涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

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太平洋戦争中の日本海軍の不祥事として甲事件、乙事件が名高いようですが
乙事件の少し前に起こった丁事件について書いてみます。

※甲事件:山本五十六連合艦隊司令長官撃墜(暗殺)事件
※乙事件:古賀峯一連合艦隊司令長官行方不明及び(暗号奪取)事件

昭和18年後半から米軍の日本軍支配地域に対する攻勢は激しさを増しました。
南東からはソロモン諸島を徐々に北上しラバウルに迫り、北方ではアッツ島の玉砕
キスカ島からの日本軍撤退、東正面からもマキン、タラワ島、マーシャル諸島も攻略
南西では豪軍を中心にニューギニアを西に北上しつつありました。

そのようななか昭和19年2月日本海軍の南洋での一大拠点トラック諸島(現在のチューク諸島)
にも米軍の空襲が押し寄せるのも時間の問題であろうと島内関係者にも思われていました。

2月に入り米軍偵察機が初めてトラックに写真撮影に現れました。
2月10日米軍の到来近しと考えた古賀連合艦隊司令長官、福留参謀長はそれまで
前線指揮をモットーとしてましたが千キロ以上後方のパラオに司令部を後退させました。
しかし不思議な事に戦艦武蔵らの主力艦らがパラオに下がったのに防御力の無い
補助艦艇やタンカー等はそのままトラックに留まらせました。

連合艦隊が不在となったトラック基地の指揮は現地最高指揮官である小林仁中将が継承
しました。 
小林中将は日中戦争当時は勇将というか猛将のイメージが強い指揮官でしたが米軍と
真っ向から戦った事はなく米軍に対する危機認識に欠ける嫌いがありました。

新造艦が続々完成して既に2倍以上の戦力差となりつつあった米海軍は日本軍の
内南洋の本拠地トラック島を粉砕する事により「真珠湾の報復」を行うべく用意
周到に準備をすすめました。

空母9隻、戦艦6隻を中心とする機動部隊で奇襲し、トラックを包囲した潜水艦9隻で
トラックから脱出する日本艦艇への攻撃を意図し、早くも軽巡阿賀野が2月16日に
米潜の魚雷攻撃で撃沈されました。

それでも小林中将と基地参謀は阿賀野の撃沈や米軍の通信回数の多さから危険が
迫ってるのに2月16日、17日の間に空襲はないと判断し警戒態勢を緩めてしまいました。
300機もの航空兵力を擁するトラック基地に米軍空母機が本気で攻撃してくる
とは思わなかったのでしょうか?

17日の早朝トラック島の日本軍電探(レーダー)が多数の迫り来る米機の大群
を捉えました。
残念な事に17日の早朝こともあろうか小林中将は早朝から基地から離れた岩礁で釣りを
楽しんでおり基地に帰るも遅れ、ろくな指揮もおこなえませんでした。
小林中将は戦争中にも関わらずトラックに来て猛将から太公望に変身されていたのかもしれません。

しかも小林中将の前日の判断で空襲は無いと指示していたため、前日から酒飲んだパイロットや整備員も多く暖機運転をしてヨタヨタと迎撃に飛びたったゼロ戦ですが頭上から米軍機の攻撃を受け壊滅します。
その後2日間にわたり米軍機はトラック基地を蹂躙し続けました。
その結果日本側被害は軽巡3隻をはじめ艦艇10隻が沈没、輸送船は31隻、計20万トンが沈没、
航空機の喪失は270機にも及び基地の修理施設・石油貯蔵も破壊され、人員被害も輸送
船に乗った陸軍兵を含む約8千名が亡くなりました。
尚この2日間での米軍機の被害は僅かに25機の喪失でして、まさに米軍の言う
「真珠湾の復讐」でありました。

これによりトラック基地は基地機能を果たせなくなり(40隻もの沈船で入泊も
不可)その前方で頑張ってきたラバウル航空隊も日本からの中継・策源であったトラック基地の
徹底破壊で2年もの長い戦いに終止符を打ち内南洋のマリアナ諸島に後退する事になります。

日本海軍もこのトラック空襲の被害を重く受け止め、小林中将ら現地司令部の怠慢に
よる部分も大きいと判断し「丁(てい)字件」と称し弾劾的な査問会議が開かれました。
(尚、私は海軍丙(へい)事件というのは耳にした事がありません。
 丁とは甲乙丙丁ではなくトラック島のTからとったのでしょうか?)

もちろん小林中将は第四艦隊司令長官を更迭され予備役編入となり海軍を追われました。
しかし海軍が対外的に小さく発表した「丁事件」の結果発表は
「トラック空襲における海軍の落度は特に無し」
という現在でいえば相撲協会の答弁にも似たものでした。
トラック島での小林中将一人に責任を負わせた形の部署内決着ですが、トラック基地
の基地機能破壊でラバウル航空戦は終わり、大量船舶の喪失、タンカー喪失、
石油ストックの喪失等この後の日本海軍の作戦にとてつもない悪影響を生じました。
マリアナ沖海戦からは艦隊に随行でききる高速タンカーが激減し西太平洋の南西部
でしか作戦行動をとれなくなってしまいます。

連合艦隊の福留参謀長や古賀司令長官は何故に自らは戦艦武蔵で後方に退避したのに
貴重なタンカーや工作艦を危険の迫るトラック基地に留めていたのか?
これも大きな謎というか海軍上層部の大きな怠慢であると思えます。
さらに福留・古賀長官の連合艦隊ツートップはその直ぐヤップ島空襲でもトラック島同様の
過ちを犯しその後の海軍乙事件へと繋がっていきます。

これだけの損害をトラック島で被りながら日本側では「海戦名」は存在もしません。
昭和19年の海軍はトラック島大空襲を皮切りに、連合艦隊が退避したヤップ島でも
米軍空襲を受け、更にダバオに退避しようとした連合艦隊司令部は搭乗機の墜落で
古賀長官以下司令部要員多数が死亡して司令部壊滅、生き残った福留参謀長は所持
していた作戦計画書と暗号を米軍に渡してその後の日本側作戦計画はツツ抜け状態で
マリアナ沖、レイテ沖海戦を戦うはめに陥ります。
しかも敵軍の捕虜となり暗号書を渡して、生還した福留長官は罰どころか
「何もなかった?」事をを演出するため昇進させました。

「西太平洋ノ波高シ、サレド日本海軍本日モ晴天(反省せず)ナリ・・・」
の昭和19年の早春でした。

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