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二.二六事件も今年で82年が経過し風化も甚だしいです。
誰が首謀者(蹶起将校達)とか判り切ってるのに黒幕が存在するとか
蹶起将校達達は心は純粋であったとか嘘の美談ばかりがまかり通り、
現在の保守の人でも蹶起将校達に同情する情弱な勉強不足な方が多く困りますね。
未だに事件の、黒幕は秩父宮とか皇道派の真崎や、思想家の北一輝
や西田税が怪しいと睨む人もいますが、北や西田は当時は生活苦で
逆に青年将校らのクーデターを小出しで陸軍側に情報リークしていた
くらいの人達ですから。。
【1】まず今から読まれる方にお勧めの書籍
断然、筒井清忠の
「二・二六事件と青年将校」
「二・二六事件とその時代―昭和期日本の構造」
ですね。
従来の叛乱者である青年将校は純粋だった!とか
黒幕は「真崎だ!」とか、半年前に殺された統制派ボスの
永田鉄山は素晴らしい人物の類いのNHK的、丸山史観、半藤史観を
見事に粉砕されています。
NHK的に人気のある澤地久枝「雪は汚れていた」
は真崎黒幕説のオンパレードと主義の為にはテロ殺人を正当化
した叛乱将校への同情に溢れており読んでも時間の無駄です。
【2】青年将校は極左と極右の集合体
これも上記の筒井教授の受け売りですが
青年将校は1枚岩でななく、天皇主義者(極右)と
国家改造主義者(極左=社会主義)の呉越同舟だったんですね。
戦前版の全共闘のような感じで磯部浅一なんか戦後の日本赤軍の
同志のような感じですよ。
収監されて刑死するまで反省どころか昭和天皇に罵詈雑言の内容の
「不幸(不敬)な手紙」ばかり書いてますからね。
【3】石原莞爾と二・二六事件
満州事変の立役者といわれる石原莞爾は中央に返咲き、参謀本部にいたんですが
どうも事実とは違った事ばかりが通説になってますね。
通説では皇道派では全くない石原は青年将校を威嚇しに単身赴いた
という事ですが蹶起した青年将校らに参謀本部そのものを青年将校の
サロンにしようとまで提案し、どうも取り込もうとし、かなり協力的な
態度をとっていながら、事件は鎮圧と決まるや徹底的に青年将校を
弾圧しています。
その後は自身も参謀本部の作戦部長に出世しますが、盧溝橋事件や第二次
上海事変で中国側の動員奇襲に慌てて中国の在留邦人を見捨てて満州を
除くシナ大陸から日本軍を撤退させようとまで考えて、中国から撤兵
しようと画策しますが軍や政治家から反対にあい、石原自身が参謀本部
から追い出されます。
石原という人物は周りと協調できない宗教にも染まり過ぎた人物で
陸軍中央に残っていても世界最終戦争を指導できるような将器では
なかったように思います。
【4】事件後の武藤章の活躍
陸軍の主要部から皇道派や老いぶれた老将軍達を追い出した
統制派の実力者は武藤章(当時は中佐)です。
東条英機より8歳若いですが、東条英機が首相になるまでは
陸軍内では実力者でした。
事件当時は中佐ながら自分より10歳以上も上の将軍達を10人以上も脅して
辞めさせています。
完全に間違った解釈ですが武藤章は
「対米戦争に反対していたから東條秀樹に開戦後に左遷された」という
俗説が蔓延り、保坂正康氏らが良識ある逸材と戦後も讃えますが
そもそも日中紛争をシナ事変に発展させ、石原莞爾を追い出した
中心人物が武藤章その人ですから。。
それと、大学では今も批判的な研究は許されないとされる尾崎秀美
(ゾルゲ事件での日本側黒幕)とかなり仲が良かったとされますから
単純な軍人ではないように思えます。
【5】そもそも皇道派と統制派の軍事的な対立
もともとはアンチ長州閥で横断的に会合に集まった一夕会で同じ穴の狢
だったんですが軍事面では異なり、皇道派はソ連が実力を蓄える前に
戦争で先に叩き潰す考えでかたまり、統制派はソ連をたたく前に中国を
叩き、満州以外の地域からも資源を奪おうとして対立します。
途中でどっちつかずの石原莞爾が陸軍を牛耳ったりもしますが
史実の通り、統制派の天下となるや日中戦争が全面化します。
そして宿敵ソ連への攻撃は全く行われれずに対米英戦争に移行
していきます。
頭の良い人は既にお気づきでしょうが、何故太平洋戦争が始まる前に
シナ事変を何度も終了させようと工作をしても実現できなかったか?
