涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

無題

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 私は小笠原諸島にには行った事はありませんが個人的には
日本最奥の秘境が小笠原群島ではなかろうか?と思います。
八丈島でさえには昔、マイル修行で行こうと想いながら未訪です。

今日は日本が小笠原群島を領有する過程をかいてみます。

殆どの日本人は父島や母島を含む小笠原群島は東京都から
1000km以上も南の海に或る事は知っており、伊豆諸島
のように太古の昔から日本人が住んでいた固有の領土と考えてます。

実際には19世まで日本人は全く住んではおらず、逆に米国人や
ハワイからの移住民、英国人達が漁業や石炭補給基地を造ったり
既に入植したりで実に日本にとり危ない状況から明治政府の信じられない
程の頑張りで明治9年に正式に日本の領土に至るのでした。

小笠原にも遺跡などから古代人がいたようですが、15世紀にスペイン人や
オランダ人が小笠原群島を確認したようですが無人島であったようです。

その後は1827年に英国の測量船が領有宣言の木版を設置し
1830年には英国から民間人が20人入植(女性含)その後も次々と
白人、黒人、ポリネシア人が移住します。
また日本に強引に開国を迫った米国のペリー提督も1853年に
黒船用の石炭と真水の補給基地用の用地を島民から買取ります。
この同じ年にはロシアのプチャーチン提督も父島に寄るほど
国際的な往来のある島となっていたのです。
当時は帆船から蒸気船に替わる時期で蒸気船となって風や海流の
影響を受けにくく何処にでも航海可能となりましたが、反面では
石炭と真水(食料)が無いと逆に動けず、航続力も帆船じだいより
かなり短くなってしまい太平洋上の島々が石炭・水・食料の積込場所
として注目されていたのでした。

しかしオランダ情報のみに頼った幕閣や諸藩は最近やたらと
異国船が近海に出入りするので攘夷思想と武力で追い払おうとしていました。


日本はまだ幕末の江戸時代で、しかも日本人は島流しの罪人も
住んであらず、完全に出遅れるどころかスタート地点にも
並ばせてもらえない状態でした。

日本側の小笠原群島と係る歴史では、戦国時代の終わり頃の1590年に
信濃の小笠原貞頼という武将が豊臣秀吉に「戦功に見合う領地が欲しい」
と願い出たところ「新しい島を発見し領地とせよ」と秀吉に下知され実際に
船で南下したら小笠原群島を発見したとの伝承があるようですが伝説です。


実際には1670年に紀州の蜜柑船が漂着したとか、その情報で江戸幕府が
小笠原に探検船を出したとかその際石造りの領土宣言の碑を設置したらしい?
のですが、鎖国に進んでいた日本は航海術がたったの50年で衰退し天測航法も
困難となり伊豆諸島から南の海域にはすすめなくなり縁が無くなりますが、
1847年に小笠原の父島に補給で訪れた米国捕鯨船フランクリン号の副船長は
後に通訳で有名となるジョン万次郎でしたが、この時も日本人は誰も父島で
生活していませんでした。

ペリーやジョン万次郎等から小笠原群島の情報を手に入れた幕府は
米国英国に対し伝説であり神話となった先の小笠原群島は小笠原貞頼は
豊臣秀吉から貰ってというか発見したという話で巻き返したようです。(笑
日本からの小笠原移民(植民)を検討し、1862年から八丈島から移民団を
送り出し入植しますが、父島はやはり英国の影響力が強い土地柄と生麦事件で
薩英戦争が起ったり攘夷運動の影響で、危機に瀕した日本人植民者は小笠原から
撤収しさせた方が安全と考え幕府は日本人の島民を引き上げます。
(当時の江戸幕府は島民に優しいですね)
そして日本人が島に済まないままで明治時代を迎えます。


