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3年も前に書いた記事ですが、現在もベスト3に入るほど
検索ヒットで読まれてる記事ですので【自薦】記事とさせていただきます。
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唐突ですが軍人の残した名言を載せたいと思います。
戦争を生き抜いた方々の言葉には重みがあり語弊が あるかもしれませんが多くの方は感動させられます。 ここではあまり知られていない軍人の名言を載せますね。 最初から変化球で失礼致しますが先ず、巷で有名な間違った 伝承の名言からです。 臼淵磐大尉(戦艦大和 哨戒長 坊ノ岬沖海戦で戦死) 「進歩のない者は決して勝たない 「敗れて目覚めよ!」上の臼淵大尉の言葉は映画「男たちの大和」で 有名になりましたが原作は吉田満の名著「戦艦大和」の中で吉田氏の 戦後の創作で先輩の 臼淵大尉の名を借りて代弁させた戦後社会への 「作者=吉田満の思い」です。
当事、沖縄への水上特攻に向かう21歳の海兵学校出の正規士官が 大和艦上で仲間や部下にまかり間違ってもあんな発言はできません。 「絶対に戦争に負ける!」なんて人前で言う士官はいませんでしたから。。 ええでは気を入れなおしてリアルと思われる軍人の名言を以下に。。。 坪井平次海軍兵曹 軍艦「大和」乗組員 「戦後になるとアメリカ兵に対するわたしの怒りは消えた。 無謀な戦艦大和の沖縄出撃を命じた海軍上層部を戦後も批判してますが 上の小説や映画で創作された臼淵大尉の名言とは違い奇跡の生還を 遂げた方の体験はリアル過ぎます。 太田実海軍中将 沖縄戦での現地海軍守備隊 司令官 「沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ・・・」
大田中将の沖縄戦での決別電ですが、同じく沖縄戦で亡くなられた 島田叡 沖縄県知事のの思いを代弁した電報ですが、戦後の今も 沖縄県民にも日本国民にも重くのしかかります。 今も沖縄では、陸軍の事は悪く言い伝えられてますが、海軍の 太田実中将と島田県知事の事を悪く言う方はいませんね。 柳本柳作海軍大佐 当時海軍軍令部第2部第3課長 「レーダー兵器なしで対米戦に突入するのは無謀な行為そのものである。」 日米開戦に対し物量兵力はおろか科学技術力でも勝てないと反対しますが ミッドウェー海戦でレーダーがなく敵機の奇襲を受け空母蒼龍と共に自沈。 組織の中で危険や注意を逸早く指摘していたにも関わらず、その指摘者に 責任と言うか組織の怠慢の結果のツケが日本ではよく廻ってきます。(唖然 原功 第721海軍航空隊 桜花搭乗員 「この身体は敵艦にぶつかって四散するはずのものでした。素晴らし過ぎてここでワタシの余計なコメントで汚す わけには行きません。 秋山 好古 陸軍大将 (海軍 秋山参謀の実兄) 「男にとって必要なのは、若いころに何をしようかということであり、いわずとも知れた日露戦争の陸軍の英雄の格言。 ・・・老いては何をしたかということである。 ワタシはいつもこの言葉にハッとします。 はい、ワタシは未だ何もしてないようなもんです。(汗 寺内正道 海軍中佐 幸運艦 雪風の艦長として有名 「オレが艦橋で指揮していたのであるから責任はもちろんオレにある。 不沈艦である駆逐艦「雪風」操艦中に艦底を浅瀬にこすらせて スクリューを破損させた若い航海士官に応えた温かい言葉。 昔も今もこういう上司は絶対数は少ないのですが、最近は特に 部下の手柄は自分に、部下の責任は被らない、上司が増えてると 思うのははワタシだけ? でしょうか。。 