涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

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海苔は古来は7世紀頃から食材であっとされるが戦後まで1300年間
もの間、貴重な高級食材でありつづけた。
江戸時代に入り各地で海苔の養殖が行なわれたが、タネ(胞子)代 が
高く、天候や海水温度にも左右され海苔漁民達は海苔養殖に先行投資
しても回収が伴わずに経済的に危険でリスキーな職業と見られていた。
いわゆる相場商品であり「運草」とも呼ばれていた。

終戦間もなく国交も回復してない1949年、英国に住むにキャサリン・メアリー・ドりュー・
ベイカーー女史(以後女史ドりューと呼称)と名乗る女性藻類科学者から戦前に親交のあった
九州大学の瀬川宗吉教授宛へ書簡が届いた。
瀬川博士は内容に驚きつつ熊本県水産試験場の研究員太田扶桑男氏に書簡を披露した。

書簡の内容は・・・海苔の胞子は春先から秋口まで貝殻の中に潜り込み、黒い糸のような状態(糸状体)で生長し、秋口に貝から飛び出し海中を浮遊することが発見された。この発見によって初めて海苔の一生が明らかになった・・・・その結果、現在のような 海苔の胞子を人工的に育てて養殖する方法・・・

太田氏はその時の衝撃を受けとめ不眠の努力で海苔の養殖実験にとりかかる。
干潟の実態に詳しく、従来の学説に違和感を覚えていた太田氏は、
直観的にドりュー説の正しさを認識していたのである。

それまで海苔の胞子は海の中に浮遊し、海岸の岩場に付着して夏を過ごし、
秋口に果胞子を出すと思われていた。
そこで竹ひびや海苔網を海の中に建て込み、それに自然に海苔芽が付着して
成長するのを待ち、手摘みをするのが一般的であった。(経験則による養殖?)

海苔の胞子が貝殻に潜って夏を過ごすことを発見したのが、イギリスの海藻学者である
ドゥルー女史である。
彼女は人工養殖の生みの親で、今日の日本の海苔養殖発展の大きな貢献者である。

海苔の果胞子を貝殻に潜らせて育て、果胞子が糸状に成長して再び果胞子を発芽させ、
そこで生まれた胞子を海苔網に付着させて育てる「人工採苗」という方法で増殖させる
方法(可能性)を見出した。

一九五五年(昭和30年)太田氏はいち早く人工タネ付け実験に成功し、
日本水産学会で発表する。
全国の海苔漁民に役立ててほしい、と太田氏は特許を取らなかった。
その思いは報われ、生産量はぐんぐん増えた。
これにより海苔の養殖事業は、革命的な大進歩を遂げ日本で海苔は一気に
庶民レベルまで家庭の食材として大普及した。
戦前はオニギリに海苔を巻いて食べる庶民は一部の江戸子を除いて
余りいなかったのである。

太田氏を中心とする熊本県の海苔養殖者達は「ドリューさんを日本に呼ぼう」と運動した。
しかし皮肉にも彼女はそのころ、戦時中の栄養失調と研究の激務がもとで世を去っていた。
(女史は1957年・昭和32年に56歳で逝去)
又太田氏にドリュー女史の手紙を翻訳し伝えた瀬川宗吉教授も世を去っていた。

残された我々の手で顕彰碑を、という太田氏のの呼び掛けに応えたのは、国や学会ではなく
全国の海苔漁民だった。
小額の寄付が無数に積み重なって、人工タネ付けの先進地である熊本の海に面した
宇土市住吉神社に石碑が完成したのは一九六三年(昭和39年)だった。

除幕式には、ドゥルー女史の夫であったベーカー博士が
「日本政府が建てたのなら来なかったが、日本の漁民が妻を慕ってくれたことがうれしいから、、」
と任地のインドから駆け付け、石碑をまるで亡き妻を労わるように撫でながらスピーチした。
「私は特にまごころと表現の美しさに深く打たれた。
 妻の功績を認めた彼らの誠意は、日本から遠く離れた私たちもいつまでも忘れはしないでしょう」

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毎年4月14日になると住吉神社に全国の海苔養殖に携わる人々が集まり顕彰式典が
とりおこなわれる。
ドリュー女史は彼らの感謝の心を、天国から優しい表情で俯瞰しているのではないだろうか。

「ドリュー女史顕彰碑」の所在地は、熊本県宇土市住吉町の住吉神社境内の裏手、
住吉灯台の下にあり、国道3号線の宇土市から三角・天草方面に向う、国道57号線
の右手海が見えてくる場所にある。

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昭和天皇も天草行幸の途中に住吉町を通りかかった時
「ドゥルー女史顕彰碑があるそうだが?」
と言われ、関係者や地元の案内者が驚いたという話しがある。
さすがに学者でもある昭和天皇のお心配りである。

何故か熊本県と昭和天皇といえば以下のような真贋は定かでない話が一人歩きする。
「陛下、あちらの山が阿蘇山でございます」
「あっそう・・・」
という話が有名だが、学者昭和天皇が公務中にも関わらず
住吉神社のドリュー女史の功績に感動され女史の碑を訪れた事こそ
後世に伝えて行きたいものである。





参考

海苔ジャーナル
http://www.j-nori.com/main.html


******************************
ドリュー女史と熊本苔漁民の話を記事にしようと思いついて3年になりますが、
文才が無く感動的な文が苦手な私は躊躇してしまい記事にするのが
大変遅くなってしまいました。

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