歴史学習妄想的メモ の30話となります。 (私が勝手思う歴史的なチラ裏メモです。)
連休に幕末関連の本を数冊読んだのですが、以前から
思ってたのですが幕末の攘夷思想と現在の護憲思想には
空虚なアヤシイ共通がある事に気がついた私です。
ここで一般的な纏めですが
攘夷
幕末の外国との通商に反対し外国を撃退し 護憲
広義では立憲政治を維持する思想ですが 上記の二つの共通点は現実性のない虚しい空スローガン
であったってことなんです。
しかし空念仏のような空スローガンで実際に幕末に
討幕ができたできた最大の原因は攘夷思想なんです。
当時の幕閣に居並ぶ人々は漢文の素養もあり現代の政治家よりも遥かに
頭もよく文武両道の方が多かったようで、討幕派も頭を練って日本の誰もが
表立っては反対の文句を言えないような発明思想が攘夷思想でした。
佐幕派だろうが、討幕派だろうが隣の大清帝国から東南アジア〜インドまで
西洋に負けて半占領状態に近い事や日本の国力(実力)が判ってますから
攘夷思想と武力で外国を撃退するのは無理だろうと知識人は理解してました。
しかし薩長の攘夷派は討幕の為に攘夷思想を利用しまくり
幕府への攻撃思想として攘夷!を連発します。
つまり幕府に外国船を攻撃し外国と戦争をしても構わない、
何故? 幕府は外国に弱腰なのか?と迫ります。
薩摩長州や討幕派の公家も攘夷なんて所詮は100%無理と
判ってるから、半分は幕府を困らせるのが目的で下関戦争や
薩英戦争を行い負けては幕府が外国に日本国を代表して賠償金を
支払うという流れでした。
更に攘夷に錦の尊王が加わり討幕に一気に流れて鳥羽伏見戦争から
一気に完全討幕に傾きましたが、攘夷遣る遣る詐欺だった薩長新政府
は攘夷の為には邪魔な徳川幕府を諸滅させた途端に攘夷論はすぐ消えて
しまい世界協調路線の文明開化へと上も下も流れました。
つまり当時の最大野党であった薩長連合(公家含む)は徳川幕府
を弱らせて討幕に追い込むキーワードが攘夷思想であったのです。
ここまで書きますと現在の共産党から一見民進党までの
オール野党がほぼ護憲派なのかが理解できるでしょう。
野党の殆どの方が本気で護憲が理想で必要なんては考えてはおりません。
でも野党としての存在感を示すにはに護憲だ改憲阻止だと
空スローガンで騒ぎたてて、改憲をすすめる自民党は実にけしからん!
と国民にも訴えるしかないし、実際にはもし政権を奪取しても事実に目を背け
護憲でいくしかないのでしょう。
そのうち思考停止と自画自賛のお花畑状態で自民党への攻撃材料で
あった護憲思想を本気で信じ込もうとし、憲法9条こそは世界で一番
先進的で理想的な法律と本気で思い込むアブナイ方も少し増えました。
日本が率先して武器を捨てれば世界も日本に倣い世界に
平和が訪れる・・・・という外国からも内心では馬鹿に
されてる護憲思想で、日本への政治攻撃かつ軍事弱体化攻撃への
手段として中国、ロシア、半島の南北国家も日本の護憲派には
金まで援助してまで応援しますが、改憲派に対しては
「先の戦争の反省が無い」
「右翼だ、軍国主義復活だ、平和の敵だ」
と言うのはタダですからしつこいくらいに文句をつけてきます。
護憲派の最終進化系の人は
「外国から侵略を受けても無抵抗を貫けば、その
崇高な日本国民の心魂にうたれて侵略国側が退散する」
「日本国民は平和憲法に殉じて死ぬのも厭わない」
↑ ここまでくれば完全に異常ですが。
村山政権以前は自衛隊の存在そのもを違憲と大騒ぎして
自衛隊の一部の部隊が紛争跡地に平和維持活動(PKO)に
行くだけで戦争が始まると自民党への攻撃材料にいたしました。
自民党は逆カウンター戦術で社会党出身の村山首相を登場させて
自衛隊をなんとか合憲化に導くのですが。。
正直に書きますが、今の与党・野党も国民も本音では自衛隊は
絶対に必要と認識しています。
判り易くこう考えてみては如何でしょうか?
健康と体力のように考えます。
健康(平和)はとても大切だが体力(軍事力)は必要ない
つまり躰を鍛えるのは良くないと言ってるに等しいのです。
いずれにしても現行憲法に対して自分の立ち位置を
明確にすべき時期が国民其々に迫りつつあるように思います。
最後に幕末の時代に知恵のある人が俄の知識人にも
大衆にも「攘夷」という人の感情に激しく訴え扇動し討幕に
動いた事はまちがいありません。
現代の護憲や反核運動もロシアや中国を源とする社会主義者
の残党にとって都合のよい日本国の健康と体力低下には不健全な
思想であり武器なんだろうと私は思います。
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全然関係ないかもしれませんけど、毛利が下関あたりで必死に攘夷に血を流していた間、小笠原藩はのほほーんとしていて高杉が攻めてきてもどこにも助けてもらえずに滅びたという話を聞いたな〜と思い出しました。
2018/5/10(木) 午後 1:05 [ Jey(表示改) ]
> Jey(表示改)さん
第二次長州征伐(四堺戦争)でしょうか。
小倉口では高杉晋作・坂本龍馬の長州2大スターの指揮共演
に比べると、幕府側は老中の小笠原長道、目付の斎藤図書が
部下を見捨てて敵前逃亡の挙句に小倉城は焼け落ちて
良いところなしですね。
幕府側の2大指揮官が真っ先に逃走ですから、幕府応援の
諸藩もやる気は起こりませんよね。
佐賀や熊本に比べると福岡県民の小倉や福岡への城主やお城への
愛着が今ひとつな思いはの原因は幕末の不甲斐もあるのかも?
2018/5/11(金) 午前 7:25