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日本全国に西洋風教会は約1000ヶ所存在するらしい。 一番教会の多い県は長崎県で133もの教会が存在するらしい。 長崎県には日本の近代建築の黎明期を代表する教会が数多く残されている。 しかし過疎化が進んでおり、教会の荒廃や補修・改築・等が現実問題となっている。 その保存対策としてユネスコを通じて明治〜昭和初期にかけてたてられた 長崎県の教会群を世界遺産に登録しようという動きがある。 もし世界遺産となれば長崎の教会の多くを手がけた鉄川与助は更に知られていく事だろう。 愚劣な私は今年の2月中旬、ANAのキャンペ−ンに踊らされて自腹で 五島福江島へ1日観光を楽しんだ。 http://blogs.yahoo.co.jp/naomoe3/46031332.html 五島福江島では鉄川与助の事を知りいつかブログに書かねばならないと考えたが あっというまに3ヶ月以上がが過ぎてしまった。 明治12年、鉄川与助(1879年〜1976年)は五島、中通島の代々の大工の 家系に生まれた。 鉄川与助は17歳で一人前の大工となるが非常に知識欲、吸収力が旺盛で 当時外国人宣教師指導のもとに長崎の各地に建てられていた教会建築に強い興味をいだく。 その後、鉄川は、フランス人のペルー神父が監督・設計にあたった曾根天主堂の建築 に一大工として参加しペルー神父から非凡な建築能力を認められる。 鉄川はペルー神父から西洋建築の手ほどきを受けて、田平教会のリブヴォルト天井の 建築方法を学んだという。 (リブヴォルト天井とは、それぞれの柱が上に伸び、肋骨のような構造で天井を支えるという様式。、 教会にふさわしい荘厳な雰囲気がつくられる。) 28歳で鉄川は初めて自分自身の設計施行で五島の冷水教会(木造)を建てる。 長崎のドロ神父とも深い交友があり、田平教会では煉瓦造りの教会を建築。 平戸にある紐差教会ではコンクリート造りと多彩な建築方法で数多くの 西洋式教会(天主堂)をつくりあげた。 高等小学校しか出ていない鉄川は、日本建築学会主催の講習会には欠かさず上京して参加、 会場の受付担当者からは「いつも一番乗りの長崎の人」と顔を覚えられる熱心さだった。 微積分も独学で修め、帝大出のエリートたちに交じって二十九歳で同学会の会員に推挙された。 鉄川は非常に誠実であった、貧しい人々から集まった浄財を基に教会を立てるために 「いかに美しく、いかに頑丈に」といつも心がけていた。 鉄川が建てた教会は長崎県を中心に40ヶ所以上にもなるという。 鉄川の人生には少し謎が残る。 鉄川は自分でも大変努力したが仏教徒ながら何故、数多くの教会を造り続ける事ができたのだろうか? ペルー神父やドロ神父のもとには「仏教徒に教会を立てさせるな」との一部信者からの 申告もあったらしい。 又親しくなったドロ神父は何度か鉄川に入信をすすめたらしい。 しかし、鉄川は生涯を仏教徒で通した。何故なのか? 真相はわからないが鉄川はペルー神父やドロ神父をとても尊敬しており 入信してもよいとは思っていたが入信して教会建築に携わる事を 他人から「鉄川は入信して教会の仕事を多く貰った」と後ろ指さされるのを 嫌悪したような気がする。 (結果的に入信しない鉄川を起用し続けたドロ神父も偉大に思えてしまうがであるが) それとも真の建築家は自由な発想の為に「心は常に自由」であろうと不断の誓いを 自分自身にたてていたのだろうか。 しかし鉄川は洗礼や入信こそしていないがキリスト教への偏見ではない深い理解が あったと思われる。 2月中旬、五島福江島の堂崎教会は非常に綺麗だった。 鉄川の建てた教会の多くは今でも地元の風景に溶け込んでいる。 ここに行かなければ私は鉄川与助の名前すら知らずに過ごしていただろう。 |

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