涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

全体表示

[ リスト ]



 自分用の備忘録として勝手に書いております
 歴史学習妄想的メモ 36話は題して
 「ドイツ軍の電撃戦を支えた陰の功労品ジェリカン」
 暇なお時間のある人はおつきあください。


昔のドイツ軍といえば陸軍国として有名ですね。
しかし世界中の国の軍隊は国土(本土)を護る陸軍が偉く
海軍大国と思われてる大英帝国でも第一次〜第二次世界大戦の
ような戦争となれば海軍も空軍も陸軍の下で戦うような組織図
がありましたが、昔の大日本帝国では昭和20年の敗戦まで
陸軍大国であり海軍大国でありどちらも同じ以上の予算を要求し
航空隊(空軍)を二重に保有し、機体も爆弾も機銃も燃料の規格も
バラバラでしたから資源が無い無いと言い訳しながらも実に
無駄が多い軍隊であった事が判りますね。 


ここでは、第二次大戦初期のドイツ軍の電撃作戦を支えた
陰の功労備品であるジェリカンのお話です。

ジェリカンとはドイツ軍の20リットル試用のガソリン携行缶です。
英軍がドイツ軍の事をジェリー(jerry)と蔑称してましたから・・・
jerry canです。

イメージ 1























第二次大戦のドイツ軍は瞬く間に、機甲部隊による電撃戦でポーランドを
占領したり軍事大国であるフランスに対しても国境地帯に鎮座するマジノ要塞群の
隙間であったアルデンヌ高原地帯を戦車部隊で突入しあっという間に首都パリを
占領してはフランスを降伏させるなど、強力な戦車部隊部隊や対地攻撃に
急降下爆撃機有効に活用したように思われがちですが、表には出てこない
本当の功労者と思いますのは、ドイツ軍が他国に先駆けて戦争直前に
ジェリカンを製造し実戦配備していた点に電撃戦の大きな成功要因があった
ようにワタシは思いますね。

19世紀までの陸戦では人間や馬が主役でして鉄道輸送が中心でしたが
第一次世界大戦の後半からガソリン等の液体燃料を使用する軍用車両、
戦車・大砲牽引車が中心となりエネルギーも石炭からガソリンにシフト
しつつありましたが各国ともガソリンの備蓄・輸送に頭を悩ませていました。

当時はドラム缶(200リットル)が世界標準のガソリン容器で各国で
ペンキ缶のような一斗缶(だいたい18リットル)のような小型容器も
ありましたが、自軍の策源地を離れて敵側に侵攻する場合は戦車や後に
続く装甲車、兵員輸送車、トラック等にどうやってガソリンや軽油等の
液体燃料を補給するかという点で頭を悩ませていました。
※特に不整地を走る戦車の燃費が悪く走行距離の短さが問題でした。
 当時のドイツⅡ号戦車の燃費は道路でリッター1.2km、不整地では
 リッター0.8kmと今のクルマの10分の一以下ですから大量のガソリン
 が必要でした。

ドイツ軍は再軍備は遅れましたが、第一次大戦の反省を活かし陸上での
燃料補給・備蓄・輸送の為に北アフリカでイタリア軍が小型容器である
燃料携行缶を使用していた事を参考に歩兵が簡単に運べる金属製20リットル
のガソリン携行缶を1935年頃より開発、生産し実戦部隊に大量に配備
しました。

1940年5月に始まる西部戦線開始当時は敵国のフランスは
タンクローリーのような専用車両や列車はありましたが、ドイツ軍には
燃料輸送列車しかありませんでした。
しかしドイツ軍は燃料輸送の為のタンクローリー車は造らず
ジェリカン一強で実戦に突入いたしました。


