涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

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4月末に待望の 「正説レイテ沖の栗田艦隊」が届きました。

この本は昨年4月に発行された比較的新しい書物ですが

自費出版のようで図書館でも書店でもamazonでも入手が無理でした。
楽天のほうで申し込んでみると一月程かかりましたが自宅に届きました。


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yahooブログでも主にネトウヨ系の方がこの本を数名の方が記事というか
この書を取り上げていましたが入手が難しいこともあり読んだ方は
いないようです。
レイテ島沖で謎の反転をした栗田提督を擁護する主張が溢れた内容が持ち味です。

私は以前から栗田提督は卑怯な提督が多い中でも

かなり卑怯で上位にランクされる御仁と決めつけてますので著者 
大岡次郎氏の「正説」に興味というか関心を抱き1年かけ探し、購入、
読むに至りました。

繰り返しますが内容は100%栗田提督の擁護論というより賛辞
というか人間的な尊敬愛に溢れています。

でも大岡氏の50年以上に渡る研究というか磨かれた文体と今までの
他の書物の栗田提督は卑怯者だったとする主張本への批判や
攻撃は冴えわたっています。
何しろ、名著「レイテ戦記」を著した大作家の大岡昇平氏も
作家の書いた小説として栗田提督の反転は空想に過ぎないとしてます。
また日本海軍マンセーかというとそうでもなくちゃんと卑怯者として
実績の高い豊田連合艦隊司令長官も乙事件で有名となった福留繁
中将などもボロカスにこき下ろされています。
大岡次郎氏の主張はとにかく栗田提督を擁護と賛辞で終始いたします。
全く内容には同調できないのですが、こんな面白い戦記モノは久しぶり
に読みました。

日本海軍戦記に興味のある方にはお奨めの本です。

大手出版社から文庫本等ででも再刊されれば
売れる内容だと思いますけどね。

この本の内容というか疑問に思った点は後でまた記事にしたいと思います。


尚、私は栗田提督を卑怯な提督とする記事は以下に記載しています。



知られざる戦史【42話】栗田健男提督@「レイテ湾謎の反転」より「怯将」を起用し続けた謎?

http://blogs.yahoo.co.jp/naomoe3/61369983.html
栗田健男海軍中将といえばレイテ島沖海戦で味方部隊のの数々の犠牲的アシスト
(西村艦隊全滅、志摩、小沢艦隊壊滅・初の特攻作戦)により米輸送船が集まるレイテ
湾口まで迫りながら「謎の反転=退却」を為した名(迷)提督です。
史実から60年以上経過しますが現在でも多くの戦史本や架空戦記でも「謎の反転」の
理由やその成否が取り沙汰されています。

謎の反転をした理由は大まかに
◆ 栗田提督の不眠不休での疲れ説、
◆ 無駄死を避けるため、
◆ 艦隊保全思想、
等があげられますが栗田提督自身は戦後も沈黙を貫きました。

私は栗田提督は生まれつきの怯将、弱将であったように思います。
逆にいえば、太平洋戦争全戦域で怯将ぶりを持続し続けた栗田提督を
何故日本海軍の上層部が昇進させ続け、ここ一番のレイテ島沖海戦で
主力部隊の指揮官にまで起用し、海戦終了後も栄転させてしまったのか?
という部分が私にとって「大きな謎」として残ります。
私はレイテ島沖海戦での栗田提督はそれまでの怯将にしては最後の
大海戦でもあったせいか今までの戦いに以上(部分的にですが)に勇敢に、
全体としても奮闘したとは思います。
栗田提督が座乗する旗艦重巡「愛宕」が敵潜水艦の攻撃で初っ端から撃沈され、
日本で一番の防御力を誇る戦艦「大和」に乗り換えた事で心理的に多少は
強気になったのかもしれません。

それでは太平洋戦争開始から1944年10月のレイテ島沖海戦までの栗田提督の戦いぶりを追っかけてみましょう。

①マレー沖海戦(1,941年12月)
太平洋戦争開始の二日後に生起した史上名高い航空機のみで
英国戦艦2隻を撃沈した「マレー沖海戦」では栗田提督は少将で
第七戦隊の重巡洋艦4隻を率いて戦場付近におりました。
栗田少将指揮下のの重巡「熊野」「鈴谷」の水上偵察機で敵艦隊を
発見蝕接し続けますが
栗田提督は英戦艦2隻に近づくどころか北方に退避しています。
翌日、基地航空部隊が英戦艦2隻をみごと撃沈し日本軍の大勝利
となり栗田提督の行動は問題になりませんでした。

