涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

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クリスチャンであった山本七平氏が「イザヤベンダサン当時?」に書いた
「日本人とユダヤ人」以来、氏の書いた本は注目し読んできたが手つかずの本があった。
当時(1970年代)、朝日新聞記者の本多勝一とイザヤベンダサンの誌上論争には
10代ながら私もかなり影響を受けていた。
(当時は本多記者が優勢に見えていた)
山本七平氏はインテリながらフィリピンで終戦まで砲兵士官と戦った事でも有名である。
作家で大作「レイテ戦記」を書き上げた大岡昇平氏と経歴が似ている。

その手つかずの本は「洪思翊中将の処刑」という題名である。

この単行本は500ページを以上あり厚い本の背表紙に圧倒された私はヘたれてしまった。
 (私の京極夏彦への挑戦は分厚い本へのアプローチ修行であった)
洪中将は大韓帝国(朝鮮)生まれながら日本軍に入隊、元韓人では最高位の陸軍
中将にまで出世するが終戦後、捕虜虐待等で連合軍のBC級裁判で処刑される内容である。
本が分厚いのと朝鮮人が主人公という事で当時の私の興味(琴線)に触れななかったのである。

きっかけは、2006年秋文庫本が出たので再読に挑戦するかといった具合だ。
改めて読んだこの本は山本七平氏の晩年期にかかれており、素晴らしい内容の書物である。
書物は最初面白くなくても10年程経過して再読すれば前回理解できない点が
精細に理解できたり、作者の真意が判り面白くなることが多々ある。
もっと早く読むべき本だと今頃になって悟るが遅いのである。
「洪思翊中将の処刑」は山本の残した著作の中で一番の力作であろう。
(近年、山本七平氏は死後も再刊が続き、再評価されているように思えます)

この本の受け流しで再度、洪中将の履歴を紹介してみたい。
1889年大韓帝国に生まれた洪は頭脳明晰で日本の幼年学校に数十人の同胞と国費で留学する。
一部に朝鮮の王族で日本軍で昇格した者も少数いるが、洪思翊は実力で努力し
陸大まで優秀な成績で卒業し、軍務でも周りの多くのエリート日本軍人より優秀であった。

洪が日本へ国費留学中に行なわれた日韓併合を期に他の留学生仲間から、日本軍人を辞め、
反日=朝鮮独立を志向するよう勧誘されるが「いまだ時期尚早である」として断っている。
つまり洪中将は日韓併合で表面は日本人、日本軍人になったのである。
しかし、多くの日本人や日本名になった元朝鮮人の友人達からの「創氏改名」への誘いには
なぜか耳を傾けず死ぬまで洪思翊で通したのである。
(つまり創氏改名は絶対強制では無かった事がわかるが、、、、、)

日本人以上にトントン拍子で昇進した洪は戦時中はフィリピンに赴き、1944年捕虜収容所所長、1945年フィリピン兵站総監まで登りつめ陸軍中将で終戦を迎えた。

しかし1946年9月洪中将は日本軍人としてB級戦犯で裁かれ戦犯として処刑される。
捕虜虐待の責任を取らされているが洪中将が捕虜を虐待(命令)したとは思えない。
たしかに、洪中将の知らない処で日本兵による捕虜への虐待、虐殺は行なわれていた。
しかし、洪中将がそのような命令を出すはずが無い。
山本七平によれば捕虜に対し出来る限りの事を精一杯したと書かれている。
(収容所所長の経歴も半年程度である、、、つまりは連合軍の復讐裁判である)
フィリピン戦での日本の戦犯処刑者として山下大将や本間中将の刑死が有名である。
山下大将は死刑の直前「ワシは東條に売り飛ばされた!」等と錯乱めいた事を叫んだとの
証言も同書にあるが、洪中将は刑死の直前に日本人のしどろもどろの片山牧師に対し
「片山君、何も心配するな。
 私は悪いことはしなかった。
 死んだら真直ぐ神様のところに行くよ。
 私には自信がある。だから何も心配するな。」
逆に若い片山牧師の体調を気遣い無事に片山牧師が帰国できるよう励ましたという。

私が感動したのは死にあたっての洪中将の潔さである。
裁判では苦しい弁明はせず無言で通し、辞世を2句残している。
 「 くよくよと思ってみても愚痴となり 敗戦罪とあきらむがよし 」

 「 昔より冤死せしものあまたあり われもまたこれに加わらんのみ 」

普通、「私は朝鮮人だ、無理やり日本に連れてこられ軍人にされた、、、」
「部下が勝手にやった事で私は知らなかった、、、、」
等と裁判になると終始、自己弁護しがちである。
(今でも日本人政治家はことが起これば秘書が?、、、、等とというものが多い)
もちろん内面の冤死への苦悩は計り知れないものがあったろう、、、。
洪中将は黙秘を通した続けたおかげで虐待虐殺の日本人実行者でその命が
助かった者(洪中将の部下)も多かったであろう。

自分自身で日本を選択し、日本の軍服を選ぶ事を彼は自分自身で決断したのである。
その自身の決断に対して戦争に負けたからとフニャフニャと周りのせいに言い訳しなかったのである。

