涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

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沖縄戦を少し勉強された方なら当事の日本軍の沖縄守備軍(第32軍)の
最高責任者、牛島満中将の名前覚えてるでしょう。


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海軍側の最高責任者である太田実少将が玉砕寸前に発信した
決別電報「沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

が余りにも有名で戦後も多くの人を感動させており地元の沖縄の人も
マスコミも日本軍の事は悪く言っても太田実少将と自ら死地の赴任地、
沖縄に飛び込んだ島田県知事に関してはその人柄と行動を絶賛しています。

その反動もあるのか?陸軍側の最高指揮官牛島中将は、沖縄戦を通じて
数々の批判があります。
代表的な例として
①本島北部や九州への県民疎開が不十分であった。
②本島中部の首里陣地で玉砕せず南部に撤退し住民避難エリアを
確保せず追撃する米軍との間で多くの県民の犠牲が増えた。
③南部撤退も時間稼ぎになったかどうか判らず、牛島中将は自決直前に
「各部隊は生存者中の上級者これを指揮し、
最後まで敢闘し、もって悠久の大義に生くべし」

という命令を発しその後も終戦後まで混乱を招き多くの犠牲が
膨らむ原因となった。
については牛島も沖縄守備も十分に疎開を行ったとする説もあります。

牛島司令官は人事教育畑が長く、性格は温厚かつ人格円満で若い頃は
陸軍省高級副官として荒木貞夫、林銑十郎、川島義之の三大臣にも仕える
程に優秀な人物でした。
また沖縄赴任前の陸軍士官学校の校長時代に牛島が不在時に火の不始末で
学校の校舎の一棟が全焼する事件が起こり、東條英機首相がカンカンに怒り
失火の責任者を最前線に配置するようとの求めにも牛島校長は自分が責任をとる
と返し、この件だけが原因ではないと思いますがその後沖縄軍司令官に転出します。

沖縄でも戦闘がはじまるまでは民間人からの受けも非常によかったのですが
沖縄着任当事から自分の死ぬ事を確信してたようで作戦指導は長勇参謀長や
八原高級参謀らに任せ切りで最後に責任は自分自身が死んで全ての
責任を引き受けるというスタンスに終始しました。
司令部の部下が給仕女性と恋愛したり、慰安所通いをしても
自分は女性とは係わらず、感状書き、木刀素振り、鰹節をナイフで
削り人形を造ってたようです。
(↑ ここまで読まれてる人、3人くらいいますか?心配)

ここまで話が長くなりましたが、牛島中将の批判はともかく私には
昔から牛島中将の或るエピソードが気になってしょうがありません。
それはよく戦場で(シナ事変当事)旅団長時代の牛島少将が
「戦場で用便を済ます癖があり、
必ず見晴らしのいい場所などを選んでいたらしい。」

とのエピソードが多くの書物で語られてる事です。
しかし、どういう理由で大便をしていたのかの説明は不思議と全くありません。

当事のシナ事変当事の牛島は36旅団長で壮年の一番充実した時代です。
普通は将校やまして将官が行軍中とは味方の下級兵士の前で
しゃがんで毎日脱糞を繰返す事はある異常な性癖でも備わってない限り
はありえません。
よく武勇伝の1種として戦場や行軍中の脱糞には勇気が要るとの解釈もありますが
私はここ数年まえまで牛島指揮官の脱糞行為のほんとうの理由が判りませんでした。

もちろん今でも性格には牛島の戦場とはいえ衆人監視の元での脱糞行為の
答えは見つかりませんが私なりに色々と考えました。
もしかすると牛島は下痢体質だったのかなど?(苦笑

この事を20年以上も考え続けた私の結論的な推測は以下の通りです。

それは牛島が真の教育者であったからです。

繰返しますが脱糞行為を繰返していたシナ事変当事の牛島が指揮を執った
36旅団は牛島と同郷の鹿児島の旅団でした。
また旅団とは師団と連隊の間に位置する2個連隊規模の部隊ですが、
不思議な事に各上の師団と格下の連隊には指揮官以外に司令部や補佐する
参謀が複数いるのに旅団は旅団長を補佐する参謀や司令部は通常は
存在せず副官とか従兵くらしか付きませんでした。