↑ 本海戦の日本側主力は基地航空部隊(中攻)でした。

②バタビア沖海戦(1942年3月)
ジャワ島上陸占領をめざす日本軍と阻止する蘭、英、米艦隊との間で
起こった海戦です。
ここでも栗田提督は第七戦隊の重巡4隻を率いて支援隊として輸送船の
警戒にあたってましたが敵艦隊の出現にたいし配下の 重巡「最上」「三隈」
の2艦を差し向けたのみでこの時も主隊は敵から一定の距離をおき
(見方によっては遠ざかる)戦闘に加わろうとしませんでした。 
尚、「最上」「三隈」は大活躍しました。
最上の発した魚雷は敵艦にはあたりませんでしたが味方輸送船等に
命中し三隻が沈没陸軍側総指揮官今村中将も海に投げ出され
溺れそうになりました。
後日、今村中将に誤ったのも栗田提督でなく原提督でした。
この時も緒戦の勢いで日本軍勝利し栗田提督へのお咎めなしです。

↑ 主力は原少将と栗田部隊から分離した「最上」「三隈」でした。

栗田提督自身は常時戦場圏外にいて戦場に向かいませんでした。



③ミッドウェー島海戦(1942年6月)
戦局が転換したミッドウェー島沖海戦の後半でも栗田提督は重要な
役目を担いますが奇々怪界な行動を取り続けます。
米急降下爆撃機による日本側4空母の被弾後も連合艦隊は米艦隊撃滅と
ミッドウェー島の占領を諦めたわけではありませんでした。
日本側でミッドウェー島に一番近づいてなくてならないはずの栗田提督の
率いる第七戦隊に連合艦隊司令部から夜間にミッドウェー島の航空機の活躍を封殺するように島の飛行場攻撃の命令を受けますが何故かこの時「島まで距離がある」と自隊の恥を偲んで返信し、それでも砲撃命令を再度受けしかたなく夜が明ける前に全速でミッドウェー島目指して走りますが
明け方近くミッドウェー島まで80キロまで近づいた処で連合艦隊より総退却命令が出て西に反転、その後,気が緩んだのか配下の「最上」と「三隈」が衝突を起こしまます。
栗田提督は20ノット以上出なくなった「三隈」と「最上」を敵制空権下の海域に残したまま自身の主隊は3日間、無線封鎖を続け、連合艦隊の呼び掛けにも応じず西に遁走、雲隠れします。
栗田部隊主隊の無線封鎖で困り果てた南雲部隊、近藤部隊が「三隈」と「最上」の救援を行いますがついに「三隈」は遂に敵航空機の度重なる攻撃を受け沈没します。

↑ 4空母壊滅後はある意味海戦の主役でした。

ミッドウェー砲撃命令を受けた際栗田提督は
「連合艦隊め、空母が被弾して血迷ったか。。。」と呟いたとか。
(冷静な方ですね)

④ろ号作戦におけるラバウル撤退(1943年11月)
ラバウルに迫る米軍の侵攻を阻止しようとトラック島から重巡10隻以上を
率いてラバウル港にやってきた栗田提督率入る第二艦隊主力ですが米軍の
空襲を受けて沈没艦は無いのに「空襲」を理由に敵艦隊と戦わずトラック島
に遁走しています。

