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ついに福岡県立図書館で戦後最初に出版された戦記本を見つけました。 「軍参謀長の手記」著者友近少将はレイテ戦(地上戦)で35軍の 参謀長で鈴木宗作司令官の戦死のあと実質的にレイテ島やミンダナオ島 での作戦指導を行った人物で終戦後、捕虜となりそこで戦史の伝承 を目的に描き上げたこの「軍参謀長の手記」を生残って日本に帰る 従軍記者に手渡し「出版も可なり。」と伝えたため、翌年の 昭和21年5月出版され戦後初の戦記本となり、予想外の日本軍 戦いの不振さにの戦後にこの書を読んだ人達は失望感も味わったようです。 新書くらいの大きさです。 レイテ戦で一番有名な書物作家大岡昇平の「レイテ戦記」の中に 友近少将が冷酷かつ前線将兵に手厳しい人物イメージで描かれていますが、 友近少将の手記を読みすすむと、戦後の参謀戦記にありがちな責任転換等の 言い訳や虚飾はなく、自己批判とまでは行きませんが己の作戦指導の過誤を はっきりと認めた上で、日本軍の米軍に対する情報や認識の疎かさ、 日本軍の各師団長や指揮官の批判を堂々展開しています。 大岡昇平氏自身もこの「軍参謀長の手記」をかなり参考にしてたようです。 参謀戦記といえば辻・服部・八原・瀬島など手柄は自分の功とし 敗因は前線部隊がだらしないとの責任転嫁が多い「作文戦記」が 多いのですがこちらは以下のように 第16師団牧野中将米軍上陸後、まったく連絡がとれない。 第1師団の片岡中将は決戦師団と期待されたのに慎重(臆病?)過ぎ。 第100師団の福栄中将は統制に服さず連絡なしで撤退が多い 第102師団の原田中将は部下が餓死しても自分は最後まで贅沢に 米や鶏を食べていたが部下には卵一つ与えなかった。 等々と日本軍の上級職への批判的な人物評が多いためGHQ(進駐軍)側に 「日本軍の堕落イメージ」創出に逆利用された嫌いがあるようにも思えます。 私的にも確かにレイテ島戦での陸軍の師団長や指揮官は 困った人物が多かったのも事実であると思います。 また海軍の「台湾沖航空戦」虚報隠蔽によりルソン島での 持久構想からレイテ決戦に変更となった現場の混乱や 海軍と陸軍の反目も真実というか真相の告白調で語られています。 友近少将はレイテ決戦の敗因はレイテ上陸後の米軍進撃が速かったこと、 日本軍の指揮官が近代戦(対米戦)に慣れてなかったこと。 日本軍は航空決戦主義の幻想に囚われ過ぎて縦深防御 陣地よりも、水際陣地や飛行場設営に時間と手間を取られ、 結果的に米軍のために飛行場を造って献上したようなもの・・・ といった当時にしても敗因を的確に分析されています。 県立図書館のこの本は印刷後65年を経過し、日に焼けた 古新聞のような状態で取り扱いに注意する必要がありますが借りれました。 こういう蔵書が未だまだ閉架書庫に隠れてる福岡の図書館は 今後も利用価値がありますね。 当時の軍人さんや関係者が著書で 「何を語り、何を伝え、何を隠そうとしたか?」 という視点で読むと何でも面白く読めるものですね。 日本ブログ村 散歩・ウォーキング人気ランキングに参加しています。 この情報が役立ったと思う方は? いないと思いますが。。。 ポチッと宜しくお願いいたします。 https://outdoor.blogmura.com/walking/index.html |

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図書館で新刊コーナーにあったので読んでみました。
『特攻の真意 大西瀧治郎和平へのメッセージ 』
昭和二十年八月十六日に壮烈な割腹自決を遂げた大西中将の遺書は、神風特攻の命令を下し、戦争継続を激しく主張していた人物が書いたとは思えない世界平和を願う言葉が綴られていた。その遺書の意味を考え続けていた大西の元副官・門司親徳は、元特攻隊員の角田和男がダバオの基地で耳にした「特攻の真意」を聞いて、長年の疑問が氷解していった―あの戦争の「空白」を埋める衝撃のノンフィクション作品。
2011/10/22(土) 午前 10:03 [ 新千暖荘 ]
新千暖荘さん
おはようございます。
この手の書物は好きなので角田氏の「修羅の翼」や
門司親徳の書も読んでおります。
大西中将は実は海軍随一の合理精神を持つ方で
真珠湾攻撃の内心反対、ライターと蔑称された海軍攻撃機に
いち早く燃料タンク防弾を進言したりロケット爆弾の開発を
命じたり名より実をとる人物のようです。
特攻も比島で「ここまでやっても負けた」と限定された
作戦でしたが最初の効果に幻惑されて特攻拡大に流れ、特攻犠牲者
が増えると終戦反対となるわけで多少神がかってしまいましたね。
2011/10/22(土) 午前 10:25