小灘利春 海軍大尉 「回天」搭乗員 「・・・たとえば警察官にしても消防士にしても 元特攻隊員からみた戦後の風潮への憂いを帯びたご意見ですが ワタシは社員を使い捨てにする会社や組織も危ういとも思います。 上の小灘氏の名言を補完してくれるのが下の岡田真理氏(女性)の 軍人ではありませんが、自衛隊の訓練時に教官が本音で喋ってくれた名言。 いざ志願!おひとりさま自衛隊(岡田真理)に 出てくる自衛隊某教官様の言葉 「武力放棄を謳っている政党本部にも警備員はいる・・・」 まさに教官殿の的を得た言葉であります。 尚、上の著作は自衛隊に入隊を考えてる人には最適な 入門書であろうと思います。 小野田寛郎 元陸軍少尉 ルバング島で29年間戦争を行う 「戦いは相手次第。生き様は自分次第」 さすがに日本の軍人として最大不倒年数の30年近くも戦争を
戦い抜いたその精神力には脱帽いたします。 「自分の満足度を少し変えればよいのだから」 この言葉はワタシはこれから何度もパクらせていただく事でしょう。(笑
若林東一中尉 香港攻略戦での英雄 後、ガダルカナル島で戦死
「後に続くものあるを信ず・・・」 開戦時の香港略戦では武器欠乏気味の日本軍としては
珍しく重火器を揃えて、正攻法での砲兵火力中心でじっくり
1〜2ヶ月かけて攻めようとしてたんですが、偵察に出た
若林中隊長が英軍の防備の弱点と警戒の隙を見抜いて敵陣に
突撃攻略しそれが引き金となり、砲兵の活躍の場もなく歩兵の
突撃だけで大要塞群をわずか6日間で攻略してしまい、一躍、
若林中尉は英雄になりますが、砲兵部隊や軍上層部からはその
「独断専行」と攻めたてられ軍法会議にまでかけようと思う人達まで
おり栄達する事もなくガダルカナル島に投入されまさに飢えて 弾もなくなり部隊ごと全滅しますが、最後の戦場で若林中尉の 天幕には不平不満ではなく「後に続くものあるを信ず」とメモが 書かれていたそうです。 この言葉戦時中の陸軍内でも有名になり、多くの特攻隊員らが
遺書に使ったので、特攻隊の遺書と思われてますが、オリジナルは
若林中尉のようです。
ちなみに、若林中尉は最初から陸軍幼年学校や士官学校を出ておらず
兵隊・下士官から士官学校に入り首席で卒業して将校に登りつめた
苦労人でもありました。 ・・・ではここらで日本の軍人でも偉い方を捜してみましょうか?
東條英機 首相 陸軍大臣 陸軍参謀総長 日本的?独裁者
「飛行機は機関銃や高射砲で落とすのではなく,気迫で落とす!」 英機さんは、どちらか謂いますと悪名で名高い軍人さんですが、不思議と
名言・格言が出てこない軍人さんです。
上の言葉も名言よりは迷言の類になりましょうか? う〜〜ん、この英機さんは戦後かなり誤解されてる部分もありまして
ヒトラーやスターリンのような独裁者を目指したわけではありませんが
当時の日本は軍部独裁といっても、天皇陛下の言うことを陸軍も海軍も
聞かずに戦線を拡げるし、英機さんの立場での首相と言っても東條首相に
海軍処か、陸軍大臣も陸軍参謀総長も従わないので、これじゃ戦争に
勝てないと、戦争が始まってから、陸軍大臣も参謀総長の職も英機さん
一人で独占したわけですが、だからと言って戦車や大砲や飛行機も 増産する事は適いませんでした。 その増産できない理由が権力を独占した英機さん自身にも
解っていたんで昭和19年にもなり「敵機を・・・・気迫で落とす!」 との精神論に舞い戻るわけですね〜。 でも今の会社でも笑えない日本人エリートの精神構造なんでしょうか?
でも日本の偉くなった方々は自分でもできない事を部下には
やらせようと考える人達が多いようですね。
次回、気が向けば外国の軍人さんの名言・格言も
書いてみたいと思います。 |

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胸に突き刺さる言葉のセレクトですね!!