 ドイツ Ⅲ号戦車
イメージ 4
 



ドイツ軍の戦車は対戦後半は強大でしたが、開戦当初は実は貧弱で
主力のⅡ2号戦車は
重量8.9トン 燃料タンク170L 行動距離路上200km不整地130km

新しいⅢ号戦車でも
重量22トン 燃料タンク300L  行動距離路上 160km 不整地90km

ですから、戦場の不整地を突破となると約100km毎に燃料を補給しないと
停まってしまい固定砲塔となるわけですから、鉄道沿線から100km以上離れると
専用の燃料補給車の無いドイツ軍戦車は進撃ストップすると思われてましたが
戦車の車体後部や後続する戦闘車両の隙間スペースに20リットルジェリカンを
多数積載し、もし途中で戦車がガス欠して停まっても味方の車両から兵士が人力で
一人二缶(40L)を運び、迅速にガス欠戦車に補給することでパリまでの
快進撃を支え、対英米戦をドイツの勝利に導いたのです。

※ ドイツの西方電撃戦では戦車に無線機使用とか仏英の戦車より
  ドイツ戦車が快速で迂回作戦ばかり行ったとかの史観が今でも
  根強いのですが、ワタシはジェリカンが無ければドイツの戦車や
  機甲師団の進撃や勝利は遠かったように思います。

対するフランスはB1やS35各種3000両以上の各種戦車を配備し
侵攻するドイツ軍の1.5倍以上の数的優勢であり、燃料専用補給車まで
準備してましたが燃料補給車から各戦車に燃料補給するのに時間がかかり
フランス側は給油に思いのほか時間がかかり戦車の集中と移動に遅れを
とりました。

フランス軍と共にフランスで戦いダンケルクから逃げ出したイギリス軍は
後の北アフリカ戦線でのドイツ軍が燃料補給にジェリカンを重用してる事に
気づき即座にコピー品のジェリカンを配備し後の北アフリカ戦線では敗勢
から互角に、エルアラメイン戦後は米軍もドイツ軍イギリス軍のジェリカン
の有効性に気づき少しデザインは変更してますが真似ています。

ジェリカンは20リットルの企画ながら上部の持ち手が三ヶ所あり
一人の兵士で空缶なら4缶、燃料満タンなら人力で2缶を何とか運べ
燃料ポンプの力を借りず戦車や自動車に一人で迅速に補給できました。


残念なのは日本軍です。
ドイツと同盟をくみながらジェリカンの事も知りながらも
第二次大戦では真似てもいません。
金属が不足していたとか、ジェリカンに使用する金属があれば
他の兵器に使用したいとの考えもあったでしょうが、日本の兵士は
文句を言えず人力では運べない200リットルドラム缶と持つと
バランスの悪い一斗缶のままで戦争に負けました。

ジェリカンとは直接は関係ないのですが日本海軍でも
真珠湾奇襲へ向けて出港した南雲機動部隊の空母6隻の
うちの蒼龍と飛竜はハワイまでの航続力が足りず最初は参加が
見送られたのですが、艦内の通路や隙間に重油を入れたドラム缶を
多数収納しそのドラム缶から燃料を使用し空となったドラム缶は
ハンマーで叩き潰してハワイに近づくと格納庫や通路の空間を確保
した活模範もあるにはあったのですが陸海軍の風通しが悪く陸軍は
知らないままでした。


日本の将官は
「ドイツ軍の電撃戦や機甲部隊は凄い!」
と勝利の結果だけに目を奪われて日本ではドイツのような電撃戦は無理と
諦めてしまいましたが、太平洋やビルマの日本軍は退却や
後退戦闘(転戦と呼称)となるや重すぎるドラム缶を残置して
後退したのですが、もしジェリカンが日本軍にも潤沢にあれば
ビルマや大陸の戦闘では史実以上に戦えたのではないでしょうか?


戦時も戦後も日本の主要燃料容器であったブリキ製18L一斗缶
イメージ 2


 一応ブリキの金属製ですが
 持ちにくい、中の液体が揺れる
 隙間に起きにくい
 液体を車などに注ぎにくい
 昔は一斗缶でなく石油缶と呼ばれてました。

 金属とはいえ強度が弱いので
 1980年代から容器としてより
 レスリングの悪役やお笑いで相手にぶつける
 凶器にも活用されました。












敗戦後の日本は相も変わらず民間でも燃料容器はドラム缶と人間工学的に
最悪な一斗缶でした。
日本では敗戦後も高度成長期の60年代も何故か一斗缶の生産は続き
1970年代までに一斗缶は累計で2億個以上が生産されました。
一斗缶とジェリカン(ポリタンク含む)を両手に二個持ち比べたり
歩き比べてみたら一斗缶って手が痛くバランスも悪く中の液体が凄く
揺れて不便なんですね。

