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1945年8月の終戦時、潜水空母伊400等3隻を率いウルシー環礁攻撃に 向っていた潜水隊の司令有泉竜之介大佐は米軍の接収の際に伊401潜の艦内で自害した。 この当時残存していた多くの日本の軍艦が米軍に接収されたが多くの 日本の艦長や司令は自決してないが、有泉大佐には何か事情があったのだろうか?。 「太平洋無くしては独立も存立も叶わぬ日本である。 苦難の中にも、将来の日本の再建と発展をこの太平洋で何時までも見守りたい。 願わくは、一番大きな軍艦旗と共にこの太平洋の底深く。」 有泉大佐は軍艦旗を降ろし星条旗を掲げることを潔しとしなかったから自決したとの ような戦記本での自決場面(心理描写)がでてくるが私は自決する動機として は少し弱いのではないかと感じていた。 私の有泉大佐自決に対する疑問の回答は2007年発行された平間洋一氏の 『第二次世界大戦と日独伊三国同盟―海軍とコミンテルンの視点から』 という学術書に書かれていたので後述する。 日本海軍によるシナ事変や第二次世界大戦での戦時犯罪は重慶爆撃等の都市爆撃 が有名で他に巡洋艦利根によるビハール号船員虐殺事件が知られている。 (以前のビハール号事件記事→ http://blogs.yahoo.co.jp/naomoe3/46679496.html ) しかし今でも表に出てこないが日本の潜水艦は日本海軍の隠れた汚点となる虐殺を 11件も行っておりその殺害された連合国死者の合計は800名以上にものぼる。 日本帝国海軍の潜水艦は第二次大戦での活躍は少なかったものの客船や輸送船は 狙わずに大型軍艦攻撃に執着し続け逆に日本潜水艦隊の犠牲が増えたとされている。 米潜水艦が日本の輸送船を集中攻撃し10万人以上の水没死者を出した 事と比較しても日本潜水艦は米英の軍艦攻撃一辺倒である意味人道的な戦争を 遂行していると戦時中も戦後も思われてきた。 私は日本潜水艦が沈めた客船や輸送船から泳いで逃げ惑う船員達を機銃で容赦なく 殺戮していたとはまともには信じられなかった。 なぜならば前の記事(1話)で書いたとおり日本人は自分らの意思では虐殺を企画しない と考えるからである。 話は複雑になるが当時ドイツのUボートという潜水艦を多数建造し大戦中に 2800隻にも及ぶ連合国の輸送船を次々と沈めたが連合国側は1万隻以上の 輸送船を建造し米英間や米ソ間のシーレーンは盤石な体制であった。 ヒトラーは連合国の商船を沈めても新造船が短期間に撃沈数の数倍も進水するので 全ての輸送船を撃沈できないが撃沈のたびにその乗員を殺していけば訓練や習熟に 時間のかかる乗員数が不足するのではないかと思いつきドイツ潜水艦部隊に対し 「攻撃後、船員も射殺せよ!」との指令をだす。 しかしドイツ海軍潜水艦部隊の総責任者デーニッツ指令は総統命令であるにも関わらず 職責をかけて断固拒否し隷下の潜水艦部隊に虐殺命令は出さなかった。 そのおかげか2800隻も沈めたドイツ潜水艦部隊の中から船員虐殺等で問題となった 事件は僅かに1件である。 米海軍でも1隻の潜水艦が日本船撃沈後の虐殺が1件知られているが。 同時期ヒトラーは外務省を通じて日本の大島大使に連合国船員の虐殺を日本にも要請していた。 大戦中日独間にはシベリア鉄道が利用できなくなり潜水艦での訪問を繰り返していたが ドイツ側の科学技術導入を日本は受け入れるばかりで日本からドイツが興味を示す技術を 輸出することはできず(ドイツが興味を示す物が日本側に無い)ドイツ科学技術情報に 頼りきりとなっていた。 そのような空気が醸成されるなか、日本海軍はレーダー、ジェット機等科学技術を提供してくれる ドイツに対して「何かで」貢献しなくてはならなかったのだが、それがインド洋での潜水艦作戦 となりヒトラーの希望も考慮した連合国海員の殺戮へと流れたようである。 日本海軍潜水艦部隊はインド洋を中心にドイツとの共同潜水艦作戦を昭和18年2月以降、 「撃沈後、乗組員の全滅を敢行する」作戦を展開、約1年半で100隻以上の輸送 船を撃沈するがそのうち11件もの船員殺戮を行ってしまったのである。 (日本海軍潜水艦は昭和18年インド洋において通商破壊戦に従事、ドイツからインド洋に 派遣されたUボートと共に連合国輸送船を次々と沈めたがUボート艦長は沈めるだけで 日本の潜水艦艦長は「撃沈後、乗組員の全滅を敢行する」作戦の事で心を痛めていたのである。 ヒトラーの命令が廻りまわって受ける組織が異なると行為・結果も異なったのである。) しかし現場の日本潜水艦部隊が何の逡巡も無くこのような違法虐殺行為を安易に行ったわけではない。 