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邦画「日本の一番ながい日」は1967年に公開された、 終戦の8月14〜15日日を描いた緊迫感漂う長編傑作映画です。 役者は男優ばかり、それも殆んど軍人役でしかでてきません。 私は1970年代(私が10代の頃)8月の終戦記念日の放送でTVで 見たことはありますが終戦クーデーター(宮城事件)が最近気になりレンタルで DVDを借りてじっくり見てみました。 日本の一番長い日 映画のあらすじ 第二次世界大戦で日本の敗戦が濃厚になった1945年7月26日連合軍から日本軍へポツダム宣言が 提出されるが同28日にこれを黙殺し阿南陸軍大臣(三船敏郎)は本土決戦を説く、米軍は 最終手段として8月6日広島と同9日長崎に原爆を投下、遂に8月14日の御前会議でポツダム宣言を 受けざるを得なくなるが血気はやる青年将校たちは敗戦に納得出来ずクーデター計画を計る、、、 映画の原作本の著者は当時は有名作家の大宅壮一氏とされてましたが、 最近では歴史探偵?を自称する半藤 一利氏の原作とされています。 原作でも映画でも終戦クーデターの黒幕達は善玉らしい顔をして出てきますが もちろん映画では誰が黒幕かわかりません。 映画のテロップには原作は半藤一利とは書かれず「文芸春秋戦史研究会」と 記載されていました。 私が他の本も読んだ現在の推測ですが、、、、皇居を護る森近衛師団長と白石参謀中佐を切り殺し、 偽師団長命令書を偽造し、天皇のお隠れになる御文庫に銃口を向け宮城を占拠した醜い 終戦クーデターの黒幕は陸軍大臣阿南惟幾(8月15日朝割腹自殺)と義弟の竹下正彦中佐 、稲葉正夫中佐ら陸軍省幕僚だと思うのです。 (映画では竹下中佐の後輩、畑中少佐、椎崎中佐がクーデターをおこしたように 描かれています。) この映画では反乱者の助っ人で黒田大尉となのる謎の士官が出てきて森師団長と白石中佐を拳銃や 日本刀で惨殺しています。 この黒田大尉というのは偽名で窪田少佐、上原大尉の2名が助っ人で来ておりどうやら窪田少佐 が主に殺害を実行し上原大尉は切り損なって余り役だたなかったようなんですが、、、。 助っ人窪田少佐の更なる助っ人、上原大尉は原隊復帰後誰かに強制されたらしく自決 しておりますが実行犯の主犯格の窪田少佐は多くの叛乱関係者に匿われ戦後も一度も 捕まらず長く生きています。 原作や映画では隠遁している窪田元少佐をかばう為か黒田大尉?という架空人物を創りだしております。 原作本に到っては自称歴史探偵の半藤 一利氏は当時から知っているのに特に触れず 原作本も改訂せずに現在に到っています。 この辺の事情を調べ上げた労作本が上原大尉の部下でもあった作家飯尾憲士氏による 「自決―森近衛師団長斬殺事件 」ですが、戦友や上官を訪ね歩き 窪田元少佐の処まで たどり着きます。 まるで「時効探偵」のようですがそこらへんの推理小説よりはドキュメントながら 面白く読めます。 原作本や映画ではテロクーデター計画を立案した竹下中佐と井田正孝中佐が巧くたちまわり、 どちらにしても立場上責任を取らねばならなくなった阿南陸軍大臣(黒幕としてバレタ為) とパシリとなった椎崎二郎中佐と畑中健二少佐(配役:黒澤年男)が玉音放送の直前に自決します。 特に映画では畑中少佐(俳優、黒沢年男)が狂気の演技のせいか映画を観る人は 畑中少佐が叛乱の主犯格と錯覚してしまうでしょう。 実際の畑中少佐は先輩や上司の命令に忠実な温和な性格の人物だったそうですが 映画では先輩や上司まで突き動かす終戦に反対する狂信者と映っています。 もちろん原作や映画は生き残った主犯である竹下中佐への聞書きが主でしょうから 竹下中佐や井田中佐は「良い人」で終始するわけです。 私が主犯と推測する竹下正彦中佐は戦後も腹も切らずGHQに仕え自己に都合のよい 終戦の歴史を書き、その後自衛隊に再入隊し師団長、陸将にまで栄達しています。 (瀬島龍三氏と相通ずる部分があります) もう一人の主犯、井田中佐も「自分も自決する、自決する!」