↑ この場合、主役でしたが栗田提督の癖である「敵制空権下からの離脱」は

肯定できる部分もあると思います。
でもこの後、尋常な作戦では日本が勝てない状況になっても④と同じことを
⑤、レイテ島沖海戦と以後同じ事を繰り返します。  

⑤マリアナ沖海戦(1944年6月)
この戦いから栗田提督の役割・権限・責任は大きくなります。
マリアナ沖艦隊は日本海軍のある意味最後の正規戦で文字通り最後の
大決戦でした。
総指揮官は空母部隊を指揮する小沢中将でしたが栗田中将は本海戦NO2
の役割で大和、武蔵以下温存されていた水上部隊を率いて味方空母群より
200キロ以上敵に近い場所に進出し敵の航空攻撃を吸収し、全軍突撃と
なれば前衛部隊を率いてサイパン島に上陸中の米軍に対して文字通り
捨て身の殴り込みを行う第二艦隊を率いていました。
結果はご存知のとおり空母決戦で大敗、それでも闘志の消えない小沢中将は
未だ闘志はないが戦力のある栗田中将に水上部隊の夜戦によるサイパン
殴り込みを命令します。
しかしこの時も栗田部隊は小沢部隊の東方200キロどころか、小沢部隊の
真南に占位し戦場脱出を図りつつ在りました。
栗田部隊の位置にがっかりした小沢提督は決戦を断念し
「夜戦ノ見込ミナケレバ速ニ北西方ニ退避セヨ」栗田中将の自主性に
期待します。
退却の理由ができた栗田提督はサイパン・グアムに行けばいくらでも
敵がいるのに「敵情不明ニシテ夜戦ノ望ナキニ付北西方ニ進出(退却?)ス」
と勇ましい電文を放ちこれまた快速で戦場から離脱を図りました。
尚、この時の栗田部隊(第二艦隊)の参謀長は小柳富次少将です。
この名コンビはレイテ島湾口での謎の反転の時も二人で反転を「決心」
しています。

↑ 日本側の空母戦力壊滅後は栗田提督は戦場の主役となるべきでしたが

ここでも徹頭徹尾「「敵制空権下からの離脱」を心がけます。
敵に向かう味方空母機が前衛の栗田部隊の上空を飛行するや
対空砲火を放ち味方機をバタバタと数機?撃墜する豪快な武勇伝があります。   

栗田提督の暗い部分のみを書き連ねましたが、栗田提督にも少ないながら
戦功はあります。
1942年4月インド洋での10隻近くの輸送船撃沈、ガダルカナル島敵飛行場の
戦艦による夜間砲撃です。 
しかしこれらは味方制空権内で確実な勝利が当初から見込まれていましたので
誰が指揮をとっても作戦通りに事は運んだと思われます。
ガ島の敵飛行場攻撃は日本側では危険な行為とされていますが
栗田砲撃部隊の後方には空母、重巡、基地航空隊までが支援を
行っており言われるほどに危険な賭けではありませんでした。

栗田提督に替えて西村祥次中将や角田覚治中将・木村昌福少将、
古村啓蔵少将等に1944年当時の水上部隊を指揮させていたらマリアナでも
レイテでも確実に命令を実行して敵輸送船団にマッカーサーに一泡
吹かせたことでしょう。
(私にはレイテ湾に突撃していたら日本が勝てたのか?という考証はできません。)

ここからは私の推測になりますが栗田艦隊はブルネイを出撃してから
レイテ湾に向かい、戦い?「謎の反転」でブルネイ港に再度戻りますが、
最初から最後まで小柳参謀長としめしあわせて
「必ず!生きて帰るつもり」だったと思います。
この場合、高速(24ノット以上)で往復すると敵の潜水艦や空母機に
捕捉される危険性は減りますが駆逐艦や一部の巡洋艦は燃料が
途切れたでしょう。
史実でも栗田艦隊は戦闘場面以外では16ノット程度の速力で燃費を
気にしながらの航行を続けたような気がします。
レイテ湾口で反転したのもその地点で引き返さないと燃料不足で
ブルネイ港に辿り着けない事がわかっていたから、帰りの燃料と速力の
相関を調べ直して「謎の反転」を行ったものと思います。

日本海軍はよく人事で敗れたと内外の戦史本には書かれています。
でも日本海軍なりに怯将とされたアッツ島沖海戦での細萱戊子郎中将、
ルンガ沖夜戦で勝利したとはいえ勇敢でなかった?との不思議な理由で
予備役に落とされた名将・田中頼三少将等が更迭してていますが、
戦いぶり以前の海戦・決戦に至る前に「常に敵から遠ざかる」を人生の辞書
としたかのような栗田健男提督を日本海軍の上層部は前線で
起用し続けたのかが私には「大きな謎?」として残ります。 
嶋田繁太郎海相が栗田提督を可愛がったとかコネがあったとかで
豊田副武連合艦隊司令長官が内心嫌々ながらも栗田を起用していたとかの
説もあるようですが。。。

最後に余計かも知れませんが何度も更迭の機会があったにも関わらず
O監督を起用し続け(その前の大会はZ監督を起用続ける)、自身を失った
O監督に心情に気づきながらも「冗談」で済ませ南アフリカの本戦での
責任をO監督に被せO監督や現場の選手コーチの「無責任」「怠惰」で
かわそうと目論む自称スマートなインテリ日本S協会と日本海軍の
上層部は私には日本的な機能不全に陥っても自己改革力のない
暗愚な組織として重なって見えてくるのです。



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