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年明けという事で故郷、福岡県の知られざる歴史を書いてみたい。
日本で最大の火薬爆発事故は福岡県添田町で終戦の年昭和20年(1945年)
でおこった二又トンネル事故ではなかろうか。
戦時中、北九州地区の小倉には西日本最大規模の小倉造兵廠や填薬所、弾薬庫が存在した。
戦前、戦時中、大砲はすべて官営の造兵廠で製作生産していた。
独のクルップ社等とちがい民間企業に大砲の製作をさせない「政策」が裏目にでて
日本軍はどの戦場でも大砲(砲弾も)が足りずに苦戦した。
しかし戦時中の小倉周辺には膨大な火薬、弾薬が備蓄されていた。
昭和19年後半から昭和20年前半、空襲や本土決戦に備えて鉄道を利用して
可能な限り火薬を筑豊等に分散備蓄しつつあった。
小倉(雲量が多かった)をパスし長崎に史上2発目原爆を落としたB29ボックスカー号は
八幡製鉄所を目標とせず小倉市の市民と小倉造兵廠、山田弾薬庫の殺傷破壊が当初の攻撃目標
だったと思われる。
昭和20年8月15日の終戦以後も福岡県各地の爆薬、火薬庫はいちおうの警備はされており
小倉に進駐してきた米軍に引き渡す段取りであった。
昭和20年11月12日、米軍は日本軍が隠した田川郡添田町の彦山駅南の吉木トンネル、
二又トンネル内の旧軍の無煙火薬550トンを確認押収し何とその場で焼却処分する事になった。
吉木トンネルで燃焼実験を行い大丈夫(爆発せず燃焼)と確認した米軍将校達はジープにのり
去っていったが2時間後に二股トンネルが突如大爆発を起こし付近2キロ周辺の民家の人々や燃焼を見守っていた地元の警察官、消防団、町民合計147人が死亡,約200人が負傷した。
爆風だけでなく線路、トンネル、山が吹き飛び、その飛んだ土砂や落石の落下で被害が増えたようである。
550トンの火薬といえば爆撃機B29換算約200機分程度の爆弾の中の炸薬量に匹敵するのでは
なかろうか。
爆発音は60キロ以上離れた福岡市や別府市でも聞こえたそうである。
この事件は我国最大の火薬爆発事故と思われるが米軍の占領下にあり全国報道される事は無かった。
現在もJR日田彦山線で彦山駅から筑前岩屋駅に向かう途中に爆発した二又トンネル址に軌条は
あり列車も一日数本通るがトンネル軌条より上部の山全部吹っ飛んでおり、掘割したように見える。
杜撰な処理で立ち会わずに早々と引き揚げた米人将校は軍法会議で処分(将校資格剥奪程度?)
を受けたが米政府からは被害を蒙った添田町町民達には現在まで何も為されていない。
私は小学生の頃、添田町の病院に一月程入院した事がありトンネル爆発事故の話は入院中に何度か
聞いた事があるのだが大人になって全国的には知られていない大事故、しかも国内最大規模の爆発事故
で米軍の関与があった事を知った。
写真上 JR彦山駅 当駅の500M南で爆発がおこった。
写真中 イメージ写真 別の場所のトンネル跡で記事とは関係ありません。
写真下 2008年1月19日 日田行き列車からみたJR彦山駅
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