普段から自虐専門の私には、グサグサと突き刺さり捲りです。
折角男に生まれたからには、何か?残したいものですね(^^)/
ナイス☆
2018/3/13(火) 午後 4:13
> so-kei♪さん
おはようございます。
感想ありがとうございます。
人生後半で残り少ないですが私も頑張ります。
2018/3/14(水) 午前 7:38
最近、いとこが亡くなりましてね、沢山の部下の方がご葬儀に来てくれました。
「オレはこの会社をぶっこわす、そして作り直す!(社長じゃないのに)」「責任は俺が取るからお前は前を向いていけ。」と言ってたらしいです。
小さいころは私の後ろをついてポチポチ歩いてたのにと思うと感慨深いとともに、先にいきやがって!という気持ちでいっぱいです。
2018/3/15(木) 午後 9:05 [ Jey(表示改) ]
> Jey(表示改)さん
こんばんは
ご愁傷様です。
身近な人ほど実のある言葉を申したいのですが
そういう時に限り適切な言葉が出てこない私です。
悲しいと言葉が出てこないんですよ。
「先にいきやがって!」と吐露できるJeyさんが羨ましい。
「責任は俺が取るからお前は前を向いていけ。」
酔った時は部下に言えても素面じゃなかなか出てこない
言葉ですよ。
「責任」について不埒ですが今夜エ●タイトルで不遜ですが
投稿してみました。
2018/3/15(木) 午後 10:08
> naomoe3さん
おはようございます。
そういえるのは、彼が私に逢いに来たと感じたからです。(出来事は詳しく申せませんが。)
異時と同時の中で、彼がどのように生きたか、全体がなんとなくわかって、誰よりも早く心の整理がついていたからかも知れません。それがなければ私も心穏やかに見送ることはできなかったと思います。
さらに身近なご家族はまだ無明にいると思います。
彼らの悲しみが薄れることはないでしょうが、いつか心穏やかに過ごせるまでできるだけ支えていくのが彼が私に願ったことだと理解しています。
想いが深いので長くなりました。スミマセン。
2018/3/16(金) 午後 0:12 [ Jey(表示改) ]
> Jey(表示改)さん
こんばんは
お心の内、お察しします。
広義のインスピレーションなんでしょうね。
私は霊感はないですが親や親類との別れでは
説明し難い感作や現象を経験しもがいてました。
簡単な言葉で恐縮ですが、亡くなられた方の為に
にできることは忘れない事、想い出してあげる
事なんだと思いますね。
2018/3/16(金) 午後 10:13
去年の終わりごろお邪魔したものです。
わたしも、東條英機はあんまり好きじゃないのですが、ひとつだけ共感する逸話を読んだことがあります。太平洋戦争が始まる直前、東條の部下があれこれ計画(どう戦っていくかと言う大枠でしょうな)を説明すると、彼は苦い顔で
「結局、わたしに泥棒をやれというわけか」
と吐き捨てたそうです。エリートですから、本質はわかったのでしょう。
2018/3/17(土) 午前 9:26 [ 曼殊沙華 ]
> 曼殊沙華さん
コメントありがとうございます。
東条首相は負け戦ばかり続く海軍が信用できなくなり
点数稼ぎで陸軍だけで勝負可能なインパールやら一号作戦
でそこそこのイーブンに持ち込もうとしますがサイパン島
を占領されて高高度から攻めてくるB29に対抗できる高射砲も
戦闘機も無い事から敵機は気迫で墜とす・・・しかないと
言いたかったのでしょうね。
仰せの通りで頭の中では負け戦が決まってるのにスローガンで
敗戦を先延ばしした姿と今の官邸と財務省の仁義なき時間稼ぎ
が少しだぶって見えてきます。
2018/3/18(日) 午後 2:31
そういえば、インターネットで、インパール作戦は決して無謀ではないと説いている人を見たことがあります。
「飛行機が充分にあれば」
と惜しんでいましたが・・・・・・・あのひとはおそらく、遠回しに皮肉っていたのでしょう。
東條も広い意味で犠牲者だったのでしょう。しかし同情する気になれません。
2018/3/22(木) 午前 11:27 [ 曼殊沙華 ]
> 曼殊沙華さん
こんにちは
インパール作戦は制空権が劣位な状態での
地上戦は大河・山脈越での攻勢作戦ですから
英軍の実力を過少に視立てたのでしょうね。
東條首相は私的に嫌な部分は日本優勢期のシナ事変での
チャハル作戦で関東軍参謀長ながら餓死者を出したり
日本初の機甲部隊を全滅指揮なのに陸軍大臣首相に出世し
首相時代は新聞記者や政敵等を憲兵を使い逮捕や懲罰招集
で戦地送りした点が器量は狭く陰湿です。
またあれだけ国民に聖戦を押しつけながら自分の子供には軍人
になる事を勧めなかったよき家庭人のようでした。
褒めるなら部下や周りの人にも気を配り宮中からの下賜金も
周りに配ったそうで私腹を肥やさなかったので首相を辞めたら
財産は無かったようですね。
インチキ裁判でも天皇を庇う為に刑死したとなれば
最後は犠牲者ですよね。
2018/3/24(土) 午後 1:59