセンス権を得て、陸軍は川崎に「飛燕」用のエンジンを造らせ、 海軍は愛知時計に「彗星」のエンジンを造らせたりしています。 もちろん川崎のハ40エンジンとと愛知時計の熱田エンジンはは 互換性がありませんでした。 結果的には2社ともDBエンジンをモノにする事ができず後に 日本製の空冷エンジンに換装され、壮大なカネと時間の無駄使いとなりました。 又戦時中、米国の原爆開発に対抗して日本でも原爆開発チームが 生み出されましたが、陸軍は理化学研究所(二号研究) 海軍は 京都大学に研究を依頼(F研究)別々の2チームが其々相手の チームに秘密を漏らさず事をすすめ、結果的にモノになりませんでした。 尚、学者でもある昭和天皇は日本の原爆開発は非道な兵器で あるとしてお認めになりませんでしたが陸海軍は天皇に秘密で 開発を行っていたのでした。 当時航空機の燃料は3もオクタン違えば速度や上昇力に違いが数%も 出たそうですが、太平洋戦争初期に陸軍が87オクタンか90オクタンの 航空機燃料しか製造できなかった時に、海軍は92〜93オクタンの 高性能なガソリン燃料を開発し大量に精製・製造してましたが陸軍には 門外不出としておりました。 又、海軍は石炭から石油を造りだす「人造石油」をドイツから学び、 その後、実用化させたとハシャイで大予算獲得に成功しますが実は 嘘の実験データを成功と誤魔化し続け、大量な製造・供給は終戦時 まで10年近くの時間があったのに粗悪品の少量生産に終始しました。 当時無駄に終わった人造石油の予算を他の兵器の開発生産に 廻せばかなりの数の兵器を造り出せたのでしたが。。。 ちなみに当時の人造石油開発構想は現在で言えば原子力に替わる 風力やソーラー発電のようなものでした。 石炭から石油を造る技術があったのに、貧すれば鈍するで終戦の 昭和20年になるや日本中では海岸や学校近くの松の木を掘り返し、 役にもたたない松根油発掘に大動員された銃後の国民も「松根油」 が必要と刷り込まれ夢中になって敗戦まで掘り続けるのでした。 ちなみに科学(化学)立国ドイツは年間100万〜200万トンの 人造石油を戦争後半も造り続けていました。 ガダルカナル島争奪戦の後期、日本海軍は米空母を皆撃沈又は、撃破し 修理中のエンタープライズ、サラトガを除き壊滅させましたが、蘭印を 占領し主要な石油資源を掌握した陸軍は海軍の石油融通の申し出を 拒否し結果、石油不足の海軍はこれを口実として消極姿勢に転じました。 (蘭印石油は最大の消費者である海軍は2割、石油を海軍程必要としない 陸軍は8割を管理していました。 ) 陸軍の押さえていた蘭印の石油基地は海軍には融通しないけれども余って 余って川や海に溢れ出てました。 その後昭和19年ともなると陸軍も少しは物分りがよくなり、余った石油 を海軍にお裾分けしますが、日本のタンカーが米軍の潜水艦に重点的に 攻撃されマリアナ、レイテ沖海戦の頃には艦隊に随伴できるタンカーも なくなり、陸海軍民間ともに南方石油を国内や主戦場に送る移送手段が なくなりました。 海軍は米軍の暗号を終戦まで解読できず、日本の暗号は米側に 解読され日本の苦戦は続きました。 最近の研究で何と日本陸軍は米軍の暗号を戦時中に解読できて いた事が徐々に判明してきました。 でも陸軍が海軍に米軍の情報解読を(戦争中にも関わらず)教える事は 全くありませんでした。 海軍は海軍で昭和19年3月連合艦隊参謀長福留中将が米軍ゲリラの捕虜 (海軍乙事件)となって日本海軍の最高機密暗号書が全て漏れてしまった事を 恥ずかしいのか?陸軍に内緒にしマリアナ沖海戦やレイテ決戦への ミスリードなどで陸軍を大いに苦しめます。 米軍の航空機は陸軍も海軍も海兵隊も同じ7.7ミリ12.7ミリ、20ミリの機銃 を使い弾丸も鐵鋼弾中心で口径の異なる上記3機種の銃でも十数種類の 弾丸種別でしたが、日本は7.7ミリ12.7ミリ、20ミリ陸海軍で其々規格が 異なり日本の場合、陸軍や海軍の場合だけでも同じ7.7ミリや12.7ミリでも20ミリ 機銃でも2.3種類あり弾薬の種類も多く(海軍だけでも100種類以上の弾丸) 調達、生産、輸送、配備に手間がかかりました。 