|
1933年(昭和8年)はドイツのヒトラーが合法的な選挙で首相に就任、
アメリカではニューディール政策が発令された年であった。
日本ではこの年、ゴーストップ事件(天六事件)が発生した。
事件そのものは、大阪北区の天六交差点を陸軍の中村一等兵が信号無視をしたとして
交通整理中であった曽根崎警察署の戸田巡査が注意、天六派出所まで連衡したが、、、
、、、とゆう小さな事件であった。
連衡するさい中村一等兵が「軍人は警官の命令には従わない!」と反撃し両名が喧嘩となり
中村一等兵は鼓膜損傷、戸田巡査は全治一週間の怪我をおった。
騒ぎを知り駆けつけた憲兵隊(陸軍)が
「公衆の面前で軍服姿の帝国軍人を侮辱したのは断じて許せない」と警察署長に猛抗議、
陸軍第四師団も
「この事件は一兵士と一巡査の事件ではなく、「皇軍」に拘る重大な問題である」と抗議。
(皇軍という言葉は明治、大正期には無くこの頃から出てきたようである)
これに対し粟屋警察大阪府県警部長も
「軍隊が陛下の軍隊なら、警察官も陛下の警察官である。陳謝の必要はない」と反論した。
騒ぎは納まらずついには
寺内代四師団長と忍大阪府知事との話し合いも決裂した。
粟屋大阪府警察部長は正義感がありクリスチャンで曲がった事が大嫌いな人物であった。
(後に粟屋警察部長は官選で広島市長となり原爆被災で死亡する)
平行線と思われたとき中村一等兵が憲兵隊に戸田巡査を告訴した。
(これも陸軍のさしがねか?)
これで陸軍VS内務省の争いに司法まで巻き込んだことになる。
司法検事は調停という形で事件を処理しようとしたのだが軍が折れずに迷走を続ける。
最終的には、事態を憂慮した昭和天皇の特命により兵庫県知事が調停に乗り出し、
和解が成立した。
当事者の戸田と中村が仲介した大阪地方検事局の和田検事正の官舎で会い、
互いに詫びたあと握手して幕を引いた。
和解の内容は公表されていないが、警察側が譲歩したものだというのが定説となっている。
小さな事件に思えるかもしれないがこの事件以後、警察や特高(公安)は陸軍刑法と
憲兵に守られた陸軍軍人の犯罪を追求する事がほぼ不可能となった。
この後、陸軍は調子にのり2.26事件(1936年)を起こしたり三国同盟を
締結し日本を徐々に破滅コースへ誘導していく。
2.26事件の裁判も陸軍の軍人が被告の反乱軍人を裁くのであるから
真相は見えてこない。
尚、2・26事件のさい、警視庁は陸軍反乱部隊により真っ先に占拠され
警官全員が反乱軍の「御縄」になっていた。
前年(1932年)の5・15事件(政党政治の終末)と
このゴーストップ事件(陸軍の統帥権独立による神聖化)で部外に敵のいなくなった
陸軍は部内で過酷な下克上を昭和20年の敗戦まで繰りひろげた。
尚、ゴーストップとは交通信号機の事である。
警察官僚はゴーストップ事件や2・26事件(警察御縄事件)で受けた屈辱を忘れる事無く
「復讐心」を持続し、終戦後ABC級戦犯狩りに積極的に警察が動いたと思うのは私の考えすぎ
であろうか?
余談だが現在の各県警は「もしも」だが自衛隊の車両が速度違反を犯したした場合
「青キップ」を切ることができるのであろうか?
2年前沖縄のカー用品店の店内で米軍黒人兵士と見られる若い男性が
「レーダー探知機」を買う場面を偶然に見かけた事がある。
米軍兵士を取り締まるのは沖縄県警なのか米軍のMPなのかと少し気になった。
|