涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

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樺太は日本とロシアの間で永く激しく揺れ動いた島(土地)です。
日本でいう江戸時代の後半はまさに日本(徳川幕府)とロシアが樺太の占有を
めぐり競った時代でした。
日本は17世紀から樺太を支配しはじめてましたが18世紀に入りロシアの圧力が
樺太にも強まります。
ロシアの樺太やその周辺への相次ぐ襲撃に危機感を嗅ぎとった幕府は、樺太を
松前藩から幕府の直轄地とし秋田藩・弘前藩・仙台藩・会津藩の藩兵を蝦夷地に
差し向けたりと緊張の高まった時代もあったのでした。

樺太と石油の話しに戻しますが、明治期に入り1875年(明治8年)5月
「 樺太・千島交換条約」が結ばれ樺太は全てロシアが領有することとなりました。
しかし北樺太ではその5年前の1870年には東海岸の地上に湧き出る石油が発見されて
いたそうです。
その後の日露戦争では日本は米国大統領の助言もあり海軍陸戦隊で樺太を一度は保障占領
しますが、賠償金も支払われなかったポーツマス条約で石油の出ない南樺太の領有で
良しとしてしまいました。
(当時の日本は石油の価値や将来性を見抜けませんでした)

しかし日本にはその後も樺太の石油を手にする好機が訪れます。
1918年今度はロシア革命後のシベリア出兵時に陸軍が樺太北部を占領して樺太全島を
領有いたしました。
でもこの時も40年以上前に北樺太でロシア人が見つけた石油の存在を日本人は
詳しくは知らなかったのです。

この時、ロシア皇帝側の亡命臨時政権を助けるとか色々な政治外交・軍事オプションも可能で
あったろうと思われるのですがあれだけ経費と人命をかけてシベリア出兵では石油も石炭も
鉄鉱石も得るものはありませんでした。
しかも1925年日本は北樺太の石油利権を「平和的に?」手にいれるためにソビエトを
国家承認して石油の出る樺太北部から撤兵し、国境は日露戦争終結時点の北緯50度以下の
線に戻ります。
(やはり日本は戦前も明治・大正期まで国際協調的な国家だったんですね。)

ソ連を国家承認した「日ソ基本条約」でオハ油田などの北樺太石油地帯の経済的利権を
手にした日本は莫大な日本国内の資金を注ぎ込んで事業化し一応の成功したようにも
思えたのですが、日独伊3国同盟、支那事変、ノモンハン事変等でソ連の心象を悪くした日本は
現地ロシア人工員のサボタージュやパイプラインの使用差し止め等でソ連側の嫌がらせを
受け日本への石油の還送料は減り続けます。

戦後の私の結果論ですが戦前日本はシベリアや満州に手をだし泥沼の日中戦争に嵌り込む
より多少問題のある手段を使ってでも北樺太と北樺太油田を占有し領土化すべきだった
と思えてきます。

昭和16年になるとスタンドプレイヤー松岡外相が1941年(昭和16年)に結んだ日ソ不可侵
条約の見返りに何としたことか「北樺太油田」の利権を日本はあっさりと手放してしまいます。
しかも米国からはモラルエンバーゴ(道義的禁輸)発動で日本への石油輸出は減り続けます。

その後も日本は北樺太の利権は消滅しても何とかソ連側から石油を買い求める事はできましたが
徐々にソ連側は供給量を減らし続け1944年(昭和19年以降)は両国の関係も
悪化してしまい北樺太の石油は日本に入ってくることはありませんでした。
(1944年北樺太利権移譲議定書)


尚、困ったことに昭和18年後半からせっかく占領した南方の蘭印からの日本へ石油を運ぶ
タンカーは米潜水艦によって次々と沈められました。
そういうわけで一番北樺太油田の重要性が高まった昭和19年後半〜20年日本はソ連に
石油交渉の復活もめざしてソ連と様々な交渉を続けますがソ連が日本への石油輸出に傾く事は
なく周知のように昭和20年8月のソ連側から「日ソ不可侵条約」を一方的に破った
開戦となりました。
北樺太のオハ油田を中心とする北樺太の石油採掘量だけでは戦前の日本といえども石油の
全消費を賄うことは無理でした。
しかし昭和前半には毎年日本に国内消費量の15%から2割近い年間70万kl前後の石油を
日本に合法的に持たらしていたのです。
この時(昭和12年前後)の日本の国内消費量は年間500万キロリットルでしたが北樺太の
オハ油田は戦後の1960〜70年代には年間200万kl以上の石油生産実積あった事を
考えるとアッサリと昭和18年までに利権を手放した事は日本にとって残念だったと
思えてきます。

日露戦争、ソ連革命干渉で2度も実力で北樺太を領有しながら外交の詰めが甘く、樺太石油利権を
手に入れてからは日本が多額な北樺太石油の開発資金を注ぎ込み油田開発や精製所を日本のお金で
建てた後はその利権まで手放したわけですから、、、これって戦前の話ですよ。

でも戦後の日本人も戦前の日本人を「詰めが甘い!」とは馬鹿にはできません。
1990年代から落ち目のエリツィン時代のロシアの金のない事情に浸けこんで取得した
サハリン2プロジェクト(液化天然ガス事業)もプーチンに時代になりロシア側の儲けが
少なすぎるという事から環境問題をぶちあげてロシア企業が強制参入する事により出資比率は
シェル55%→27.5%三井物産25%→12.5%、三菱商事20%→10%と減らされました。 いきなりロシアのプロム社がゼロから50%+1株で金は出さなくとも主導権を握ります。
これまた設備投資等の金を払った後で急に出資を減らされ比例して輸入ガスも減るという訳です
から、やはり戦前の事を笑えないわけです。
今も世界は一次エネルギー獲得の為の戦いが続いています、経済活動や外交、時には
戦争という手段で。。。

参考資料 ↓ BRICs辞典 サハリン2プロジェクトとは
http://www.brics-jp.com/russian/saharin2.html

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あやぐ食堂を19時過ぎに出てから首里城に向かいました。
城門につくと19時半で係の方が各門を閉めており今回も
夜は入城できませんでした。
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しかたなく守礼門を写真におさめ一旦下り
龍潭池越しにライトアップされた首里城を撮りました。
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龍潭池から再度登り弁財天堂も写真に納めました。
このあたり夜は閉ざされた旧陸軍の司令部壕跡も間近にあり
昼とは異なりなり真っ暗なため少し怖い気がします。
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イメージ 5
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1月に来た時よりは少しだけ綺麗に取れてようで
ゆいレールの儀保駅の方に向かいました。
この後おもろ町駅で降りサンエーに寄り道し替え下着を
購入し歩いて天久経由で遠回りして汚れた服を洗うため
コインランドリーを探しながら夜の那覇を彷徨しました。

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