歴史学習妄想的メモ【38話】実現不可能な爆撃機「富嶽」と中島知久平氏の真意(前編) となります。
戦争に詳しい方なら戦時中の中島飛行機(後の富士重工)の経営者かつ
政友会の総裁まで務めたり鉄道大臣なども歴任された政治家でもあった
中島知久平が戦時中に起死回生の爆撃機「富嶽」を開発しようとしていた事はご存知でしょう。
富嶽は実際に登場し日本へ戦略爆撃をおこなった米国のB29に対抗どころか
遥かにB29を超えたスペックで戦争を日本の勝利でケリをつけようと真剣に
計画され東条英機首相にも気に入られて前向きに陸海軍共同で開発や量産まで
国家的をあげて検討はされたようです。
米軍のB29重爆 実際に4000機生産され主に日本に空襲を加えました。
B29でさえマリアナ諸島から日本本土への6000kmの往復爆撃がやっとでしたが
富嶽はB29の3倍もの爆弾を搭載し日本から無着陸で1万8000kmもの先の
米国本土を爆撃し大西洋に抜けてドイツの支配地域に着陸し、整備、燃料、
爆弾を補給し再度米国を爆撃し日本に戻るか、北極海(ソ連上空)を抜けて
日本に戻るという現在から考えてもかなり無理のある壮大過ぎる爆撃機でした。
富嶽 1機も製造されませんでしたが 戦後プラモデルやIF戦記では人気モノ?
しかし中島知久平氏の壮大な富嶽プランは、昭和19年6月のマリアナ諸島の
失陥の責任を取らされた東条首相の退陣や日本が完全に対峙から本土を攻撃
されるため夢のような富嶽よりも戦闘機や防空兵器の増産や改良が優先される
事となり、1944年には富嶽用の組立工場建屋まで完成していたのですが中止となりました。
以下 富嶽と憎きB29 比較です。
富嶽の計画性能 B29の性能 これにより日本からの米本土攻撃計画は挫折しますが、もう一つのプラン
風船爆弾は大成功とはいえないまでも気流を利用し米国に一定数の風船爆弾が到達しています。
富嶽の大風呂敷過ぎる開発への漕ぎ付けと最終的な中止至る流れは
戦史マニアなら知ってる話しでワタシの大嫌いな1990年代に一世風靡
したIF戦記モノに「富嶽」が実用兵器として多数登場して来ます。
仮想戦記小説ですから
全く史実でありません。(笑
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こちらもあったらいいなの仮想小説。
しかし重要な点は中止となる判断は東条首相の退陣の結果という
「政治判断」だけでなく、本当に無理や創意努力で富嶽は完成実用化が
できたかのか?と問われれば絶対に計画通りの要求に応える事は無理でした。
※ 諸与条件を考えず脳内空想が実現できるのはIF戦記の中だけです。
IF戦記の作家が脳内空想すればバチカン市国でさえ米国に勝ちますから。
つまり幾ら開発資材や燃料や飛行場を用意できたとしても
誉などの2000馬力の発動機の量産に苦労した日本の技術陣が
米国でも当時実用化されてもない5000馬力以上以上の発動機
を開発するなんてはなから無理な話でした。
中島飛行機の社内の技術者は中島氏から富嶽構想を聞いたとき
全員が反対というより実現は無理との返答であったようです。
ここにワタシの大きな疑問が生じます。
何故?中島知久平氏は最初から社内でさえ実現不可との見通された
詐欺的な要素も感じられる誇大プロジェクト富嶽計画を持ち込み
売り込もうとしたのでしょうか? (後編に続きます)
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今読んでる秋水も大概ひどいです(~_~;)
2019/5/26(日) 午後 9:09 [ Jey(表示改) ]
> Jey(表示改)さん
ロケット戦闘機の秋水も陸海軍の共同プロジェクトでしたね。
コメートのドイツ情報が日本にうまく伝わらないから開発実用化が
遅れたとかの情報が多いですが、私は最大の開発阻害要因は
宗教オ宅の海軍の柴田武雄大佐にあったと思います。
昭和12年当時源田実との戦闘機無用論逃走や零戦開発優先事項
では柴田大佐に論理性があったのですが宗教に嵌っておかしく
なった自分も廻りさえ狂わせた後半人生ですね。
2019/5/27(月) 午前 7:45