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12月5日の沖縄ウォークの続きです。
沖縄本島南岸の具志川城から直線600メートルの距離なのに 海岸線は断崖であり危険で歩けません。 しかたなく内陸部の路らしき部分に戻るも造成工事中で 最短路を通れず迂回し2キロも遠回りし喜屋武岬に到着しました。 12月10日のGPS実測図 時間は14時から14時半の部分です。 http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=80be3c32ffd610b1bfd071636bc23873 このあたり軽自動車が一台通れそうな狭い道幅の道を直線的に 歩こうとすると必ず行き止まりや道路が途切れてしまい 先に進めず180度ターンで戻るしかありません。 本土なら考えられないが何故あと50メートルも歩けば大きな道に 出会うのに数百モートル戻って迂回しないといけないのだろう?と正直思ったです。 何故か行止りの道多し 私が思うに以前農作物を盗む人が居たりして捕まえやすいよう 直線的な抜け道(ショートカット)をワザと作らないのかなぁ? と勝手に思いました。 この日は風が強く砂糖キビ畑を歩くと砂糖キビが揺れる。 思わず「ざわわ〜、ざわわ〜」と大声で歌ってみると 造成工事中のオジサンが呆れ顔で私を眺めており少し恥ずかしく思った。 そういえばこの辺りで、農作業や工事をしてる人と狭い道で すれ違って挨拶してもあまり返事が帰ってこない。 喜屋武岬へ歩きながら、少し沖縄の人について考えてみた。 よく沖縄の3Kという言葉を見聞きする。 米国のkkkでも野茂の三者三振でもなく、キツイ、汚い、危険 でもなく、基地、観光、公共事業であるが悲しい事に経済依存型である。 この3つが沖縄の収益の大部分を占めていることが、沖縄の悩みでもあるようだ。 3Kともに外部依存型なので基地問題以外にも観光・公共事業に関しては 県外からのヒト・カネ・モノ(略して3M)を必要とせざるおえない。 だから3Kからの脱皮を心掛けるも具体的には変わっていない。 何十年も前から3K脱却をすすめながら成果が無いのは何故だろう? 沖縄の人は優しい人が多い、不遜な言い方ですが私は沖縄の人は 競争を避け、他人にも優しいが自分にも甘えてる人も多いように 県(圏)外者の私もにも感じる。 過激な論法ですが戦前の日本は何故、明治には大国の支那(清) ロシアに勝てたのに昭和前半の日本はアメリカに負けたのか? いろいろな考え方ができるが清、ロシアに勝てたのは当時の 日本人全般の知能がシナ人やロシア人を遥かに上回っていたからだと思う。 日本人も明治維新当時は識字率も低かったが僅か2〜30年で 軍隊(特に海軍)は上の者から下の兵士まで専門の精密な武器を 上手く操り微分積分の算数までこなし、明治時期は各前線でも現場の 知力でもシナ人ロシア人を圧倒した。 しかし昭和前期の日本人は神がかって大和魂120%状態となり、 機械化や科学を疎かにし殆どがんどがハイスクール出で車が 運転できる米兵が操る戦車に肉弾で戦う愚を犯した。 何故?そんな愚を犯したのか? やはり当時の日本人は米人に比べ上は将軍や政治家から下は 二等兵や国民大衆まで米人に比較して頭脳のレベルや物事の考え方 進め方で劣っていたんだと思う。 つまり、敗因は物量や工業力だけではないと思います。 そもそも昭和16年で米国に戦争を仕掛けようとした時点で 日本のエリートは中長期的に物事を見据える冷静な頭脳を失っていた。 昭和の為政者や軍人達は㍼年当時、60年かかってようやく黒船を 追い抜けると思ったが黒船は黒船で進化変化を遂げていたのである。 同じように沖縄の3K依存と不況や県外依存体質からの脱却 できないのも沖縄県民が教育や知能で負け続けているのではないかとも思う。 (沖縄の方にはすみません。。) 要は日本は明治も終戦後も何もない処から再出発しながらも 沖縄は「琉球処分」や「米国統治」で沖縄だけ2度ともスタートダッシュ で乗り遅れた感はあるのですが、シンガポールや香港も沖縄より 小さな小さな面積の国なのに何故あれだけ発展できたのか? やはり突き詰めて考えれば学力・知力の差が現在の発展と 停滞(補助頼り)の明暗を大きくしたのではと私は思った。 何故に沖縄は毎回最下位の全国でワースト1の低学力から抜けだせない のかと思えるし・・・・・ 沖縄の学校の先生達ははプロ意識に欠けるものがあると感じる。 愚痴というか脱線が長くなりました。 (日本も沖縄も私自身の将来も心配です) すいません、ウォーキングに話を戻します。 紆余曲折の道を歩き喜屋武岬に到着しました。 ここは平和の礎がある摩文仁より5キロ程西側 ですが本島南部を守備していた第62師団の終焉の地です。 海に面して平和の塔がありました。 御遺骨1万柱を収容し奉納したと碑に書かれてましたが。。 写真は高度感がないのですが沖縄戦末期に日本の将兵や県民が ここから身を投げたともいわれています。 岬には無人灯台がありました。 喜屋武岬灯台は戦後の昭和40年代に立てられたそうです。 沖縄戦で有名な参謀八原博道大佐は昭和20年の6月摩文仁を 脱出してこの周辺で民間人になりすましていて米軍に発見され 投降し捕虜となりますが、捕虜生活を終えて日本に戻る船上にて つはものの血をもて染めし喜屋武岬 緑に和むときぞ悲しき 詠んでいます。(どんな心境だったのでしょう?) 実は本当の本島の最南端は東側1キロ先の 荒崎という突端(上の写真の上部)らしいですが 海岸線を歩くと危険なので荒崎に行くのは諦めました。 ここまで那覇空港から21キロ歩いてました。 元敵国米海兵隊らしきヘリが飛んでました。 喜屋武岬から束里・山城という地域の農道を 通って魂魄の塔に向かいました。 (明日以降に続きます) 日本ブログ村 散歩・ウォーキング人気ランキングに参加しています。 この情報が役立ったと思う方は? いないと思いますが。。。 ポチッと宜しくお願いいたします。 https://outdoor.blogmura.com/walking/index.html |

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フジテレビの加藤綾子がチクビを披露した放送事故動画をご紹介!
加藤綾子がバラエティ番組でゲームに挑戦した際にエキサイトした加藤綾子の胸元からチクビが見えて放送事故となったそうです
j2238
2011/12/16(金) 午前 0:07 [ 動画探偵団 ]
こんばんは。
道がなくなるのは辛いですね〜。
迂回して歩くの相当堪えると思います。
お疲れ様でした・・・。
ポチ☆ですね。
2011/12/16(金) 午後 6:34 [ 陸かめ ]
陸かめさん
こんばんは
地図や飛行機の着陸前の景色では海岸線
歩けそうに思えたんですが。。
しらない場所なんで道が読めないと不安になります。
迂回や雨や風も強く結構途中で精神的に疲れました。
ポチっとどうもありがとうございます。
2011/12/16(金) 午後 8:07