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最近、ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)という言葉を書物で目にします。 Wikで調べてみると ノブレス・オブリージュまたはノーブレス・オブリージュ (フランス語:noblesse oblige) は「貴族の義務」あるいは「高貴な義務」のことである。 英語では「ノーブル・オブリゲーション」(noble obligation)と言う。 一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指す。 一般的な用法ではないが、慇懃無礼あるいは偽善的な社会的責任について蔑視的 に使われることもある。 また、実際の歴史では、貴族などの特権と贅沢を正当化する隠れ蓑となった側面もある。語源はフランスだそうですが英国ではよく使われ実践されてきたようです。 1980年代フォークランド紛争の時も英国王族や貴族の若者は真先に軍務につき 真っ先にに死地に向かいました。 西洋では特権階級者は普段は贅沢な暮らしをしつつも事、有事の際には真先に駆けつける 「鎌倉武士」と同様な責任感をもちあせていました。 実は私が日本の歴史で面白いと思うのが権力者が権力を掌握すると殺生をやめて貴族化 してしまい、権力掌握以前に自身が行なってきた「殺生」を下部の者達に代行させて しまいにはその実力を備えた下部の者達に自分が座する権力の座を追われてしまう点です。 最初に日本を統一した武人であった天皇
殆んど同じパターンでいくら高貴化しても天皇には敵わないのに↓ 天皇は神聖化 (物部、蘇我氏に権力移行) ↓ 貴族化した蘇我氏 (反対勢力により暗殺するも彼らも貴族化) ↓ 天皇は再度神聖化 (荘園守護に武士が出現) ↓ 政権とると貴族化する平氏 (源氏に敗れる) ↓ 頼朝死後の源氏 (北条氏に駆逐されお飾の将軍と実力ある執権) ↓ 貴族化する足利将軍 (地方レベルでも守護の権威が薄れ戦国乱世の始まり) ↓ 信長、秀吉の高貴・神格化 (徳川に盗られる、家康は貴族化を避けた) それでも天皇をを意識し真似た高貴化をめざす事により時代の権力者達は 「殺生」を止めて行き下部のものに「殺生」を代行させて下部のものに自身も 追われ滅んでいきます。 どうも高貴な身分になると殺生を穢らわしいと思う風潮があったのでしょうか? 私は日本の権力者の交代にはこのような一定のパターンがあるのではないかとも思えます。 ここから本題に移りますが近・現代の日本版ノブレス・オブリージュについてです。 明治維新は色々な要因がありますが若い人を中心とする数々の志士により日本的な 階級革命を行ないました。 志士達の多くは上級武士ではなく下級武士や農民出身が多い事から身分差別は無 くなりました。 しかし、実態は維新後も長州・薩摩藩出身者を中心とする「二藩頂上体制」でした。 西南戦争で薩摩が敗れると薩摩藩関係者は海軍支配に特化し、より組織の大きい 陸軍を長州は支配し続けました。 このような二藩体制に他の元藩民は大きく嫉妬し、特に逆族の汚名を浴びせられた 東北の諸藩の頭の良い人々は「今にみておれ!」と薩長閥打倒を誓いました。 やがて明治も終わり、大正に入り陸軍の山県有朋、海軍の山本権兵衛が引込むと 薩長以外の各地の試験秀才が陸海軍はじめ各官庁に殺到し試験と言う実力で 出世競争をはじめます。 その後、陸海軍を支配したのは戦場の武人でななく試験に秀でた制服を着た文人 による「軍の支配」でした。(単純に東北人の批判ではありません) しかし、これらマル暗記試験秀才達も軍服を着ると外見は勇ましく見え統帥権を たてに「軍部(陸軍)による日本支配」を強め政府要人テロを行い2.26事件を頂点に 日本は軍人(官僚)天下の国となり国益より省益に走り国を誤らせました。 (馬鹿ウヨクは戦前テロ軍人を持ち上げますが。。。) 私は当時の日本だけが悪い国家だとは思ってはおりませんが 第二次世界大戦で戦った近代国家の軍隊で日本軍だけが大規模な 100万人以上の餓死・病死・溺死者を出してしまった事を今後も 考察していく必要性を感じます。 戦前は右傾化、極右(軍国化)して国が滅んだと言われますが、軍人や官僚の多 くが実は左傾化しておりソ連を真似て天皇や皇族をお飾りにした日本版国家社会主義 (統制国家)をめざしていたように思います。 昭和10年頃から社会主義化した官僚に引きづられ日本は国民の命を大切にしな くなりました。 昭和10年を過ぎて国軍が皇軍となり日本刀が復活し、末端兵士にまで 「戦陣訓」を押し付け「不名誉」な事を禁じます。 敵国の捕虜もとらず見方は捕虜になっては一族の恥と「戦陣訓」を国民レベルで 押しつけました。 それでも現場の多くの戦場で日本軍将兵はろくな補給も無い中、戦国時代の 武士に負けず劣らず欧米一流国を相手に大敢闘致しましたが拙い戦略で戦争は 負けてしまいました。 このように私は政治に興味を持ちすぎた試験官僚を中心とする「死ぬ気の無い」 高級軍人等が西洋的「高貴な義務」(ノブレスオブリージ)を発揮せず、召集された 国民兵と戦場の実相を知る将校達に滅私奉公=日本版ノブレスオブリージ精神を 発揮させたのが第二次世界大戦での「日本軍」であったように思えます。 これにより日本国民はあれだけ真面目に戦ったのに「エライさん達の泥縄的作戦」 を戦後知りその反動(同胞不信)で日本は戦わない(戦えない)平和国家と 変貌を遂げました。 「危機における最大の福祉は国防」とも言われますが総理大臣を長とする政治家、 防衛省のトップの方は戦前の国民が命を捧げ義務を果たし示した 「命がけで国を護る」矜持はお持ちでしょうか? 今でも千鳥が淵にはお国の為に数百%の義務を超えて海外で朽ちて眠る御遺骨の 3分の1しか戻っていません。 (日本領の硫黄島にもまだまだ御遺骨は収集を待ち侘びて眠ってます) このまま「命がけで国を護る」政治家が出てこないと自衛隊の隊員も国民も 今後日本が本当の危機に遭遇した場合「国の指導者」に戦前同様に盲目的に就いて くるとお思いですか。 それとも第二次大戦直前に造り上げた「戦陣訓」の21世紀版を国民の為に準備 中なのでありましょうか? 強い意志でフォークランド島を取り返した鉄の女サッチャー首相を凌駕する政治 家は残念ながら今の日本にはほんの少数しか見当たりませんが 「イザとなれば降伏すればいい。」 と考えるような政治家や高級官僚を国民は税金払って養う必要はないのかもしれません。 サッチャーのような政治家が日本にいたらとっくに北朝鮮による拉致問題等解決 しているでしょう。 近代日本で欠けてしまった、あるべき「高貴な義務」を現在の権力者である 選良政治家と高級官僚が忘れたフリをさせないように国民の監視が必要ではないでしょうか。 そういう意味で「選挙」とは児童手当や高速道路無料等に惑わされず政治家の国= 国民への忠誠度を見極めるべき選択肢も加えるべき時代(秋)となりつつあるように 思えてきます。 |

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