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【一】 戦前日本の石油事情 最古の正史と伝えられる日本書紀にも現在の新潟県胎内市産と思われる石油が「燃ゆる水」として 朝廷に献上されたとの記述もあるそうですが近代まで石油が有用に利用される事はなかったようです。 太平洋戦争の開始前は日本国内では海軍が最大の石油消費者であり続けましたが昭和12年から はじまった支那事変により陸軍も海軍なみに石油を欲しがるようになりました。 それまでガソリンで走っていた民間の自動車(バス・タクシー)は木炭車に改造され木炭ガスで 走れるようになり国内すべての民間バス・トラックは昭和17年までに木炭車に改造されました。 つまり統制経済により戦略的に貴重な石油は陸海軍が中心に使う事と決まりました。 昭和15年当時陸海軍を中心に日本国内で年間400万キロリットル(以下kl)前後の石油を 消費していたようです。 当時日本国内でも30万kl前後の石油は産出されていましたがこれでは消費量の6〜7%の需要を 満たす事しかできず石油はの大半は外国(特に米国)からの輸入でした。 ちなみに現代の日本は2億5千万klと戦前の60倍の使用量となっており国内から産出できる石油は 約100万kl弱ですので国内自給率に限れば0.3%と戦前の7%台よりも悪化してます。 (その他に、国内備蓄量の問題もあるわけですが・・・。) 戦前の石油の輸入量もだいたい年間500万klでしたが、何と全輸入量の8割近い石油を日本海軍の 仮想敵国第一位とされる米国からの輸入に頼っていました。 日本海軍は仮想敵国である米軍から石油を買い続け、もし戦争が始まると米海軍が日本に攻めて来る との想定でマリアナ沖や小笠原沖で迎え撃つべく漸減邀撃作戦を30年以上も演練を重ねてました。 もしかして20世紀の日本海軍は米国を川中島での上杉謙信のように戦闘中に「敵に塩(この場合石油)を送る」とでも思っていたのでしょうか? また結果論となりますが当時の日本海軍は米軍との短期決戦ばかり夢見てばかりでシーレーン防衛、 対潜作戦、レーダー開発、対空兵装、航空機用大馬力エンジン、仮想敵国の暗号解読等多方面でも 遅れをとりつつありました。 しかしこれら多くの怠慢も石油が管掌できていたら大きな問題にはならずにすんだかもしれません。 もし昭和16年時点までに日本が石油の消費分を超える産出地を確保、又は油田を確保・開発できていれば 無謀な対米英戦に突き進む事は無かったと思われるからです。 日本海海戦のパーフェクトな大勝利に酔い呪縛された歴代海軍参謀の頭が「艦隊決戦」から自由に なれなかったようです。 米軍が攻めて来るなら史実通り圧倒的戦力差で責めてきますから、得意の「艦隊決戦」といえども どの様に戦い護っても戦前の日本海軍には勝ち目はありませんでしたが、性懲りも無く図上での 漸減邀撃作戦の改定を繰り返しました。 しかし昭和10年代に入り日本海軍は米海軍に勝つべくアウトレンジ(オーバーレンジ)戦術という 摩訶不思議な戦術を編みだします。 航空戦でも砲撃戦でも魚雷戦でも敵の射程圏外から(より離れた間合いから)日本海軍側のみが 連続攻勢できるような飛行機、大砲(砲弾)魚雷、潜航艇等を創りだしました。 でも日本の海軍機は航続力は優れていたものの、兵装搭載量が少なくかつ機体の防弾装備が弱く 敵艦に辿り着く前に墜されました。 自慢の大艦巨砲主義の大砲も米海軍のレーダー射撃の前に遅れをとり自慢の夜戦も通用しなくなり 野戦でも昼戦でも優位性が消え逆に米軍の航空優勢下において敵艦隊に水上部隊が近づくこと さえ難しくなりました。 射程40キロ(射程40キロだと到達まで40分以上)を誇る自慢の長射程酸素魚雷もそもそも 調整が難しいうえに、大射程に頼った遠距離雷撃では米艦に簡単に回避され戦争後半は役にたたず むしろ危険な酸素と火薬を艦内や甲板に装備する事で対空戦等で不利となりました。 どうも日本海海戦当時の「肉を斬らせて骨を斬る」発想から「敵の威力圏外からの攻撃」を重視し 結果的に攻撃力はあるものの防御力の弱い艦や飛行機を造り「攻防のバランス」が欠けていたよう にも思えてきます。 本来なら日本海軍は石油が失くなってから米国と戦おうと思いつきで考えてみたりオランダ領東インドの石油を無茶な手法(脅しや戦争)で確保しようとするよりも、それ以前により合法的に石油を管掌すべきでした。 世界全体が石油動力に切り替わり30年も経過していた時代に戦前日本は石油を合法的に手に入れる事に関してはことごとく失敗しました。 次に何故、戦前日本は石油の獲得にこうも出遅れたのかを少し見てみたいと思います。 次回不定期更新になりますが 戦前日本と石油 【二】日本海軍の石油獲得への怠慢 その1 (日本海軍の石炭好き) に続きます。 |

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