明治政府は江戸幕府以上に欧米的国際ルールを遵守しながら日本周辺の
島々を領有しようと手際よく動きました。
北は樺太から千島列島、竹島(今は韓国が不法占拠)、南は琉球
北方の領土は強国のロシアと琉球はこれまた強国の大清帝国と
交渉を続けて領土と領海を拡大しました。
(こちらもポイントは日本人は殆ど居住してない地域です)

小笠原群島に関しては交渉国は世界最強の領土を保有する英国で
英国的には1827年に領土宣言までしていました。
ペリー提督の意思で米国も米国人を首長に仕立ててハワイのように
自治政府の樹立を宣言したこともありました。

1873年(明治6年)英国は日本側に日本人が全く住んでいない
小笠原を事実上日本が領有していないも同然であるので正式に英国領と
するための動きがあると通告してきました。
1975年(明治8年)になるや実際に英国は軍艦を派遣することを
日本側に伝えますが、慌ては明治政府は泥縄で小笠原調査団を仕立て
急遽明治丸というお召し艦で英国軍艦を追うように小笠原に向かいます。

現在も重要文化財として東京海洋大学に展示中(見学は無料のはず)
イメージ 3


小笠原には英国軍艦より二日早く到着した調査団という名目で上陸した
外交団は二日間の間に必死で島の白人や黒人やポリネシア系の島民に説得を試みます。

島民に対しどういう裏交渉が行われたのかは私は判りませんが、英国の軍艦が
表れた時点で全島民が日本への帰属を表明していたので英国側は意義を唱えませんでした。
これは歴史的に「奇跡の二日間」とも謂うべきでしょう。

そして翌明治9年に世界中に小笠原群島が日本領であることを世界に通知します。
米国も米系やハワイ系の住人が居住してるのに反対せず日本の領有が
世界に認められたのでした。

英国の場合、日本や沖縄を経由しないと船で小笠原を往復し難い
事はあまりにも遠隔地であり小笠原に投資しても実がとれず管理費用
の元がとれないと考え淡泊に引き下がったかもしれません。

当時の大英帝国は最盛期で世界中から、土地や富を奪う事はあっても
分捕られる事は全く無く、時には海賊行為も平気で行う英国軍艦が
航行すると航路を避けていたような時代に、日本だけが見事に奪取に成功しています。

生麦事件で英国人が1名殺されただけで幕府から多大な賠償金を受け取り
更に鹿児島湾に大艦隊を送り砲撃しまくった大英帝国ですよ。

でも英国側も薩英戦争でイーブンに持ち込んだ薩摩藩単独よりも
大きな連合体に思えた明治国家とは事を構えたく無かったのかもしれませんけど。

余計ですが世界最大の英帝国に一歩も譲らなかった明治の政治家と
世界最貧乏の国が犯した日本国民拉致事件を解決できないままなのに
自慢げに人気取り気分で青バッジを背広に着けては日本政治家の弱さと
怠慢を見せつけられるに心が軋みそうです。

ともかく、明治政府が頑張ってくれた小笠原群島があるおかげで
日本の領海や排他的経済水域は大きく南に膨らみ、南の沖ノ鳥島
(東京から2000km)、南東の南鳥島(東京から2000km)と
日本本土との間を小笠原群島が中間ゾーンとして繋がってくれてます。
ちなみに東京から2千キロ、小笠原群島から千キロと離れ沖ノ島や
南鳥島の住所はもちろn東京都小笠原村でありますが詳しくは

沖ノ鳥島 〒100-2100 東京都 小笠原村 南鳥島 
            1番地(北小島)2番地(東小島)
南鳥島  〒100-2100 東京都 小笠原村 南鳥島


もし小笠原群島が日本領でない場合、沖ノ鳥島や南鳥島はあまりにも
日本から離れすぎており日本領とは認めらなかったかもしれません。
実際に中国は自らは南沙諸島や尖閣で様々な問題を起こしながら、日本が
領土と主張する沖ノ鳥島は石や岩の欠片に過ぎず領土は笑止とイチャモン
をつけまくりです。

