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経歴はwikより丸コピーです。 檜 與平(ひのき よへい、1920年 - 1991年、檜 与平)は、 日本の陸軍軍人。 戦闘機操縦者(空中勤務者)。 最終階級は陸軍少佐。 昔、高校生の頃、戦記本でも「空中戦」や「撃墜王」ものが好きでパイロットご本人が書かれた(ゴーストライターもいた?)と思われる本を良く読んでました。 (日本海軍のエース坂井三郎氏の空戦記は子供心に大袈裟だと感じてました。) 空戦記を読んでで面白いのは海軍モノより陸軍モノ空戦記でした。 太平洋戦争の後半は海軍機は良いことなく押されまくりますが陸軍機特に 戦闘機はビルマや中国、本土上空でしぶとく最後まで将校というか指揮官率先で 活躍健闘したような印象が残ります。 (実際は海軍機の方が戦果をあげてはいますが。。。) 陸軍にも数多くの撃墜王が現れましたが私が一番畏敬の念をいだく 陸軍パイロットは檜 與平少佐です。 「つばさの血戦 − かえらざる隼戦闘隊」という著書をご自分で表されてますが この本は読みやすく読んで損はないというか読むほうの人も励まされる本です。 檜氏は有名な加藤隼戦闘隊(64戦隊)の幹部で軍神となった加藤隊長 亡き後もビルマで戦い続けます。 1943年夏、日本人で初めて米軍の高性能戦闘機P51マスタングA型を 愛機隼2型で撃墜しハミルトン大佐を捕虜にしています。 同年11月ビルマに現れた敵爆撃機を攻撃中、ハミルトン大佐の仇とばかり 後ろから近寄ったP51戦闘機により不意をつかれ被弾し負傷を負いますが 何とか機体も味方飛行場に着陸させますが敵の機銃弾で右足下腿部を切断 され内地に帰還し歩行用の義足をつけますが空中勤務は無理と判断されます。 普通ならこのあたりで退役とか傷痍軍人とか後方での地上勤務に従事するのでしょうが 檜氏は大空への復帰を諦めずに半年かけて必死でリハビリに励みます。 そのような檜氏に廻りの人たちもつき動かされ特殊な飛行機用の義足を提供したり 恐る恐る檜氏の飛行再訓練を認めたりしていきます。 訓練を終え地上に戻り飛行機から整備員達に降ろしてもらう時、檜氏の義足は 毎回血まみれだったそうです。 そして1年以上経過し檜氏は明野教導飛行師団の教官として大空に復帰しますが 未だ話は終わりません。 教官になったとはいえ、同僚の教官はおろか教わる学生も檜教官の乗る乗機とは 編隊を組もうとしなかったり遠ざかって飛んだといいます。 やはり義足なので細かなペダル操作が難しく檜氏の乗機と空中でぶつかる事を 恐れていたようです。 でもここでも負けず嫌いな檜氏は血みどろのようなリハビリを続けながら飛行訓練を こなし廻りの一流の訓練教官からも認められついには第一線の実戦部隊の 飛行隊長に返り咲きます。 それでも廻りの一部のパイロットからは「檜氏の義足では空中戦は無理」とも 思われてたようです。 あと一月で終戦となる1945年(昭和20年)の7月に伊勢湾上空で本土空襲にきた檜氏の右足を 2年前に奪ったまさしく氏の宿敵であるマスタングP51D型の大編隊と遭遇します。 この当時は戦争中で武器特に飛行機の進歩は著しく檜氏の乗る愛機も ビルマ戦当時の隼2型(最高時速536キロ)から新鋭機の五式戦(最高時速580キロ) に機種変更してましたが対する米空軍の硫黄島から飛来したマスタングP51もビルマ戦当時の A型(最高時速600キロ前後)からD型(最高速度703キロ)と驚異的に性能向上を 果たしB型以降は米陸軍というより第二次大戦での最高傑作との評判でした。 五式戦(キ-100)でも性能はP51に完全に劣りますし、檜氏は先輩の黒江少佐からP51の 侮れない高性能を鹵獲機を使用した模擬空戦で熟知はしてましたが臆することなくもなく 果敢にかつベテランらしく冷静に戦闘を挑みました。 しかし2年ぶりとなるいきなりの空中戦で檜少佐はP51D型十数機に包囲され苦戦に陥りますが 敵の射撃を避けつつも一瞬の隙をつき反撃に転じ、ベンボウ大尉機のP51D型を本土上空で 撃墜します。 此頃の日本陸海軍のパイロットは五体満足な者でもP51を恐れ本土決戦間近なためか 燃料の浪費する空中戦を控える時期でしたが、檜少佐の敵機撃墜は素晴らしい戦果であろうと思います。 奇跡というか偶然か?必然か?は判然としませんが氏は自分の右足を奪った同一品番の敵機 を終戦間際に片足による操縦で撃ち落とし、落とし前をつける凱歌をあげたのです。 現在、檜氏が当時使用していた義足は航空自衛隊入間基地内に展示されてるそうです。 人間どんな境遇にあっても諦めず前向きに明るく生きる事の大切さを檜氏は 自身の戦いを通じて戦後の私たち日本人にも教えてくれてるように思えます。 敵との空中戦における一瞬の戦いのために、しかも死が確実に待つ、空の戦場に舞い 戻るために檜氏は2年以上も自分自身の心と対峙し戦い続け自分自身に打ち勝ち恐怖の 空の戦場に舞い戻ったその勇気を、現在の平和な時代とはいえ日本人各自は日本人の 誇りとして見習うべき点もあるのではないでしょうか?。 (これは反戦とか軍国主義とかは関係ありません、氏は日本国家に責務を果たすべく 自身の執念で大空に復帰したのだと思います。) 今でもこのようなリハビリに励む方は多いと思います。 生前の檜氏のインタビューです。 心して拝聴しませんか。 元軍人さんとは思えない朗らかさと明るさです。 |

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