涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

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ヤコブ・シフは日本が国運を賭けて戦った日露戦争に当たって、大きな役割を果たした。
日露戦争が始まったのは、1904(明治三十七)年二月だった。
まだ日本は極東の小国に、すぎなかった。
ロシアは、圧倒的な軍事力をもっていた。
しかし当時の日本人は世界でも最高位の国民識字率85%を越えており対するロシアの国民識字率は
25%程度であった。
つまり「精神力」より「国民の頭脳」で勝った戦争であった。
これは明治政府の「戦費調達」にも柔軟さが伺える。

世界の誰もが、日本がロシアと戦うことがあれば、とうてい勝ち目がないとみていた。
開戦が避けられない状況になると、日本は急いで戦費を調達しなければならなかった。
開戦の前年の十二月には、日本銀行には円も含めて、正貨が一億六千七百九十六万円
(千百七十万英ポンド)しかなかった。
日本は何とかして、海外で戦費を募らなければならなかった。

日露戦争が始まるとすぐに、当時、日本銀行の副総裁だった高橋是清が、
日本の国債を売り込む使命を帯びて、まずアメリカに乗り込んだ。
高橋の訪米は、徒労に終わった。
当時のアメリカ人は日本が勝つことが万に一つもありえないと、判断していた。
高橋は深い失意を味わって、次の目的地であったイギリスへ向かった。
イギリスは日本の同盟国(日英同盟)であつたが日露戦争では中立であった。
高橋はロンドンに一カ月以上も滞在して、精力的に走りまわった。

高橋は日本の第一回目の戦時国債として、一千万ポンドを調達する任務を、課せられていた。
日英同盟の誼から、ようやくイギリスの銀行団から、五百万ポンドの日本国債を引き受けてもらう
約束をとりつけた。(利率は6%程度)
だが、それではとうてい足りなかった。高橋は途方に暮れて、懊悩した。

高橋はイギリスの銀行家の友人が催した晩餐会に、招かれた。
その席上で、隣に座ったアメリカ人の銀行家から、日本について多くの質問を受けた。
高橋は一つ一つ丁寧に答えた。高橋はその後に自伝の中でこの時のことを、いきいきと描いている。
すると、翌朝、晩餐会を催してくれたイギリスの銀行家が、高橋をホテルに訪ねてきて、
「昨夜、あなたの隣に座ったアメリカ人の銀行家が、日本の国債を引き受けようといっている」
と告げた。

隣席の人物が、ヤコブ・ヘンリー・シフだった。
ヤコブ・シフは、「著名な金融家で、慈善家」である。
シフは残りの五百万ポンドを、引き受けてくれた。
高橋は愁眉を開いた。
その後、シフは全世界に散ったユダヤ人に、日本の戦時国債を買うように呼びかけた。
シフの力によって、ユダヤ人が日本が日露戦争の戦費を賄うために、戦争中に海外で発行した戦時国債のおよそ半分を引き受けてくれた。
もし、この時に、ユダヤ民族の援助がなかったとすれば、いくら日本将兵の精神力がロシア兵に優っていたといっても、日本は勝つことができなかっただろう。
日露戦争における日本側総戦費は19.8億円といわれるがその内8.9億円が外債であった。


高橋は自伝のなかで、こう述べている。
「シフ氏が何故に自ら進んで、残りの五千万円をひきうけようと申出てきたのであるか? 
当時、私にはそれが疑問で、どうしてもその真相を解くことができなかった。
しかるに、その後シフ氏とは非常に別懇となり、家人同様に待遇されるやうになってから、その理由があきらかになって来た。
ロシヤ帝政時代ことに日露戦争前には、ロシヤにおけるユダヤ人は、甚だしき虐待を受け、(略)故に、他国にあるユダヤ人の有志は、自分らの同族たるロシヤのユダヤ人を、その苦境から救はねばならぬと、種々物質的に助力するとともに、いろいろと運動を試みた」

これらの戦費調達で日本は
日本海海戦に勝利した戦艦群、
陸戦で打ち負けなかった28センチ榴弾砲とその弾薬準備、
世界最高性能の30式小銃を購入、量産、配備できたのである。

シフは日露戦争が日本の勝利によって終わった翌年に、日本政府によって招待されて、日本を訪れた。
明治天皇から宮中において親しく陪食を賜り、最高勲章を贈られた。


昭和に変わっても日本政府はスイス銀行に金塊を置き、既発の国債の元利払を
ユダヤ人に対して続けていたのである。

しかし官僚化し頭の悪くなった軍人、経済人達は何故か「借金」を極度に嫌うようになり
昭和14年頃より武器や石油の支払に金のかかる「設備投資」や「精密加工機械」の購入を
ケチりだした。
財閥も何故か日中戦争が行なわれているのに「赤字」を恐れていたのである。
(戦争状態になり通常貿易がとまれば「赤字」「黒字」どころではないのだが)

余談だが昭和14−15年頃から軍部の影響もあってか外国からのの「鉄」「アルミ」「石油」等
の戦略物資の買付けに忙しくなった為か、「特許技術」「海外知識」の輸入が減少したようだ。
そのため太平洋戦争は豊富な資源でである「人間(日本国民)」に器械のできない事をあえてやらせた。
例えば「特攻隊」では誘導ミサイル技術の無さを「人間力」でやらせたし、食料の足りないガダルカナル
島に3万人も送り込んだした。
当時の大本営は武器が無くても「頭数=兵員数」だけあれば現地で何でもできると思っていた節がある。

結果、飛行機用の液冷エンジンも実用化できず、ドイツ製航空機銃も造れなかった。
後知恵だが「戦争に勝つ」のが目的なら借金して戦争開始で踏み倒すぐらいの狡さが必要であった。
この点でも昭和の秀才は明治時代の秀才に劣っていた。

昭和前期の秀才を馬鹿にするのは勝手だが平成の我々はどうだろうか?
商業高校や大学の経済学部でも「借金は良くない」とか「働いて貯めろ」
「宝くじを当てろ」程度の教育である。 
ファイナンシャルプランニングをもっと教えて国民に自己目的のためには「低金利」の借金も
選択肢であることを理解させないといけないのだが、、、、。

国民の多くは当初は真面目に働くのだが道を外れて困ったときに頼るのは「親類縁者」や
「サラ金」等では無いだろ言うか?

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