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本日は詳細は省きますが意外と多くの方にもご迷惑を
おかけしてしまい疲れた一日となりました。(謎
ブログは正月に門司港を散歩したときに撮影しました
軍馬の水飲み場跡についてです。
場所は門司港と下関市を結ぶフェリー乗り場近くです。
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過去の戦争で日本から出征した軍人は300万人以上に上り
ここ門司港からも100万人以上が出征されご苦労であったと
思いますがそれでも軍人の半分は引き揚げを含む還る事ができましたが
軍馬は敵の機銃掃射なども目標となったり歩けなくなると腐馬として
毒殺されたり残地させられたりで明治以来日本から軍馬も100万頭以上が
出征したそうですが戦争に勝っていた時代でも日本に戻った馬は殆ど
いないそうです。
戦地では新兵の二等兵より馬の方が大切にされたとも聞きますが
やはり人間の方が生還率が高いですね。
現在の馬の出征は8千〜9千頭で寿命は約30年だそうですが
昔は農耕馬として多数の馬がいましたが、人と同じで馬も産めよ
増やせよの時代だったのでしょうか?
戦記本等では日本の軍馬は外国の軍馬に比べ小さく劣った等との
記述がありますが、実際は戦国時代の馬は世界標準であり甲冑武者と
装備合わせて130kg以上を載せて走れる体格体力がありましたが、
江戸時代となり扱いやすく燃費のいい(小食)小型馬が重宝され
小型化しますが明治以降の軍馬の要求で再度外国の血統も入れて
大型化持久力の強化に繋がる強化育成を行ったようです。
私の母方の祖父は農業を営んでましたがシナ事変では二度招集
され輜重兵として軍馬とともに大陸を転戦したそうですが三度目は
軍馬はいなく南方戦線のフィリピンで戦死したと伝えられています。
こちらは軍人と同じく戦争に出征した軍馬の水飲み場跡です。
当時は周辺に10ヶ所程あったようですが今はここだけ。。
輸送船に乗り込む間際に人も馬も日本の水を腹いっぱい胃に
流し込んで出征したのだと思います。
尚、門司区清見の西正蓮寺にも軍馬塚があります。
尚、昔に比べ現在の日本の馬は幸せか?という問いかけに
私はうまく答える術を持ち合わせませんが、昔も今も飼い食べさせる
人間により大きく左右されるので天寿を全うできる馬も数少ないようです。
今でも競馬の馬も走れなくなると処分されますし、最初から
畜産動物として人間に食べられるために生まれてくるのですから。。
昭和20年の敗戦で大陸に置かれた馬は食料を求めて彷徨い
一部がモンゴル平原やパミール平原等に辿り着いて牧草を
食べ自然の野生馬に戻って長生きした日本産の元軍馬もいたであろうと
・・・思いたい私です。
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馬も人も結局は使い捨てだったわけですね。
人だけが自分の意志を表現できるため、帰ってこれたという事なのでしょうね。
2017/1/24(火) 午前 6:54
> 大納言兼加賀守さん
おはようございます。
戦争は3Ⅿ、ヒト、カネ、モノを集めた方が勝ちます。
日本の軍馬についてはガソリンでトラクタやジープが動く時代に馬に餌と水を探し与えながら重量物を曳かせるわけですから機動力発揮ができず、各戦場に3Ⅿを集中できませんでしたね。
結果論ですが役に立たない戦車を造らずトラックを造るべきでした、南方や離島じゃ馬も活躍できませんでしたし。
2017/1/24(火) 午前 7:34
こんばんは。
小倉城の敷地内、八坂神社にも軍馬忠霊塔というものがあります。ウコンさんがご指摘されているとおり、馬は大事にされたのでしょうが、いかんともしがたい状況だったようですね。
拙ブログのJRウォーキング小倉の街満喫編でも触れておりますのでよろしければ。。
2017/1/24(火) 午後 7:45 [ Jey(表示改) ]
> Jey(表示改)さん
おはようございます。
以前八坂神社の忠霊塔も撮影してるんですが
パソコン内の写真探しきれませんでした。
日本の軍馬は普段は兵隊さんより大切に
されたようです。
馬が病死して馬担当の兵隊さんが怒られて
自殺なんて悲惨な話もあったり。。
はいブログ読ませていただきますね。
2017/1/25(水) 午前 7:45
「愛馬進軍歌」
https://www.youtube.com/watch?v=4Nwh3iT6E3Q
「愛馬の別れ」は、見つかりませんでした。
2017/2/12(日) 午後 6:44
> tatsuya11147さん
どうもです。
2017/2/13(月) 午前 7:23