洪中将が大尉だった頃、長男の洪国善が日本人から「チョーセン、チョー−セン」
と差別され日本の子供達に苛められていた。
困っていた息子に洪はこう語りかける。
「これは大変に困った問題だ。
 難しい問題、また早急に解決できるとは思えぬ問題である。
 自分はこのことについて大分調べたが、アイルランド人とイギリス人の間に、
 非常によく似た問題がある。
 それゆえアイルランド人の生き方が我々の参考になるであろう。
 アイルランド人はイギリスで、どのような扱いを受けても決してアイルランド人で
 あることを隠さない。
 そして名乗るときは必ずはっきりと『私はアイルランド人の誰々です』と言う。
 お前もこの通りにして、どんなときでも必ず『私は朝鮮人の洪国善です』とはっきり言い、
 決してこの『朝鮮人の』を略してはいけない、、、、、」
素晴らしい父親である。
この当時、東郷外相等を筆頭に、姓名を日本名にした朝鮮出身者はかなりいて洪も
多くの選択肢も考えたはずだが朝鮮名に拘り抜き、自己や子供への差別に対しても改名
せず「困難な道」な誇なる孤高を選択した事実は内心では朝鮮人を代表して日本人、
日本組織と対峙していたのではなかろうか?
「日本人達よ、、、朝鮮人を馬鹿にするが俺は日本人より遥かに立派に生きて見せるぞ、、、、」と。

実際洪中将自身、新しい部隊に赴任すると居並ぶ日本兵の前での初訓示で
「自分は朝鮮人の洪思翊である。唯今より天皇陛下の御命令により、指揮をとる。
 異義のあるものは申し出よ、、、、、」
と語っていたそうである。

終戦後も洪思翊中将亡き後、韓国に戻った夫人と子供達の苦労は続く。
立派な洪思翊も韓国では戦後「民族の裏切り者」「反逆者」扱いされ、朝鮮銀行に就職していた
長男は李承晩大統領の指示で強制退職、東京女高師を出ていた妻、李清栄も韓国で就職できず
貧窮に喘いでいた。
韓国でも戦中、名声の高かった洪中将の遺族がを李承晩は将来政敵になると思っていたのか
それが韓国人に共通の視野の狭い考えは方かはよく判らない。

1968年、京都市東山霊山観音廟の境内に「韓国人犠牲者慰霊塔」が建設された。
その除幕式に洪の未亡人と長男は招かれた。
慰霊塔には、日本軍人・軍属として処刑された23柱を中心に、日韓併合から敗戦までの
犠牲者が祀られる。
(当然、故洪中将も23柱に含まれる)
洪思翊中将の遺族は日本財界からの援助で日本に6年留まり米国へ旅立ったという。
佐藤栄作首相は洪未亡人にポケットマネーから100万円を渡し、洪未亡人は
100万円を定期預金し利子で米国への旅費を賄ったという。

山本七平氏の「洪思翊中将の処刑」は日本で単行本は絶版となったが2006年
ちくま文庫より上下2巻で復刊された。
(2巻で約800ページ)
韓国でも翻訳本がでたというが現在は今は絶版のようである。

洪思翊中将は山本七平氏の努力で日本では少し復権できたが故郷の韓国においてはいまだまだ
遠いようである。

私は洪思翊中将と17世紀の日本の殉教者「ペドロ岐部」の神にも、自分自身にも、
周りの者にも「嘘」をつかない自分の選択した道を信じて進んだ「美しい生き方」は
ダブって写るのである。

以下ペドロ岐部の記事
http://blogs.yahoo.co.jp/naomoe3/45633024.html

日本軍人として言い訳せず職務と責任を全うし、個人としては「創氏改名」を行なわず通した
「洪思翊(こうしよく、홍사익・ホン・サイック」としての生き方を日本人、韓国人共に
再評価すべきではなかろうかとの思いに至るのである。

戦後売国奴となり、東京裁判で偽証したりS元参謀、GHQやモスクワに再仕官しようと土産を用意
した多くの元参謀、特攻の責任をO中将に被せ自身は国会議員となり原爆投下や東京空襲を指揮した
敵将ルメイに勲章を与えたG元参謀、終戦後タイから脱走し東京裁判が終了すると参議員になった
T元参謀、中国山西省に共産主義への防波堤として日本兵を2600名残地させて自分はいち早く
帰国して自分は恩給もらうが見捨てた部下を脱走兵扱いしたS将軍ら首脳、、、、終戦時天皇に
銃を向けクーデターを企てたA大臣と参謀達、、、、彼らよりも洪思翊は数段、自身の信条と日本の
軍服に忠実であり人間としてもはるかに立派であった。

この本を友人に貸しているが戻って来ないのは未読の証しであろうか。
読むまで10年以上かかった私も友に大きいことは言えないが、多くの方に読んで欲しい本である。

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11月6日

前夜、東京から飛行機で広島に着きました。

朝8時、広島バスセンター3階(発着場)に行くと竹林庵
http://chugoku.gourmet.livedoor.com/restaurant/info/308752.html
という食券買ううどん屋さんが
あり「ラーメン」もモーニングサービスなのか580円→480円と書かれてあり
480円のラーメン頼みました。

うどん屋さんのラーメンなので昨日の品川サンディーヌ並かと待っていました。
しかし、出てきたラーメンは昔風の中華ソバでこれが美味しいのでした。

朝からスープ全部飲み干しました。

なお、私は未訪なのですがこのバスセンター街の七階には
地元でも有名な一杯250円の広島ランメン(ラーメンとは呼ばない)
があるそうです。
http://www.itsuji.jp/index.php

この後、広島の事務所に向かいました。

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