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日露戦争でバルチック艦隊を破った日本海軍はロシア皇帝の海上覇権への道を頓挫させ、 替って日本海軍が英国、米国、ドイツにに次ぐ世界第3,4位の大海軍国とし て躍進しました。 ドイツも第一次世界大戦で没落するや、2カ国標準の海軍軍備を備えていた英国に 日米両国が海軍力で追随する事となります。 しかし、英国も第一次世界大戦で勝利国に輝いたとはいえ疲弊消耗が著しく世界一の 海軍力を維持し続けるには国力の限界を超えつつありました。 この時代の戦艦(主力艦)は進歩が著しく5年〜10年経過すると旧式艦となっていました。 戦艦の最終進化が超怒級戦艦ですが超怒級戦艦時代の到来とともに第一次世界大戦の勃発、 その後のワシントン海軍軍縮条約の主力艦の相互制限で長い海軍休日時代に突入します。 第一次世界大戦後、ワシントン海軍軍縮条約では日英米の三大海軍国時代が主力艦の 制限だけでなく世界の大洋分割を行っています。 米国の主導のもとワシントン軍縮条約が開かれ、米10、英10、日本6、とい う主力艦の制限トン数が加わり日本海軍は3位決定となりますが日本の海軍人達は 「対米6割では不十分、せめて7割を!!」と激昂しました。 ワシントン海軍条約までは日英同盟は有効でしたが日本6、英10の合計16で米国 の10に対抗しようという外交家的なテコ作用を使いこなせる偉人がこの頃より 日本から少なくなってました。 (結果論ですが太平洋戦争では日本6対米英合計20以上の戦力差に開きます) この外交計算能力欠如はその後の日本の辿った道を暗示させます。 ちなみにこの当時(ワシントン条約1922年当時)から日本の外交暗号はすべて米 英に筒抜けであり日本本国、現地交渉者の両方の思惑まで読み解かれていたようです。 ワシントン条約では主力艦の保有制限とは別に大国同士で海洋分割もなされまし たが、既に陸地の多くは植民地化され中国大陸を除き海洋を分割するしか第一次大戦勝 利国のわけまえは無くなっていたのです。 米 西太平洋、東大西洋 主力艦10割 50万トン 英 西大西洋、インド洋、 主力艦10割 50万トン 日 東太平洋、 主力艦 6割 30万トン 仏伊 地中海を東西分割 其々主力艦 3割5分 17万5千トン上記の大洋分割は日本にとっても都合よく受容され、米国の太っ腹でグアムは米国領なるも 非武装化、サイパン、テニアン、トラック等の中部、西側の島もほぼ日本領となり日本の 海上支配海域は膨張しました。 日本側からすると主力艦6割に押さえ込まれましたがハワイ以西の米国の策源地、英国の シンガポールを除くグアム香港、フィリピン等の策源地を無効化させたわけですから 東太平洋は日本の支配する海となっていたのです。 今から考えると大西洋と太平洋の両洋を支配管理する米国、大西洋・インド洋の両洋を管理する 英国にくらべ西太平洋だけを管理する日本の主力艦6割はそれ程悪いレートとも思えないのですが。 でも米英の大洋分割の本当の狙いは日本の軍縮条約の対米比率7割要求から6割への ダウンに対して代償としての南洋諸島の譲渡で日本側の機嫌も取りますが、本当は 全く別の次元の思惑が存在していました。 それがこれから主題となる「石油」であります。 ワシントン海軍軍縮条約での「大洋分割」を簡単に考えますと米英仏は大洋分割支配で 世界中の石油がとりやすくなり、日伊は石油がとれないのであります。 地政学等の問題もあったとは思いますが日本の海軍人は主力艦の比率には敏感に 反応できても石油の獲得には「国民の税金で外国(仮想敵国)から買えば良い」との 認識であったようです。 尚、オランダ(蘭)はちゃっかり300年来の宿敵でもある英国と結びつき蘭印での 石油開発・販売を保障されていました。 日本では今でもワシントン海軍条約といえば主力艦の「6割か7割」かの問題とか 八八艦隊の国力を超えた建造費問題とかの是非程度しか論議されませんが、太平洋を 日米で共同管理しようとしていた事や米英仏蘭が様々な水面下の努力で 「石油メジャー国家」になったのに国際連盟でせっかく常任理事国にもなったのに 一等国に成り上がったと国威に胡座をかき日本は列国に比べ「石油時代」への変化・将来性、 重要性を正確に見抜けなかった点も記憶すべきであると思います。 |

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