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永かった日本軍と中国との戦争は昭和20年日本の降伏で幕を閉じますが、 戦争開始については昭和6年の満州事変から始るとする「15年戦争説」 昭和12年からの盧溝橋・第二次上海事変が発端のシナ事変からとの 「8年戦争説」の両説が有名というか今も向い合ってます。 どうも左翼側は「15年戦争」を主張していますが、私は昭和12年以降が 日中戦争と呼んで良いのではなかろうか?と思います。 (ちなみに岩波書店等からの出版物に15年戦争と書かれた書物が多いです。) 昭和12年以後は毎年、日本軍も中国との戦いで4万〜5万人が戦死し続け、 最終的に8年間で47万人前後が中国大陸で戦死しました。 この47万人という英霊の数はもちろん多すぎて各地の神社や 忠魂碑の戦死者の名前も多すぎて彫られなくなったりしています。 逆に日中戦争全期間の中国側の軍人?戦死者は140万人前後とか昔、 本で読んだ記憶がありますが中国側の戦死者や民間犠牲者の合わせた 数は増え続け日中国交回復時の1970年代で約1000万人前後、 80年代、90年代も中国側の日中戦争の犠牲者数は増え続け現在では 3000万人前後もが日本軍の侵略戦争?で亡くなったと 日本側に真顔で通告してきています。 私は太平洋戦争で200万人の日本軍の犠牲の対価として 米兵を10万しか殺せなかった日本軍が、中国国民を8年間で 3000万人も殺したとは普通に考えて無理があると思います。 もし15年で3000万人の戦死や殺害があったとすれば一年間で 200万人ですが、この数字だと毎月、彼らの主張する南京大虐殺 (30万人説)が毎月行われてようか感覚に陥りますね。 8年戦争説でもし3000万死亡なら毎年400万人が死亡してた ことになります。 ですからいくら中国が犠牲者3000万人説を今後主張しても ノーマルな日本人は本気にしないほうが精神衛生上もいいでしょう。 終戦直後に話を戻します。 1945年9月2日、米戦艦ミズーリ号での降伏調印で太平洋戦争は終結し 日本は敗戦国となりました。 8月15日を「敗戦(終戦)記念日」と表現が主流ですが、これは敗戦を喜ぶ 「反日思想」ではないでしょうか? たしかに「日本は負けたほうが良かった」という大人も戦後はたくさんいたようです。 私の父や母も昔の私が小学生の頃 「日本が負けて一時は苦しかったが4.5年して戦前より良くなった。」 とか言っていたような記憶があります。 実際には日本が昭和12年日中戦争開始前の国力に戻るまで戦後も 12年(昭和32年)を要したのです。 戦争で負けた日を国民を喜ぶようではその国、その国民の将来は あまり明るいものではないようにも思えます。 1945年9月2日の米戦艦ミズーリ号の降伏調印への出席へは、 戦時中事のほか威張っていた政治軍人達は屈辱と感じ嫌がりましたが 陸軍参謀総長梅津大将がやむなく出向き渋々と署名します、 いつもしゃしゃり出た海軍は陸軍のバランサーとなるべき将官クラスの 要人は出向きませんでした。 降伏調印の全権、外務大臣の重光葵 (1932年上海で朝鮮人に爆弾を投げつけられ片足が無い) は当日苦労しながらミズーリ号への階段を汗をかき黙々と登りました。 重光外相は艦上にあがり調印式前に米兵に水を所望したが冷たく断られています。 突然、自己演出の巧みなマッカーサー将軍が調印式の予定にはなかった 演説を上から目線ではじめます。 「日本民族がその才幹を建設的に活用するならば、 やがて惨憺たる状況を脱して 栄誉ある地歩に進むであろう。」と、、、、。 この時から日本はGHQ史観を植えつけられ戦前戦中とは異なる 方向にアメリカのハンドリングで向かいます。 日本国・国民は良い意味でも悪い意味でも大変貌を遂げることになります。 尚、連合国側から蒋介石率いる中華民國代表者の徐永昌(じょ えいしょ)も 戦勝国の一員として調印式に参列しておりました。 日中戦争その後の太平洋戦争でも戦闘では全く日本に勝てなかった 中国も戦勝国の仲間入りを認められたのです。 中国本土に常に100万人もの日本軍を拘束していて、太平洋戦争の 地味な裏方としてのアシスト的貢献でしかしておらず 勝てない中国軍ながら日本軍の対米英戦突入による日本の自滅で、 蒋介石は逃げ回りながら辛うじて第二次大戦での勝利国となったのです。 でもミズリー号上での調印式に参加した徐永昌代表は冴えない表情で 終始おっかなびっくりで他の国の代表に比べると印象が薄かったそうです。 中国人に多い白人コンプレックが徐永昌にも残っていたのかもしれません。 もちろん降伏式に臨んだ日本の運悪い要人達も米英に負けたのであって 中国に負けたとは全く内心では思って無かったでしょう。 調印式に代表ではありませんが居合わせた海軍の淵田美津夫大佐 (真珠湾攻撃の空襲隊長)は自叙伝のなかで、中国代表の徐永昌を 見つけ「お前らに負けたんじゃね〜ぞ〜!」と睨みつけていたそうです。 中国大陸では日本軍が戦闘開始となるや追撃しシナ兵が逃げるのが 当たり前でしたから蒋介石の国民党より毛沢東の八路軍の方が 強かったとか戦後言う方もいますがあれも嘘だと思います。 正規軍のゲリラ兵が正面からは正規軍に勝てっこ無い事は 歴史が証明してます。 (その後の朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも北のゲリラや 解放軍は中国人多数が混ざった事実上の正規軍であると思います) 次回は未定ですが日本敗戦の中国大陸の日本軍の状況や 引揚について投稿したいと思います。 【メモ】 9月2日の降伏調印では陸海軍外務省が揃って 出向いたが外務省まで出向く必要が無かったのではないか? ソ連も連合国として出席したが、まだ自衛戦闘を行ってる 地域部隊もあり日本側視点からソ連を連合国の一員と 簡単に認定した事は早計でではなかったろうか? 日本ブログ村 https://history.blogmura.com/his_meiji/index.html |

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