南鳥島 一般人は上陸できません。
イメージ 4


 
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沖ノ鳥島  中国も台湾も韓国もただの人の住めない岩で日本の領土として認めるも
      排他的経済水域とは認めようとしません。 
      住民と経済活動が必要です。
      凄いカネがかかりそうです。 今までも1千億以上投じています。
イメージ 5



 
 世界には200もの国がひしめき日本の人口は世界で10位ですが
国土の広さは61位では一億人が住むには狭いですが、領土と領海(18海里)
を合わせた広さは世界で9位か10位ですが排他的経済水域(200海里)を
合わせた面積は世界6位と上昇します。

こちらは嬉しい誤算? 西ノ島の新島となる大噴火

イメージ 2


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イメージ 1


 
 しかも2013年に海底から大噴火し大きく成長を続ける西ノ島は
父島から130海里西方ですから上の図のピンクの部分の隙間も排他的
経済水域となる事から少し白くなるわけですね。

現在の小笠原群島には父島に2000人、母島に500人が暮らすそうですが
細かく分けると明治以前からいた「欧米系島民」第二次大戦まで住んでいた人
と子孫「旧島民」第二次大戦後の米統治から日本へ返還後に島に渡り暮らした
「新島民」に分かれるそうですが、旧島民が返還後に東京?から島に戻ると
かって住んでた場所を「欧米系島民」に住まれており、かなり揉めたような
事もあったようです。

どちらにしろ、海洋資源やエネルギーが世界から注目される日が近づき
もしかすると日本どころか世界のエネルギー大国となる可能性をひめた
海域を領する事になれば明治政府にも日本に帰属してくれた島民にも
国民が感謝する日もそう遠くはないのかもしれません。


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排他的経済水域内に熱水鉱床、マンガン団塊やハイドレート等が見つかっています。後は経済の問題、技術が進歩し現在の価格に比較し易く手に入るようになれば日本は20世紀と違って資源大国になるかもですね。
私達が中学生の頃、社会科の教師が「石油はあと30年でなくなる」と言っていました。当時の経済で儲けが出る試掘可能な地上付近の推定埋蔵量から計算した結果なのでしょう。あれから50年、石油が枯渇するどころか海底油田、米国のシェールガス開発、正に技術と経済の問題になり、石油の枯渇はとんと問題にされなくなってきましたね。そもそも原油の素は古代の生物の死骸・・・と教わっていましたがシェールガスをみていると果たしてそうなのかな?と思っています。日本が深海の開発で原油等が経済的に成り立つ頃は・・・、日本はどうなっているのか・・・、まさか軍事大国の道を・・・。

2018/2/11(日) 午後 10:35 [ aki26 ]

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どうもです。 aki26さん
この3連休は極寒で車移動ばかりで歩いておりません。

良くも悪くも石油や天然ガスが枯渇しないと
深い海底からの資源エネルギー開発は難しそうです。

私も昔先生から「あと30年で石油が無くなる」
「石油を巡って戦争が起こる」などと聞きました。
また「石油は動(植)物の化石から出来てる」とも聞きましたが
当時も現代も私は甚だ疑問です。
動植物の死骸の化石が何十倍もの石油に地熱や血圧で膨れるのか
知りませんが、もし死骸ならとっくに枯渇してるとも思うのです。
無機な地球内部の炭化水素が変質して石油やメタンになるので
これ以上消費を増やさなければ永久に石油は無くならない
のではないかとも思います。

もしかすると化石燃料生物起源説、即ち有限説は、石油の高値で儲かる原油生産国や石油メジャーにとっては大変都合のよい説として風潮捏造されている可能性もあります。

本当の埋蔵量や産油国とメジャーが最後の最後まで
秘密にするのでしょうね。

2018/2/12(月) 午前 9:41 naomoe3

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もう日本が軍事大国に化ける事はないと思いますが
尖閣にしても経済水域の内側まで中国に盗掘される
現状をみるにつけ・・・日本の我慢の限界点次第
かもしれません。

2018/2/12(月) 午前 9:41 naomoe3


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