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本日、急に思いたち沖縄戦で活躍し昭和20年6月23日に自決された 長勇(ちょう・いさむ)陸軍中将の御墓を見学に参りました。 長勇中将は沖縄戦で現地三二軍の参謀長として牛島軍司令官を支え八原高級参謀を はじめ多くの参謀や指揮官を指導した人物として知られていますが、 特異な人物の多い日本陸軍のなかでも奇想天外さが際だった人物です。 福岡県出身者は戦前から目立ちたがり屋が多いのですが長勇は群を抜いています。 シナ通の軍人として育った長勇は郷土の結社、玄洋社とも深いコネをもち、 陸軍内では先輩の軍人テロ革命家である橋本欽五郎とも義兄弟の中で3月事件 満州事変、10月事件、226事件、南京事件にもキナ臭く関係しており、 普通ならよくて軍人としての御役御免ですが、長勇には陸軍上層部や皇室筋に 多くの後ろ盾も存在したようで日中戦争がはじまると政治軍人というより武人として 戦場の第一線で復活をとげます。 支那派遣軍参謀、張鼓峰事変停戦処理、仏印進駐交渉などで胆力だけでなく非凡な 調整能力を発揮し支那との和平調停にも一肌脱ぎますが東条首相の逆鱗に触れ以後 は懲罰的人事で幻のサイパン逆上陸作戦の指揮官にも人選されますが逆上陸も 適わず最終の地、沖縄守備軍(第三二軍)の参謀長となります。 沖縄戦では八原高級参謀と持久防御か積極攻勢で揉めますが、南部へ撤退後の6月23日 牛島軍司令官と共に潔く自決を遂げた人物です。 沖縄県民の大半は今でも自決した牛島司令官、長勇参謀長、生還した八原高級参謀 ら現地陸軍首脳の評判は海軍の太田実少将に比べると良くはないようです。 長勇がもし沖縄戦の指揮官であれば首里決戦で日本軍を後退させず踏みとどまり 全滅させ史実のような南部での住民を巻き込んだ「鉄の暴風雨」はある程度は 避けられたかもしれませんが、もしかすると史実以上に更に悲惨な結果で 終わっていたのかはわかりません。 長勇中将の墓の入口は福岡空港や高速の福岡ICから近い粕屋町の県道21号線 沿いにあります。 県道沿いの勝軍神社に2台程駐車できるスペースがありますが この神社の左側が長中将の墓への参道です。 参道は簡易コンクリート舗装で車でも登れるようですが対向車と 離合できないので一般の方は神社に停めて歩いて参道を歩いた方が賢明でしょう。 参道は竹林を切り開いて造られたようです。 下の神社から4〜500メートル 徒歩5分程で江辻山山頂(標高62メートル) 横を切り開いたと思われる長勇中将の墓に行き着きました。 ここの御墓は昭和26年(1951年)に建立されたようですが 見ると聞くとは大違いで墓の規模が大名か豪族か殿様かと思える程大きいのです。 私はひっそりと佇んでいると想像していたのですが。。。。 この江辻山の山体ごと御墓とみたてれば古代の大豪族に匹敵する 大古墳並みの規模にも思えてきます。 向かって左手には長中将の見事な胸像もありますし、A級戦犯の思想家大川周明が 寄せた碑文、施行者の名には射撃のオリンピック選手でもあり日本でソープランド (旧名トルコ風呂)第一号店をつくった右翼実業家?許斐(このみ)氏利の名があります。 尚、許斐氏はは昭和20年6月17日、(長中将自決の6日前)九州から陸軍の重爆に 乗り込み沖縄南部をめざし長中将と共に死のうと行動したようですが重爆は荒天で 海上に不時着し不本意ながら生還したもようです。 御墓というより壮大な墓所一帯は手入れや献花も行き届いており御遺族や関係者 の手入れが常に行き届いているように感じました。 長勇中将は家族や関係者にとっては情や徳のある方だったのかもしれません。 「在天の父に捧ぐ」長博連氏の名がありますが御子息でしょうか。 墓の隣りは江辻山の山頂で国土地理院の4等三角点が存在します。 三角点のある山は山頂からの見晴らしの良好な山が多いです。 長勇閣下は故郷の山里で慎ましく日本の行く末を案じているかと思いきや 江辻山の山頂から生前以上にもまして大胆奇抜に福岡市の街並みや天空までも睥睨(へいげい)し 「最近の日本の政治家は元気がないなあ。」 「もっと巧く、やっちまえ!」 豪快に高級ウイスキーをあおっているように思えたのでした。 長勇中将は沖縄にて51歳で波乱かつ悠々・華麗な人生を自身で閉じましたが、 今年6月で52歳になろうとする私にはとても真似できない人生=生き様であり今後も 小市民ぶる生き方しか模索できない私とは大違いにも思えましたが人間は皆時代や環境に に制約され影響されるのかも知れません。 私は私で今後、家族にも廻りの人にも迷惑をかけずに生きればそれなりの行き方が できるのかも知れません。 最後になりましたが、 沖縄戦並びに先の戦争で亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りします。 現在のような平和な時代とて今の時代も安易に暮らして行けるわけではありませんが
先人の苦労や苦難と比較すればに私達に残されたフェアウェイは未だ未だ 残っており、一時的に霧や悪天候で見えなく感じても深呼吸して熟考し廻りの 人達と助け合う事が可能であれば「捜し求めていた道」の輪郭は見えてくるものと 信じて生きたいものです。 |
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2009年04月12日
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