日本の30倍以上弾丸を製造した米国が種類が少なく、省資源国の 「持てざる国」日本が陸海軍バラバラな規格で別物を使っていたとは・・・ 考えさせられます。 この反省から戦後JISのような工業規格が新たに設けられるのですが。。 昭和18年後半になるや陸海軍で大学生の青田買い(学徒動員) がはじまります。 学生には海軍に分があり戦争中は士官待遇で戦争が終わると シャバに戻れる海軍の「短期現役士官」が人気でした。 ついに陸軍も赤紙召集だけでなく学生から志願を増やすよう 海軍を真似た短期士官の募集を行いました。 昭和20年春の沖縄戦で水上部隊を全滅させ艦艇も備蓄石油の 無くなった海軍には特攻しか戦う手段は残ってませんでした。 本土決戦の迫ったこの時期、陸軍はフネのない海軍は用無し と言わんばかりに陸海軍の一体化(実態は海軍の吸収)を推し進めます。 暫定的に米軍の日本本土上陸前の2ヶ月前に海軍(特に陸戦隊)は 陸軍への吸収がまとまりますが、誰がいつ2ヶ月前と判断できたのでしょうか? 海軍は陸軍の下に組み敷かれるくらいならと「終戦の道」 を選んだのではないか?。。。と勘ぐってしまいそうな私がいます。 戦前日本の失敗は節約とか統制とか言いながらも陸海軍が似たような モノを二重に異なる企画で作り続け、他の列強に比べムラや無駄が 多かったように思えてきます。 陸海軍同格の反目は戦前の失敗ですが、明治憲法がよくないとか、 昭和天皇が若過ぎたとか、陸海軍二元統師の弊害とか巷伝えられてます。 でも実は明治時代の日本の陸海軍は世界標準よりも逸早く 統合されてました。 しかしその後、海軍が画策して天皇以外の言う事を訊かなくなり、 太平洋戦争では海軍自らが勝てない米国に戦いを仕掛けて国を 大敗戦に導きました。 太平洋戦争では緒戦や後半も現地の陸海軍部隊は協力、強調 して戦った部分も多々ありましたが最後まで「統合運用」 できずに敗戦に追い込まれ海軍の戦争から「一抜けた〜」で 大戦争の終止符が確定的となりました。 海軍と開戦、終戦の関係をもっと知りたいと思います。 海軍関係については関係者が隠し続け、戦後に美化し 創りあげ垂れ流した「善玉神話」にも事実が照射される 夜明けが近いような気がします。 もしも、たらればの話となりますが山本五十六が撃墜されず、 又自殺もしなかったら東京裁判でA級戦犯となり刑死となって いたのではないでしょうか。 日本ブログ村にエントリー中です。 https://history.blogmura.com/his_meiji/index.html |

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資源がないのに無駄な対立があったのですね。
驚きです。
こんなくだらない対立に巻き込まれた
当時の国民や軍人に言葉では言い表せない感情がこみ上げます。
2011/9/6(火) 午後 9:26 [ 火事場のカジマヤ〜 ]
米軍は日本海軍の暗号解読はできても、
陸軍の方はできなかったようですね。
2011/9/6(火) 午後 10:44
勉強になりました〜
靖国神社の戦闘機には
メルセデスのV12が搭載されてましたよ〜ライセンス物なんでしょか?
2011/9/7(水) 午後 10:27 [ blu*ru*ner1*0x*h ]
火事場のカジマヤーさん
戦前の日本は無駄が多かったようです。
海軍も戦車作ったり、陸軍も潜水艦や空母も
建造してました。
終戦で陸海軍は退場しましたが軍需省は通産省に
名を替え戦後も戦争中のような統制ごっこを
行ってました。
2011/9/8(木) 午前 7:03
たつやさん
海軍は無線で暗号飛ばしまくってましたが
陸軍は人(参謀)を派遣したりであまり無線を
使用しなかったようですね。
2011/9/8(木) 午前 7:04
ナカ爺ィさん
靖国遊就館には一度参りました。
愛知の急降下爆撃機彗星とそのエンジンが
展示されてあったと思います。
金でライセンス権を手に入れても
日本の技術工作力で真似るのは無理との
判断をすべきでしたが。。。
2011/9/8(木) 午前 7:08