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昨日のGPSアプリ山旅ロガーのテストついでといえば失礼ですが ついに福岡市の南公園の飢人地蔵菩薩(うえにんじぞうそん) に行ってみました。 福岡県(福岡市含む)も過去色々な災害や苦難、流行病疫病、戦争 や空襲、悲惨な歴史がありましたが私が一番、福岡県 (当時は福岡藩その他の藩)で多くの方が亡くなられた、福岡県民が 忘れてはいけない事件は江戸時代18世紀享保十七年(1731年)に西日本を 襲った享保の大飢饉だと思うのですね。 当時の資料の古文書などによると天候不順による収穫減やイナゴの大量発生などで作物の被害が発生し九州でも福岡・佐賀県が特に被害が多かったようで 当時の両県の3分の一もの多くの方が飢えや病気で亡くなれました。 当時人口は40万人もいなかったと考えられる福岡(黒田)藩だけで10万人以上が 亡くなられたそうで、当時の福岡県(筑前・筑後・筑豊・豊前)の諸藩を合わせると 20万人近く亡くなられたと考えられます。 元寇でも戦国時代でも西南の役でも米軍の福岡大空襲でも一度に1万人を 超える人的被害はなかったようですから享保の大飢饉は空前絶後の災難でした。 当時の福岡藩も手をこまねいていたわではなく、財政状態もよくないのに 徳川幕府や大阪の商人らに借金までして米を買い入れ博多港に運び込み 救世軍のように庶民にも米や粥を振舞ったそうですが、その話を聞きつけ筑紫や 那珂川あたりから多くの民百姓らが城下の博多港を目指したそうですが多くは 福岡動物園や山の上ホテルがある丘陵を越せずに亡くなり遺体の山だった そうですが見かねた近所の武士らがこの地蔵菩薩を建てられたようです。 この当時、南公園や山の上ホテル、谷公園(陸軍墓地)の周辺は 飢饉後も何年たっても夜な夜な鬼火(人魂)が見られたとの噂です。 実は福岡市周辺や福岡県内では多数の飢人地蔵菩薩や類する地蔵が安置 されましたが現在は少なくなっておりここの南公園の飢人地蔵菩薩も昭和の 後半に再度地元の有志さんたちで再建されたようです。 もちろん飢人地蔵菩薩もここの南公園以外にも福岡市内や周辺に今でも 多数ありますが、当時の同時代の生き延びた人の多くは 忘れられない記憶となり何かをせずにいられなくなり多数の地蔵菩薩を 福岡市周辺の各地に建てたのでしょうか?。 どうも今は福岡各地の地蔵菩薩の多くは忘れられた存在のようですね。 日本ブログ村 散歩・ウォーキング人気ランキングに参加しています。 |

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