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戦記物の本を読んでいると日本の軍事技術者達は何故、米英を 相手に廻しての太平洋戦争突入に技術者の立場で反対しなかったのかと 疑問がでてくる。 例えば、日本の飛行機は機体設計は日本人が何とか行なったがエンジン、プロペラ、 機銃、精密計器等の部品や装置はほとんどが海外からの輸入品やコピー品 (ライセンス品含む)であった。 日本の軍艦は居住性を犠牲に大型の機関を搭載はしていたが米国製に比べ 小型化・高圧化・高出力化でキャッチアップ不能な程に遅れをとっていた。 (現在も舶用機関は欧米に追いついてないと思われる) 戦艦の巨砲は自重撓(たわみ)みの問題が解決できず45口径以上の 長口径砲の製作は困難であった。 (それなのに日本戦艦の命中率は米戦艦の3倍と部内で公言していた) 陸軍の全ての戦車の開発を指揮したH中将は戦前、戦時中はおろか戦後も 「我が空冷ディーゼルエンジンは世界イチ」と自画自賛し 戦後も三菱技術陣に(61式戦車、74式戦車)「空冷ディーゼルエンジン」 を押し付けた。 進歩のとまっている戦前のH元陸軍中将に戦後の三菱技術者が文句が言えない点が 日本の技術者達のタテ社会の掟なのだろうか? 戦車用空冷ディーゼルとは日本以外採用しておらず、水冷と違い空冷の為 大型の冷却ファン(大型扇風機)を廻す為に出力の約2割を冷却駆動にとられ大型の エンジンルームを設けるため車体や車高の大型化を招き、その分装甲板が薄くなり結果、 車体防御が手薄となるという歴史を戦前から戦後まで日本戦車は繰り返してきた。 当時の軍事技術者達は用兵家よりも開戦前から日本は「戦えば必ず負ける」 事をある程度予測はできていたにもかかわらず何故沈黙していたのだろうか? 実は当時の日本の軍事技術者達は実際の多くは欧米のモノマネ品を造るだけなのに 用兵家達や国民に対してはあたかも自分達が発明、改良したように日頃から自慢していたため に戦争が始まり海外からの技術導入が困難になると 「自分達の頭脳・能力だけでは技術戦争に勝てない」と本音が言えなかったではなかろうか? 用兵家達は普段の技術者達の言葉を信じ過ぎたのかも知れない。 日本は明治開国後、欧米から一流の軍事技術者を招いたり、用兵も造兵もマルチに理解・指示 できた山県有朋や上原勇作のような軍事テクノクラートが存在しそれ程ミスリードする事も無く 欧米にキャッチアップしつつあると思われていた。 しかし、第一次世界大戦時より航空機、潜水艦、戦車、毒ガス兵器等の新兵器が続々登場する ようになり山県、上原に続くべき専門知識を持つべき具眼の士が存在せず、セクショナル化 していき技術情報も陸海軍がそれぞれ別ルートで入手しようとしたり、部内情報の保守隠蔽の 結果が先の大戦で技術的に敗戦した大きな要因と思われる。(用兵・造兵の分離) つまり各セクション内で海外技術情報を握っていた上層の者が単なる技術文書の ブローカーだったに過ぎない事を露呈したのが太平洋戦争だったのではないだろうか? こういう技術屋(海外情報や社外情報・特許回避・部下の手柄を自分にスリカエ) は今の社会や会社の中にも多いのではなかろうか? もちろん体を壊したり血尿が出る程に連日徹夜で頑張った多くの日本技術者もいたことを忘れては
片手落ちであろう。 |

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