と周りに告げながら、 同僚に止められて?自殺を思いとどまり、臆面もなく戦後はGHQに仕え、 その後は電通に入社し役員にまで昇進しています。 竹下、井田中佐の他にも多くの終戦叛乱関係者がいたのに戦後も多くの関係者の 事件関与が明らかになってないことや終戦間際のドサクサで混乱があったとはいえ 森近衛師団長や白石参謀の惨殺の真の実行犯(窪田中佐)が全くお咎めなしで戦後を生きた事です。 鹿児島に流れ着いて隠遁した窪田元中佐に竹下、井田中佐や陸軍省の生き残り幹部らは 金銭的に面倒をみていたのかもしれません。 尚、竹下、井田、椎崎、畑中の4名は軍人ながら平泉歴史学派と密接な関係が あったようです。 彼らは終戦に反対し本土決戦内閣をクーデターによりつくろうと画策したとも 伝えられますが、どうも天皇を排除?して米軍に自分達(阿南大将、竹下中佐)を高く 売り込もうと画策したようにも思えてきます。 天皇陛下、皇居を護衛する近衛師団の師団長と参謀を殺害し、1日とはいえ 皇居を占拠し天皇陛下のお隠れになった御文庫に小銃や機銃を向けた叛乱将校達 がいた事は陸軍憂愁の美どころではありません。 阿南陸軍大臣も「一死大罪を謝す」で誉れ高い武人として戦後の一般評価は高いようですが 終戦8月15日の朝クーデターが失敗が確実になり切腹している事や事前に何度も同郷である 大分県出身の梅津参謀総長に叛乱への相談をしました。 阿南陸相も義理弟の竹下正彦中佐も大分県出身です。 尚、陸軍のボス梅津参謀総長も海軍の終戦反対派の筆頭である豊田副武海軍軍令部長も 大分県出身者でありました。 この当時、大分県出身者で日本を支配しようという軍人閥のようなものが 存在していたのかもしれません。 梅津参謀総長が逡巡の末に阿南陸軍大臣からのクーデター計画を断ったので 阿南陸相と義理弟でである竹下中佐は近衛師団の森師団長を殺害しを偽命令で 近衛師団を動かしクーデターを企てたようとしたのは間違いないようです。 阿南陸相は8月15日早朝にクーデターは無理と判断し割腹自殺を行いますが 廻りにいた部下関係者に「米内(海軍大臣)を斬れ!」叫んだととも云われています。 しかし米内邸や海軍省には海軍陸戦隊が厳重に配備されていたと思います。 (余談ですが海軍陸戦隊は海軍首脳を陸軍の手から護る目的もあったはずです。) そこで叛乱軍の別働隊?佐々木大尉率いる国粋主義者部隊により鈴木貫太郎首相邸を 襲撃したのかもしれません。 驚くべきは阿南陸軍大臣は割腹後、叛乱将校の椎崎中佐、畑中少佐らと共に陸軍省の中庭で 遺体を焼却、荼毘(だび)に伏されたわけです。 普通、身体を張って終戦クーデターを阻止したとされる最高級現役陸軍大将がいくら 終戦のドタバタがあったとはいえ、叛乱実行者らの下級佐官将校と同じように 遺体を焼却するでしょうか? もしかすると当時の関係者も阿南陸相が天皇陛下に背く叛乱の黒幕と知っていたから こそ一緒に遺体を畑中少佐椎崎中佐らと共に焼却したのではないでしょうか? 私は宮城(きゅうじょう)事件は戦前戦中の日本を体現しているように思えます。 罪なき人や実行者が責任を負わされ真の謀議者(犯罪者)が責任をとらず司法の 介入や究明も戦後もありませんでした。 竹下、井田中佐は何故にGHQに仕えたのでしょう? GHQとの裏取引もあったでしょうが、GHQの擁護下の入り日本の司法警察から 一時的に逃れる自己保存の目的もあったでしょう。 残念な事はGHQもう日本には存在しませんが、GHQなきあとも日本人の手により 事件の決着がつけられていない点です。 この宮城事件の真相や究明は左翼からも右翼からも手はつけられていません。 やはり戦前、戦中は右傾化、極右化していたと一般的には思われていますが 右、極右と同じように左傾化、国家社会主義化していた特異な時代だと思えるのです。 「私は貝になりたい」の対極が宮城事件の戦後長く逃げた真犯人達かもしれません。
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