それは、もし日中停戦となると、責任取らされて、統制派が軍の中央から
弾きだされるからですね。
それなら、責任取らされるのが嫌で、日中戦争を続けつつ、途中
ソ連やドイツに騙され、英国、米国から圧力かけられ四面楚歌のまま
太平洋戦争になだれ込んだ感じですね。
これは私のヤマ感で信憑性はないのですが統制派の軍人の中には
ソ連と通じており、陸軍の方からソ連を攻撃をしないように軍内
で牽制していた人物がいるのではないか?とも思います。
とにかく日本敗戦後に共産党に入党した佐官クラスの赤い元軍人
は何人も存在しますからね。
【6】二.二六事件と海軍
二.二六事件の間は海軍はどうしていたのでしょう?
実は叛乱将校に襲撃された岡田総理・鈴木侍従長・斎藤内大臣が
海軍出身ですから海軍は腹を立て横須賀から戦艦長門の主砲を
三宅坂に向けて鎮圧の海軍陸戦隊も臨時編成し上陸させて、最初から
叛乱軍と看做していました。
この海軍省の動きは木戸内大臣や昭和天皇に快く思われて
海軍の株は上がります。
つまり皇室や木戸内大臣は海軍を頼り軍事予算を増やし、陸軍に
対抗できるよう海軍を持ち上げ過ぎた結果が海軍主導の対米英開戦
所謂「南進」に繋がりましたので陸海軍同格とした事が良かった
のかは大いに疑問です。
【7】二.二六事件と警察
最後に警察です。
海軍以上に二.二六事件では目だたないのが警察でした。
なにしろ、事件当日の早朝に陸軍氾濫部隊400名に警視庁が
襲われて警察幹部から巡査まで全員がお縄になったり、監獄
に入れられたリして過ごしていました。
この警察の陸軍への恨みは戦後も続き、GHQ占領軍に対し
日本警察の優秀性を誇ろうばかりにドイツとは逆に戦犯逮捕に
血道をあげてます。
また戦後の自衛隊が戦前のように暴走させないように幹部は
殆どが制服組と呼ばれる内務省からの出向者でした。
彼らは二.二六事件の恨みを晴らすべく旧陸軍人である自衛隊
の幹部を大人げない程に痛めつけるのですが、それはまた別の機会に。。
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平和な時代であれば、人を傷つけたり、殺したりすることは=悪と判断できますが、軍部が力を付けつつあったあの時代では、自分の正義=国民の正義、という考えがあったのかも知れません。多くの国民には真実どころかその情報さえ伝わっていなかったことが考えられます。事件の真実ではなくその事実を知っていた人たちが、事件後様々な事象を集め憶測と推測を元に述べ合ってきたのが今の現状ではないかと思います。
事実を元に真実を知る、今の時代に生きる我々に課されている課題だと思います。
2018/2/27(火) 午前 0:31 [ aki26 ]
> aki26さん
当時は新聞が部数を増やすために陸軍を応援してましたから、
国民は軍の良い処しか見てないのですね。
以前の5.15事件も軍人が用心を殺害しても新聞や国民の
「青年将校は国を憂う純粋な人達」で片づけられて死刑は
一人もいません。
二.二六事件を起こした将校の中にも「死刑にはならない」
と踏んで参加した者もいるかもしれません。
当時は軍国とか自由が無いとか思われてますが、政治家も
軍隊も新聞もポピュリズム(大衆迎合)で動いてたので
戦争は挟んでも現代と似た構図が続いてるように思います。
現代は「力」の担保と背景が陸軍から米軍に置替わった
だけかもですね。
今は二.二六事件はほぼ解明されており謎や黒幕等
存在は致しませんが、雑誌やTVでは未だに様々な
「謎」を炙り出すだけで真実(赤化革命)を報道
しようとはいたしません。
2018/2/27(火) 午前 7:34
2.26事件とか今の若い人とか知らない
でしょうね。
2018/2/27(火) 午前 7:47 [ ナカ爺ィ ]
> ナカ爺ィさん
60代くらいの方でも
事件の名前記憶程度で
中身や後遺症を知らない人が
多いようですね。
歴史の皮肉ですが反乱将校は刑死ですが
表向きに掲げたスローガンは社会保障
失業保険労働災害など戦時中に実現して
行きましたね。
2018/2/27(火) 午前 7:57
巷では今年別の2・26事件が起こって世の女性が悲鳴をあげておりました・・15歳年下・・?
2018/3/2(金) 午前 7:59 [ Jey(表示改) ]
> Jey(表示改)さん
2011年当時は私も2.26事件主役方の隠れファンでした。(笑
https://blogs.yahoo.co.jp/naomoe3/62524572.html
芸能界って
〜兄弟、〜姉妹だらけそうで
怖そうですね。
2018/3/3(土) 午後 1:06