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【はじめに】 開戦原因となった石油の枯渇 戦前の日本は支那事変(日中戦争)開始に伴う石油需要逼迫に対し中国よりの米国からの 石油輸出禁止措置でやむなくオランダ領東インドネシア(現在のインドネシア=当時は蘭印) の石油産出地を確保する為にに大東亜戦争(太平洋戦争、対米英戦)を日本側から仕掛けた とされている史観が一般的のようです。 私が生まれたのは戦後ですが子供の頃、母や祖母から戦時中「ガソリンの一滴、血の一滴」なる スローガンが存在したと聞いた記憶もありますし、当時の昭和40年代は太平洋戦争という言葉 とならんで「石油戦争」なる言葉も書物の背表紙等でみた記憶があります。 開戦の理由については左翼・右翼の主張、では前者(左翼)は日本の膨張・侵略主義とか、 後者(右翼)は米国や、支那・ユダヤの謀略に嵌められやむなく戦争に突入したとの相反 する手前勝手な論調が多いようです。 共通点は昭和16年からの米国からの本格的対日石油禁止の措置に対し、日本側が 蘭印石油資源奪取のためにその邪魔となりうる米、英、に対して奇襲開戦(マレー上陸作戦、 真珠湾攻撃)を行い戦争状態に移行した事は事実のように思えます。 日本は米国との外交を隠れ蓑に真珠湾奇襲を1年半前から構想していたようにも思えてきます。 しかしここでは真珠湾攻撃の是非には進まず戦前の日本と石油の事について触れてみたいと 思います。 私はABCD(米、英、中、蘭)包囲陣なる言葉は戦後の左翼系の造語のような気がしています。 昭和15年夏以降はオランダ(蘭)は本国を占領されておりインドネシア(蘭印)には 植民地軍しかいませんでしたし、中国とは4年前から事実上戦争状態ですし英国は 逆に日本を刺激しないようにマレーや香港の軍隊も兵力を抑えていました。 石油資源の獲得だけが目的ならば蘭印だけにたいしての宣戦布告又は武力進駐で済みそう なものですが、当時の日本は台湾より南方の策源地(軍港や基地)は存在せず、蘭印石油を 獲得するために海上交通路の妨げとなる、英領マレー・香港、シンガポール、米領のフィリ ピンも放置したままだと、蘭印の石油を手にしても日本への還送(輸送)に支障をきたす 恐れが多分にあり、最終的には支那事変中(事実上の日中戦争)や満洲への大量動員で国力 (特に経済・産業面)が弱まりつつある中、更に結果的にも無謀である全面戦争へと突入 していったように思えるてくるのです。 もちろん昭和16年の夏ともなれば大日本帝国としてもこのまま禁輸が続くならば、 未だ石油がある内に米英と開戦するか、米国に膝を屈し中国戦線より撤兵するかの 二者択一状態でしたが、かたや昭和16年6月から独の奇襲ではじまった独ソ戦で独の 勝利を信じた日本陸軍や外務省も(希望的観測で)海軍の石油ジリ貧論に同調しだし 無謀な対米英戦にひきづられていきます。 他力本願な独ソ戦のドイツ勝利を信じ込んで対米英戦に突き進んだ大日本帝国でしたが 開戦日となる12月8日にはドイツ軍はソ連の首都モスクワ40キロ手前から撤退を 開始するありさまでした。 大日本日本帝国の要人達の先読みの甘さがあったのかもしれません。 ここでは日露戦争後から大東亜戦争(太平洋戦争)までの期間、戦前の日本、中でも 海軍の動きを中心に戦前の日本と石油に纏わる話を記してみたいと思います。 次回 不定期ですが 【一】 日本国内の石油事情 に続きます。 |

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