さすがに敗戦後から30年を過ぎた1970年台に日本にも
ジェリカンのような灯油用ポリエチレン缶(別名ポリタンク)が
一斗缶よりも便利であると知れると急激に替わって大流行します。
日本人の体力体格に合わせて18リットル缶主流ですが20リットルも販売中です。


イメージ 3



















1930〜1940年代、日本の軍隊でも
「今後は帝国陸軍も機械化!機械化!」と高官達は
 叫びながらも、いざ実戦では味方の戦車は燃料不足やエンジン冷却
 が上手くいかず動けなくなり、敵戦車に対し火炎瓶攻撃が主流でした。
 終戦まで燃料補給の容器はドラム缶と一斗缶でした。

ジェリカンと一斗缶の優劣は現場の兵士や将校にどちらが有効か
聞けば100%ジェリカンを要望したように思われますが人間工学的にも
劣る優位性のないブリキの一斗缶を戦時中も戦後も30年使用させた
日本の指導者と使いづらいのに不平を漏らさず使用し続けた日本軍兵士や
戦後の大衆はある意味合理性から遠ざかっていたようにワタシには思えて
くるのです。

以上、ドイツ軍の電撃戦を支えた日陰の功労者 ジェリ缶
でございました。

現代の自分の頭で考えない経営者ほど、何処かの講習会で聞いて帰り
「イノベーションだ!」
「技術革新だ!」
「アジャイルだ!」
と声高に社内で無いものねだり発言しますが、要は既存技術の選択と
集中でも時と場合によっては遣り様は有る事をドイツ軍のジェリカンは
教えてくれてるように思います。


寒い冬に鬼嫁様に命じられて休日の灯油を買いに逝かれる
全国のお父様といおうかワタシと御同輩の皆さまへ・・・(笑
「俺は今、マンシュタイン計画を成功に導いたジェリカンの
 子孫のようなポリタンクを担いで俺こそが、
 家庭のライフラインを 支えてるんだ!」
と意気に感じていただけたら本望です。(爆


ランキングに参加しています。
この情報が役立ったと思う方は? いないと思いますが。。。
寛大なお心でポチッと宜しくお願いいたします。

https://lifestyle.blogmura.com/semiretire/

閉じる コメント(2)

今日は、朝から目から鱗のお話を読ませて頂き感激の思いで出撃出来そうです。ジェリ缶が、勝敗を分けた。我が国にも、この事に気が付いた方が当時居れば良かったのにですね。しかし、陸軍と海軍の確執は、想像以上だったのかも知れませんね。現在の縦割り行政を眺めていると今も昔も偉そうに威張るばかりのお偉いさん達の変わらぬ体質に、ジェリ缶もって走り回る一兵卒の重要さをしみじみと感じるものです。

ナイス☆

2019/1/7(月) 午前 8:36 so-kei♪

顔アイコン

> so-kei♪さん
おはようございます。

感想いただきありがとうございます。

先の大戦では日本は戦争は軍人が考えるからと
民間や大学からのアドバイスを素直に行けずに
国民の知能の結集に失敗した気もいたします。

日本は精神力を殊の外重視し前線の将兵に
勝利か死を要求しましたが、本来の精神力の発揮は
参謀が勝利が可能な作戦立案を考えるべきでした。
参謀は負けると判ると自信の作戦立案のせいにしないで
前線の将兵の責任に転嫁した場合も多いようです。

まさに so-kei♪さんの
仰る通りで縦割りで各省庁の縦割り蛸壺行政で
「税金の事はワシらが考えるから黙って働き納税せよ」
ってスタンスから抜け出せてませんね。

2019/1/8(火) 午前 8:51 naomoe3


.
naomoe3
naomoe3
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

過去の記事一覧

アル(歩)中症候群者 リスト

yahooブログ

不定期訪問先

情報源

レフティ

人類は麺類

名店公式ブログ

登録されていません

食べ物

沖縄いろいろ

右側通行

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事