つまりシナ大陸の戦場とはいえ周りに参謀や参謀長も存在しないため、全部、
旅団長が参謀的な作戦立案や行軍計画・戦闘配置をほぼ一人で決めねばならず、
誰かに指揮をまかせてゆっくり衆人監視の環境下で脱糞する余裕もなかったと
思えてくることです。

牛島は36旅団全員に行軍中や戦闘中も部隊から離れず、腹を壊したり便意を
催しても部隊から離れずにその場で脱糞するように言いつけています。
しかし若い兵士など牛島の脱糞命令を本気にせず、戦場や行軍中に少し部隊から離れて民家の影や民家に押し入り大便を済ませる途中に、シナ人の民間人やゲリラ、便意兵に襲われ刺殺されたり捕虜後に尋問のあと首を切りとり日本軍陣営や
日本軍行軍路の前に日本兵の首を置いたりと神経戦のような事を行いました。
日本の戦死者は皆「名誉の戦死」を遂げたことになってますが実は隊を離れた
隙にシナ人に襲われ非業の死を遂げた日本兵も数多くいたのでした。

もちろん旅団長として同郷の薩摩隼人の壮丁6000人の命を預かる
牛島旅団長はここで教育者としての矜持をみせるため、行軍中に
ワザと味方兵の誰もが気づくように大げさに目立つように脱糞行為を
繰返したのであろう?
つまり偉い旅団長でさえ人前で尻出して脱糞してるから
お前ら(兵隊)も行軍中でも脱糞して構わないよ・・・と
身を持って示したかったのだと思います。
そう今の私は思い至るわけです。
もちろんこれは牛島旅団長なりに部隊から脱落者を出さない為とか部隊から
強姦者、強奪者を出したくないとの配慮もあったように思います。
そんなわけで鹿児島の兵らはここまで自分達の事を考えつくす牛島を慕い
牛島の脱糞行為を感謝し又ユーモラスに戦後も伝えたので有名エピソード
として伝わってるのだと思います。

最後に残念ですが沖縄戦末期に戻らねばなりません。
(ここまで読んでくれてる人 一人くらい残ってますか? 心配?)

牛島は軍人として教育者として沖縄へ着任前から日本軍の敗北と
自身の死を確信していましたから特に沖縄では武人というより人間として
また西南戦争の最後隆盛を意識してか立派にふるまいました。
しかしその管理手法は長参謀長や八原高級参謀の立案計画に
無修正で署名し全て部下任せで責任は自分が死んでとるという
或る意味では日本の将軍の究極の王道スタイルを沖縄でも踏襲しました。
孤島や民間人を巻き込まない陸戦であればそれも牛島の美学であった
のかもしれません。
しかし沖縄は今までの戦場以上に大きな島です。
更に多数の民間人(県民)が40万人も済む島でした。
結果的に9万人の軍人・軍属が戦没し、民間人にも10万人以上の犠牲者が
発生し、現在もその犠牲の大きさ故に牛島や旧軍への批判が絶えません。
(満州・樺太や本土でもソ連軍の侵攻や米軍無差別爆撃で50万人もの
 民間人がお亡くなりにまってますから、殊更冲縄戦のみを強調する
 必要は無しと考える方も最近は増えてますね。←オレもそうです。}

牛島中将が率いる沖縄守備軍の最後の使命は、当初は特攻攻撃
や戦艦大和などの殴り込みと地上決戦による、米軍一撃論が盛ん
でしたが、航空戦力が尽きると、牛島中将の率いる冲縄守備軍が
沖縄本島で米軍を釘づけにし米軍の日本本土への侵攻を1日でも
遅らせるように流れていきました。
ですから牛島中将が自決する際も
「各部隊は生存者中の上級者これを指揮し、
最後まで敢闘し、もって悠久の大義に生くべし・・・」

という命令を部下の参謀に起案させてそのまま生き残り各部隊に伝達し、
昭和20年6月22日の後も軍民の犠牲は続きました。
部下には徹底抗戦を指示し自身は早過ぎる死を選択したとも
考えられるわけです。