上からの強硬な指示に半年間以上も無言の抵抗を現場の艦長達は行ってはいたのでる。 (艦長の心理的にも抵抗があったろうし、虐殺のため浮上する事も潜水艦にはかなり危険であった。) しかし半年後、良識の禁を破り初めて昭和18年12月に伊号8潜が英貨物船ディー・モラー号 の撃沈で乗船していた海員を殺戮しついに口火をきった。 その時の艦長こそが海軍大学を出て国際法にも明るく人望もある歴戦の有泉竜之介中佐(当時) であった。 私は有泉中佐に口火を切るように海軍上層部から特別な指示(強い圧力)があったものと考える。 (尚、wikには有泉中佐の伊号8潜への着任は1944年1月となっている。 43年11月時点で有泉中佐は参謀として伊号8潜に乗り込み虐殺を指示した可能性もある。) その後6隻の日本潜水艦が昭和19年10月までに11件英国、オランダ、ギリシア、 米国の貨物船の乗員を殺戮、明らかな海戦法規違反事件をヒトラーへの義理たての為に 続けたのである。 昭和19年3月の巡洋艦利根によるビハール号船員虐殺事件も舞台はインド洋であるから 利根艦長への船員処分?指示も潜水艦部隊へと同目的の命令通達だったのしれない。 戦後、この事件は連合国により激しく追及されたのであるが海軍上層部の関係者が亡くなったり 実行者である潜水艦艦長も多くは有泉大佐のように亡くなっていたため海軍の生き残り総責任者 嶋田大将(元海軍大臣)に終身刑が言いわたされ他の幹部や生き残り艦長ら15名が有罪となった。 しかし水上部隊のビハール号事件で左近允提督が刑死したのに比べ、刑死者が潜水艦部隊から でなかった事は日本や起訴者にとってはある意味幸いであった。 しかし日本帝国海軍はドイツから外務省経由で強い要請があったとしても全面的に受け入れて よいはずもなく、ドイツを喜ばせようと受け入れた結果、帝国海軍の歴史上の隠れた 汚点となったのである。 これは日本海軍の悲しく、残念な汚点であるが、誰か上のものの中に 「高貴ある日本海軍としてこのような海戦法規に触れる作戦は人道上、認可できない。」 と一言発言できなかったのだろうか? 誠に残念ながら帝国海軍上層部にデーニッツのような見識者は存在しなかったのである。 いきなり日本の「美しくない」話となってしまったが米軍はもっと残酷な行為を 太平洋戦争で行っている。 日本人は所属組織の上部からの命令指示に弱いという事と、廻りの者がやり出せば違法行為も 安易に自身も加担しても逡巡しないという風潮が現在も残っているように思えるのである。 実は私は若い頃から日本海軍ファンである。 日本海軍には現場の指揮官や下士官。兵にまつわる美談にも事欠かない。 しかし、日本海軍を知れば知るほど上層部の戦中は怠惰で卑怯で戦後は隠蔽の巧い 今の外務省にも似た雰囲気を持っていた上部組織であった事を痛感するのである。 この話は海軍関係者からの戦記本には殆んどでてこない話題であり、私も今後の日本国に 不利になるようであれば記事にしない方がいいかもと逡巡?したが 外国ではそこそ知られている事でもあり、日本人組織の行なった戦時犯罪の一事件の一例として 本記事にする。 私は 先の1話で近代まで日本は大虐殺と無縁だったと書いたが昭和の前半日本人、 又は日本国がどう転落していったのか? それとも世界中がそのような弱肉強食の時代の趨勢で日本だけが悪くはなかったのか? という対比する部分も今後、余裕があれば考えてみたい。 3話 以降は世界中でおこった20世紀の虐殺を私なりに書いてみる。 もちろん日本の組織が犯した虐殺にもふれる予定である。 2009年1月14日以下追記↓ 米潜独潜の犯した戦時犯罪のそれぞれ1件づつであるが・ ちなみに米潜水艦の犯した事件は1943年1月米潜ワフーが武洋丸を撃沈、 艦長の個人判断で漂流中の日本人船員等250名を虐殺。 事件後艦長はよくやったと勲章を授与されている。 艦長はは「日本人に対する人種偏見と生かせておくと連合軍側の誰かが 殺される。」と弁明した。 私はこれ以外にも米潜による日本人船員の殺傷あると考えるが証拠や記録は無い。 ドイツのUボートU852は撃沈後、自艦の位置が暴露されるのを避ける為に艦長 の判断で虐殺。 こちらは戦後、艦長と砲術長は処刑されている。 米、独では艦長個人の判断での戦時犯罪となるが日本の場合、海軍上部から
「口頭命令」を出していた点で違いがでてくる。 日本の艦長個人の判断で行なわれたわけではない事に留意する必要は感じる。 |

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