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最近、映画シンゴジラの人気の影響でしょうか? アクセス解析で調べると6年以上も前に投稿した第五福竜丸の事件記事に 毎日2〜30名の方のアクセスがございます。 よって文字を大きくしたものを再投稿しておきます。 知られざる歴史【42話】 第五福竜丸事件被爆事件の真相XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX戦後の日本国民を徹底的な核アレルギーに陥らせた事件に米国の水爆実験による白い灰を被った「第五福竜丸事件被爆事件」がある。 この事件は当時報道された内容は偏向していた事が判明しつつある。 【1】 事件のあらまし 1954年(昭和29年)3月1日午前3時50分、静岡県焼津漁港の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」(乗組員23名)太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁近くで、米国の水爆実験による死の灰を浴びる被爆事件が起こった。
米国は1945年世界初の原爆を実用化し日本に二種類を投下、以後米国の核独占が数年続くがソ連が1949年に原爆を開発しその勢いで1953年には水爆まで実用化する。
ソ連に遅れまいと焦った米国は広島原爆の千倍の威力を誇る水爆実験を太平洋のマーシャル諸島で断行、この実験で危険地帯から離れていた日本の漁船第五福竜丸も被爆した。 水爆実験3時間後の午前7時頃、白い灰が雨といっしょに降り始めた。
白い灰は第五福竜丸の甲板に足跡が残るぐらい降った。 第五福竜丸の船長は事前に水爆実験の通知を受けており安全地帯にいたが被爆した。 被爆後日本への帰港コースを取るが船長の判断でSOSは発信しなかった。 SOSを発信した場合は米国の飛行機や艦艇により証拠隠滅の為に撃沈射殺 又は拉致されると船長達は考えており低速5ノット(時速9キロ)で3000キロ以上も離れた日本をめざしたのだった。 被爆後2日目から乗員達に異変がおこり、顔色が変色し、髪が抜けたり
頭痛,吐き気,目まい,下痢等の症状が出た。 それでも第五福竜丸は電波を発信せず航行を続け母港の焼津港についたのは 3月14日で被爆後2週間を経過していた。 日本では昭和20年の原爆に次ぐ核被害に大騒ぎになり乗員23名は
緊急入院、船倉の冷凍マグロからも異常な放射能値が出た。 23人の乗組員は二つのグループに分けられ、入院して治療を受けるが, その年の9月に無線長・久保山愛吉(当時40歳)が放射能症の悪化により死去、第一の犠牲者となった。 残る22人は,とりあえずはその後無事退院するものの,後遺症に 悩まされ,死の恐怖と隣り合わせの人生を送ることを余儀なくされる。 2003(平成15年)年までに亡くなった乗組員は計12名で,うち 10名の直接の死因は肝臓ガン、あるいは肝機能障害によるものであったと されている。 事件から50年も経過すれば死が全てが放射能の影響によるものなのかは 判別できない点もあるのだが。。。。 ビキニ水爆実験の後、日本本土でも放射能を含む雨が観測されるようになり,
いっそう人々の不安をあおった。 広島、長崎の原爆投下から僅か9年目で日本だけがこんな災禍を 再度(3度)も受けるとは、と日本の原水爆禁止運動は社会党共産党の 音頭取りで俄然盛り上がった。 もちろん当時の国民も反核運動に感化され核兵器を開発し続ける米ソに 対する日本世論の反発は日増しに強くなっていった。 全く謝罪しない米国との交渉に弱腰の日本政府は焦りわずか200万ドル (約7億2千万円)の「見舞金」(賠償金ではない)と引き替えに, 政治決着にふみきった。 尚米国側は久保山氏の発症原因は放射能だけでないと主張していた。 死亡した久保山氏を除く第五福竜丸乗組員22名に渡された見舞金は, 平均でおよそ200万円という当時としてもわずかなものであった。 翌年1955年広島で第1回目の原水爆禁止世界大会が開かれるまでに 発展し、その反核運動は当時より下火になったとはいえ今日に至っている。 しかし世界の趨勢はその後も核開発保有国は増加の一途である。 【2】第五福竜丸事件の真相(裏側)
ビキニの水爆実験は計画値の三倍も大きな爆発であり爆心地から150キロも離れた安全地帯でも被爆者が相次いだ。
もちろん、この水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではなかった。
米兵28名とマーシャル諸島の住民役200名がこの実験で被曝したという。 又、当時太平洋上で操業していた900隻にものぼる日本の漁船も被曝したと考えられている。 遠洋漁船ばかりなので仮に1隻10名乗組みとしても1万人近くが被爆した可能性がある。 では何故、第五福竜丸だけが大きな問題となってしまったのだろうか?。 実は被爆半年後に亡くなった久保山愛吉氏の死因は水爆放射能の被爆より、
慌てた日本側の病院医師達が良かれと考えて行った大量な輸血血液による 肝炎が原因だという。 (高田純 核爆発災害より)。 つまり放射線障害が直接死因ではなく売血時代の輸血血液(黄色い血液時代)のなかに肝炎ウイルスが混在していたからではなかろうかと?。 日本の医師団は米軍側からの被爆者救助への情報提供が皆無だったから
としているが、この肝炎説で考えると第五福竜丸以外の900隻の
日本漁船員やマーシャル諸島の住民から被爆半年以内直後の死者が
でてないことから信頼性も説得力もある。
もちろん被爆米軍人もビキニ島民も、その後長年にわたり被爆による
後遺症、白血病や癌に苦しめられて行くことに変りはないのだが。。。 日本側ではビキニ水爆実験と第五福竜丸事件は事実以上にセンセーショナルに マスコミや社会党・共産党に取り上げられ水爆から誕生した怪物ゴジラの 映画が製作され国民の「反戦」「反核」運動を盛り上げた。 この事件以後の日本人は大人も子供も「核」や「放射能」を理詰めで 知ろうとはせず西洋中世での「魔女」のように「放射能」を恐れるようになり、実はそれは今でも続いてるのである。 実は日本は1960年代の中国のよる核開発保有に対抗すべく国産の核弾頭開発に着手しようと本気で考え、そのためにこそ科学技術庁を発足させたのあるが遂に歴代政府関係者は国民感情(核アレルギー)を憚り科学技術庁にはその後も本来のタスク=仕事をさせては来なかったのである。 【3】余談
私は高田純教授の「核爆発災害-その時なにが起こったか」を読み
第五福竜丸事件の真相を知りました。 私は読後(2007年6月)に感想を本ブログ 核爆発災害-高田純 希望の良書と書きました。
今でも東京都の運営で夢の島の資料館に第五福竜丸は
展示されています。 第五福竜丸も被爆後も東京水産大学で練習船として10年以上使用されました。 しかしこの資料館を見学しても犠牲者、久保山愛吉氏の本当の死因を 知ることはできないでしょう。 核の原爆及び水爆被害を受けた日本国民は被害悲惨さを世界に訴えるのも 方法のひとつです。 「怖い!」「恐ろしい!」「絶対保有すべきでない!」だけの思考停止 よりも、いかに核災害(攻撃含む)から身を護るか? 広島・長崎原爆でもどうしたら被害を局限できたのか? 今後も核から身を護るにはどうすればいいのか? という視点も今後の日本人は重視して行くべきではないでしょうか? xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx 感想は人により其々でありましょうが 自分ながら何でも決めつけようとす固定観念からの解放を意識した文章 であっとように思います。
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