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旧厚生省によれば、1941年から45年まで、フィリピンで日本兵は51万人も死んでいるそうです。
(そのほとんどが1944年10月から45年8月までに集中)
そのうち7−8割は餓死だったとう資料もあります。
51万という数字は、中国大陸(1936年から1945年)で戦死している
日本兵45万人を上回ります。
太平洋戦争でも有数な悪戦で有名となったガダルカナル島戦でも戦死者約2万人、
インパール作戦でも約3万人の戦死者です。
つまり他の戦場に比べフィリピンでの戦死者数が桁外れに多いのです。
しかし戦後の日本人は沖縄戦、本土空襲、原爆等は話題にしますがフィリピンでの死者数
は話題になりません。
フィリピン戦は、道義的にも最も問題の多い戦いです。
現地政府の教唆に基づく反日テロなどは戦前の比島には起きてはいませんでした。
またフィリピンは当時アメリカから1947年に向けた独立を約束されていました。
そういうところに日本軍が乗り込んでいった結果、フィリピン人民はなんと110万人
も(詳細な数は不明)殺されることになってしまったのです。
中国に理由もなく土下座するのが趣味の日本人が多いようですが、
そういう方たちはまずその前にフィリピン国民に向かって頭を垂れるのが人の道
というものであろうと思います。
フィリピンではほとんどの日本兵が「現地住民」と交戦した経験があるそうです。
このため、終戦後、ジャングルから出てこられない日本兵はとてもたくさん居たと伝えられます。
投降すれば死刑になると確信し山から出られなかったのです。
終戦27年後に出てきて話題になった小野田少尉もおそらくは住民を射殺したことがあるために
出てこられなかったのでしょう。
そこで厚生省では「残置諜者(スパイで死ねなかった)であった」という物語を用意しました。
その物語を、当時のフィリピン人も受け入れてくれましたので、晴れて帰還が可能になったのです。
日本の外務省と法務省は、フィリピン人に認めないビザ無し日本観光の特権を
どうして中国人などに認められるのでしょうか。
尚フィリピン国民はマルコス大統領追放時に米軍も追い出し完全独立を果たしましたが
追い出された米軍は沖縄とグァム等に移り住みました。
日本人はフィリピンができた米軍放逐を21世紀になってもまだ果たせていません。
(私の母方の祖父も兵士として中国、フィリピンと転戦しましたが1944年ルソン島上陸以後の
消息は不明で1946年戦死者の認定を受けたのでした。)
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