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1918年から1924年にかけて行なわれたシベリア出兵で日本は
世界から「領土的野心」を疑われていた。
しかし、政治家がまだ強く気骨もあり、陸軍の反対を押し切って最終的に
シベリアからの撤退に踏み切った。
(太平洋戦争では、中国大陸からの撤退ができず日本は破滅した。)
シベリア出兵中の美談として日本によるポ−ランド孤児の救済活動がある。
当時ポーランド人は「さまよえる民」となっており祖国はロシアに占領されていた。
ロシア革命やシベリア出兵時には多くのポーランド人がシベリアに抑留されて
殺されており、その孤児だけでも相当数いると見られていた。
1918年にポーランドが独立し新ポーランド政府はロシアにいるポーランド人政治犯や抑留者を
帰国さすべく画策、努力するがソビエトとロシアで内戦中であり困難と思われていた。
ポーランド政府は、せめてシベリアでの孤児だけでも帰国させたいと願い、
欧米諸国に援助を求めたが、ことごとく拒否され、最後にまだ国交も樹立されていない日本政府に
援助を要請した。
当時日本とポーランドではどちらにも大使館もない状態であった。
しかし、日本政府はシベリア出兵中にもかかわらず、外務省、日本赤十字社と調整し
シベリアの「ポーランド孤児救出」を決定した。
(この時、日本以外に米国、英国、仏、もシベリアに出兵しロシア革命の妨害を行なっていた)
シベリア出兵中(各地で戦闘中)の陸軍も協力しシベリアから2年間で763名のポーランド孤児を
救出し、日本に連れ帰り日本で約1年間、看病・養生させ孤児達が健康になると第一便がアメリカ経由
で第二便は日本船が直接故国ポーランドに孤児を送り届けた。
当時の日本では大きな話題となり多額の寄付金が集まり、歯科医が無料で孤児たちの
歯の治療を行なったり理容者が無料で散髪してあげたり等多くの奉仕活動をしたと聞く。
当時、米英仏らの一流国が「何の得」にもならないとして拒絶した「ポーランド孤児救済活動」
を日本政府は「得」にはならないが「人間の徳」として実行できたのである。
このような「美しい国」が昭和の時代にいり何故「転落」して行ったのか?
私には大きな要因は中国大陸に進出し、良くも悪くも中国要人とつき合い出してからだと
思えるのであるが、、。
その後ポーランドは1939年9月のドイツ、ソ連により分割占領を受け、1941年6月以降は
ドイツに残るソ連占領地区を再占領されるが武狭精神を失わないないポーランンド国民はドイツに
対して果敢に抵抗した。
ドイツの敗色が濃くなるとポーランド市民は首都ワルシャワでドイツ軍追放のためのワルシャワ一揆も
起こす。
結局ソ連に再占領されるが戦後も、ソ連に同調することなく「民主主義」を追い求め1980年
代に東欧でいち早く民主化に成功した。
1996年ポーランド政府は日本で95年に発生した「阪神淡路大震災」の日本人孤児30人を
ポーランドに招き1ヶ月間盛大に歓待した。
生存していたシベリア孤児も皆75歳以上であったが4名が出席し「人生の先輩」として
日本人孤児たちを勇気づけたという。
こういう話が好きな方は
以前書き込んだ日本とトルコの話も読まれてみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/naomoe3/37234889.html
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