涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

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第二次世界大戦でのドイツ海軍といえば戦艦ビスマルクやUボートと呼ばれた潜水艦の
活躍が知られていますが、ドイツは陸軍や空軍に予算を多く廻していたので戦争後半は
ドイツ海軍の目だった活躍は少なくなり潜水艦も水上艦も軍港や基地に隠れてしまい
「沈黙の艦隊」となってました。

しかしドイツ第3帝国の最後が近づいた1945年の春、海軍総司令官デーニッツ元帥は
一大決心をし秘密基地や軍港に残されていた少なくなった満身創痍の各種艦艇を使って
海軍最後の大作戦を敢行します。
このドイツ海軍の最後の作戦は「同胞を一人でも多く救う」ための作戦であり最後まで
「戦いに勝利」しようとし、老人や少年まで戦闘参加させようとしたドイツ陸軍や空軍の
作戦とは根本から大きく異なっています。

またデーニッツは4月30日ヒトラー総統の死後、ヒトラーの指名を受けて国家首班となります。
大戦末期のドイツ海軍では敗戦と同時に全艦艇を敵国に渡さずに自沈させる「レインボー計画」
が立案されていましたがデーニッツはその基本計画を翻し東部戦線地域に取り残された軍民を
海上から救うためにドイツの残り少ない艦艇全てを使い切ろうと「ハンニバル作戦」を立案し
素早く実行に移します。

西部戦線では相手が英米なので降伏したり捕まっても余程のことがないかぎり殺される事は
余りなかったようですが東部戦線のソ連軍は、日本でも昭和20年の満州国侵攻で御存知の通り
略奪暴行狼藉・虐殺等はあたり前の軍隊でした。
1945年4月時点でドイツ国民はどうせ国が負けて滅ぶならソ連軍に捕まるよりも
米英軍側に捕まろうと必死に西に移動までしたのでした。
もちろんデーニッツもそれを指導しましたが、デンマーク半島より東部にある東プロイセン
やポーランドにはドイツの軍民200万人以上が快進撃するソ連軍に包囲され陸路での母国
への脱出は困難となってました。


ドイツ海軍は残された数少ない艦艇と石油を最後の難局で有効に使用して敵に損害を与える事
よりも、自国民を一人でも多く救出する事を最優先としました。
尚ドイツのポケット戦艦や巡洋艦はバルト海から東部戦線のソ連側の前線に対し果敢に
長距離砲撃を何度も試み東プロイセンからの海路撤退の時間稼ぎにも貢献しています。
(翻り終戦後の樺太や千島での戦いに日本海軍は残念ながら戦争は終わったと無関心でした。)
ドイツ人にはソ連の支配地域に残された同胞がどのような目に遭うかはっきり想像できました。
東プロイセンの避難民救出のためにドイツ海軍は最後の力をバルト海に結集させました。
大は巡洋艦、駆逐艦から潜水艦、小は小艦艇、ヨットや艀(はしけ)や民間商船まで数百隻を
動員し文字通り海軍の全力を傾注いたしました。
この救出活動はドイツ降伏後も暫く続き、ソ連軍と撃ち合いも演じました。
またソ連占領地の岸壁から少艇に避難民が駆け込み超満員となった時、遠慮した老人に若い
海軍兵が海に飛び込み岸辺の老人に「乗り移れ!」と叫び岸に泳ぎ着き乗らなかった老人と
ともに地上戦に参加したなどの日本のキスカ島撤退戦を上回る美談も事欠きません。
(一例では乗員300人乗りの駆逐艦に着たきりの避難民を2000名以上載せたそうです)

しかしドイツの同胞救出作戦を黙って放置してくれるソ連軍ではありません。
バルト海に潜水艦を進出させ輸送船ばかり攻撃しドイツ人1万人以上を溺死させました。
(このあたり8月15日以降に樺太から北海道へ避難する日本船を撃沈したソ連潜水艦と見事に
 重なります)
ソ連の攻撃による死者1万人超えは痛ましい犠牲ですが救出者全体の中に占める比率は1%以下でした。

実は第一次世界大戦でのドイツ側の敗因は戦線が海も陸も膠着した大戦後半に赤化思想や厭戦気分
でおかしくなっておりました海軍に責があります。
キール軍港での艦隊乗員の叛乱が一番の敗戦原因となりドイツ海軍は国民を大きく裏切り敗戦を
決定づけました。
しかし第二次大戦でのデーニッツ率いる再建ドイツ海軍は第二次世界大戦では最後の最後の
国民の負託に応える事ができました。
1943年になりドイツ海軍水上部隊を廃止しようとした総統ヒトラーの命令に反し、潜水艦至上主義者でもあったデーニッツは戦えなくなったドイツ水上部隊も「使い道」があると譲らず艦隊を保全しました。
この2年間の英海軍の空爆にさらされ続けたドイツ海軍が戦争の最後の最後で自国民救出に大活躍したのです。
最後まで海で戦い救出作戦に参加した水兵の言葉がドイツ海軍戦記にこう記されています。

「われわれは英雄ではない。
 われわれは只われわれの義務を遂行したのみである」
(ドイツ海軍戦記 Cベッカー著 249p)

又海路脱出のための橋頭堡を最後まで確保し続けたドイツ陸軍約20万人も5月8日の終戦で
悠々とソ連軍の捕虜となりました。

そういう意味合いから沖縄戦に効果無と予想された大和以下の水上部隊主力を投じて
全滅させた無け無しの石油も使い切った「滅びの美学」に支配され、特攻戦術が常態化
した日本海軍は「責任と義務」の解釈は誤っていたのかもしれません。
もし昭和20年夏の日本海側に大和や長門の主力艦と水雷戦隊と少しの石油を残していたなら
千島や樺太であれだけソ連軍に無法ぶりを発揮させなかったかもしれません。。。

第二次世界大戦でのドイツ軍人と日本軍人を比べてみますと同じ敗戦国でもドイツは数々の名将を
輩出し、日本には名将は少なく参謀まかせのノーチェツク無責任の指揮官が多い事に改めて気づかされます。
昭和にいると日露戦争を経験した叩き上げの将は少なくなり、危険を嫌い、危険度の高い
潜水艦や航空分野に進まずに昇進し、昇進後も劣等感からか年齢も階級も格下の海大卒の
エリート佐官参謀の起案する作戦計画に異議を唱える指揮官がいなくなっていたのが日本の
大半の海軍提督でした。

どうも「日本人は戦争に向かない」とか「資源が物量が・・」とか海軍生き残り元参謀らの
「言い訳」が聞こえてきそうですが。。。
日本の海軍にくらべ質量ともに貧弱であったドイツ海軍が示した見識・実行力・心意気を
日本人も心の奥に記憶していて損はないでしょう。

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