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通常、陸上戦闘では戦死者が1名に対し負傷者3名発生する事が 過去の戦いからほぼ証明されている。 例外は太平洋戦争での日本軍の死者が多いわりに「捕虜」や「負傷者」が少なすぎるいうケースである。 従来、日本軍は玉砕、餓死、病死が多かった事や「敵前降服」を認めない組織 であった事から、死者に対し捕虜や負傷者が少ないと考えられてきた。 私は逆にアメリカ軍の太平洋戦域での日本軍との戦闘に注目してみたい。 1942年8月ガダルカナル島 第二次世界大戦での米軍(海兵隊と陸軍)の反攻後、最初の本格的な戦いは ガダルカナルに再上陸した一木支隊(約900名)との戦いであった。 (このときの米海兵隊は約1万名規模) 敵情を知らぬ一木支隊の突進を米海兵隊が陣地で受ける形になるが 結果は一晩の戦いで日本軍の戦死者775名、捕虜15名(約1.8%) と上記の「1対3の法則」と隔絶した数字となっている。 (ちなみに脱出した日本軍生き残り100名程度内約30名が負傷者だった) 1943年5月アッツ島 アッツ島は初めて日本軍が「玉砕」を認定した事で有名だ。 この戦いで日本軍兵士2.638名が戦死、捕虜は僅か27名。(全体の1%) 米軍は日本軍が「万歳突撃」をかけてきたとしているが仮に全体の半分以上が 負傷しているとして、すべての負傷者が立って突撃が可能だろうか? まちがいなく数百名の負傷した日本軍兵士の捕虜を放置したか、降服を許さず 「射殺」や捕虜への「止め刺し」があったと推測される。 1943年11月タラワ島 この島は米海兵隊単独で上陸しており一層悲惨な戦いとなった。 水際で思いのほか日本軍の攻撃を受けた米軍は1000名近い戦死者と 2200名の負傷者(この場合死者・負傷者の割合1対2)を出し狂気の集団と化し 勝負が決まったあとも日本軍を殲滅した。 日本軍兵士(主に海軍陸戦隊)4.600名は戦死、捕虜17名(全体の0.4%) 日本人民間労働者14名と朝鮮人労務者124名は軍人と区別され生き残った。 1944年6月サイパン島 日本本土爆撃を企画した米軍が飛行場確保の為にに同島に上陸、占領。 日本軍守備隊約3万名に対し、上陸した米軍は7万名(主力は海兵隊)。 両軍の損害は日本軍戦死者2万1千名、自決者8千名、捕虜900名(全体の3%) ここでも常識で考えれば8千名(多くは負傷者?)もの壮丁が自決するのかという疑問が残る。 やはり米軍、特に海兵隊に戦闘後、かなり虐殺されたとみるべきだろう。 米軍の損害は戦死3500名、負傷1万3千5百名と(1対3に近い) この後も、米軍はテニアン島、グアム島、ペリュリュー島、フィリピン 硫黄島、沖縄に上陸し、そのつど日本軍守備隊との戦闘が発生するが基本的には 捕虜を取らない方式であった。 ただし、沖縄では日本の固有領地でもあり民間人も多数存在することから 米軍は兵士達に「捕虜・民間人」の虐殺を禁止する事を厳しく伝え基本的に 捕虜には手を出さずに収容した。 結果、沖縄戦では日本軍の捕虜は7千5百名に達した。 (日本軍全体の約1割の捕虜発生、ちなみに日本軍戦死約7万名以上、民間人戦死約10万人) 日本軍捕虜が一番発生した戦いが沖縄戦であった。 ちなみに米軍の第二次大戦の資料(アルマナック)によるとソ連を除く 連合国側が捕らえた第二次大戦中の枢軸国の捕虜数は ドイツ軍人 63万人 イタリア軍人 43万人 に対し日本軍人1万2千名であるという。(少なすぎるのである) 私はこの数字は少なすぎると感じるが、この数字を信用すれば沖縄戦で 日本軍捕虜が大量発生(戦争中の半分以上)したことは間違いない。 従来の沖縄での捕虜大量発生?は日本の敗戦を予感した兵士が多くなり 投降者が増えたのが定説となっているようだが私は沖縄戦で米軍が日本軍 の捕虜を収容(生存)させるように変更した部分が大きいと考えるが 多くの人の意見・コメントも聞いてみたい。 (どうもこの辺りの海兵隊を主とする日本軍虐殺の研究が表にでてこないのである) 文章構成が悪く判り難い文章となったが、米軍、特に米海兵隊は日本人を 白人国とは区別しインディアン、フィリピン現地人と同様な「蛮人」 扱いに終始した「絶滅戦争」を日本軍に対し行ったと思えるのである。 尚、孤島での米軍による戦闘能力を喪失した日本軍への虐殺があったと 私が確信したのはアメリカ戦争映画「プライベートライアン」の冒頭の ノルマンディー上陸作戦のシーンを見てからである。 米軍は世界一人命を尊重した軍隊であったがそれは自国兵士に対してであった。 |

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