牛島中将のことを西郷隆盛の再来とか「大器」「将器」と称える人も
一方では多いのですが、己の死までの期間に決してブレないよう
生きたのかもかもしれませんが、自身の死を最大限にオプションとして利用し
引換る事で少しでも沖縄での軍民の犠牲を少なくできたのではないかと?
とも愚考しますし、8年前の中国戦戦線当事の衆人監視の元で自身
の大便姿を部下全員に見せて廻った牛島の長所である
「真の教育者の姿」を最終の戦地である沖縄でも再現できなかった事が
惜しまれて残念でなりません。
(沖縄戦でも脱糞しろ!との意味ではありませんよ)

当事は「軍民皆、共に戦い、勝てなくても最後は共に死なん!」という
スローガンは盛んでしたが、尉官、左官の指揮官より遥に高官で教育畑
出身者である牛島満なら自身と軍の最小限の犠牲で多数の部下や県民を
救う事も可能ではなかったのか?
長勇参謀長や八原高級参謀の司令部の空気を無視できず牛島も
司令部内の「空気」に逆らえず、司令部内で求められる「理想の将器」の
キャラクターを最後まで演じ続けたのであれば「残念」という文字しか
今の私には思いつきません。

もし人間の徳も併せ持っていた牛島がシナ事変の旅団長長時代のように
部下の参謀長や参謀が存在せず、現実のように参謀長が存在していても
ゼロベースで自分の頭で考え抜き、硫黄島の栗林中将のように最後は
自分で「決断」できる軍人(教育者)あったなら
沖縄戦も今とは少しは
違った結果となっていたのかしれません。
(最後までお読みいただいた方? 1名くらいいますか? 苦笑

※当時の日本人は逆らえない空気の中に生きていたから誰が冲縄の
  司令官になっても悲惨極まる結果は同じだと考える人もいるでしょうが
 果たしてどうでしょうか?
 牛島満に対し、キスカ撤退やユダヤ人救出を行なった樋口季一郎や
 最後の最後まで部下を統率して地獄のニューギニアで戦い、戦後は
 部下の戦犯裁判が終わるまで弁護し続け戦争、終了後二年も経って
 自決した安達二十三、攻略した蘭印で善政をひき、戦後も戦犯容疑の
 部下の服役するマヌス島に自らGHQに直訴し、向った昭和の「聖将」
 今村均などが牛島に代わり冲縄守備軍の司令官になっていたなら
 沖縄戦は?今の冲縄と日本の関係はどうなっていたのでしょうか?
  


関連記事 

牛島満 沖縄郡司令官 「生い立ちの記念碑」 鹿児島市

http://blogs.yahoo.co.jp/naomoe3/61949808.html



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辺戸岬から24km歩いて広大な国頭村を突破、大宜味村に入ります。
午後9時頃から雨が激しくなって、折畳み傘とカッパを着用しますがずぶ濡れ。

辺戸岬から30km歩いて大雨です。


イメージ 1









































21時50分、道の駅大宜味到着です。
施設は真っ暗で自販機とトイレしか利用できません。 さんぴんちゃ茶購入。

暗いせいか自販機の隣の空缶ゴミ箱周辺に生ゴミを持ち込み捨てる
人もいるようで
異臭が激しいです。

イメージ 2








これから先の道路も暗く歩道の路面で雨でよくみえず
歩くのに注意が必要で気を遣います。
またトラックが走ると水しぶきをかけられます。

雨が止み 
22時53分 北から3番目のコンビニ  ファミマ 大宜味店  
約34km歩いてます。  
ガリガリくんとお茶を購入

イメージ 6

 

イメージ 7





























辺戸岬から37km歩いて名護市にいりますが、名護の中心部まで
更に10km歩かないと都会エリアにたどり着けません。
沖縄メモ【4】 沖縄北部の人口
辺戸岬から国頭村、大宜味村を越えるのに37kmもり
両村の広大さと人口密度の低さに驚きます
北部の国頭村は人口5000人、大宜味村は2000人台で
沖縄本島の面積は25%以上あるのに人口は100分の一以下です。


午前2時半 名護市の中心部のパチンコ屋の軒先で30分休憩
少し眠りましたが気がつくと蚊にバンバン刺されており先を歩きます。


イメージ 8





























名護市内での雨が一番激しく、一時冠水状態となり道路
深さ15センチくらいの川のようになりジャブジャブ状態です。
名護市民の方も大雨と冠水コンビニや深夜営業の店から
駐車場まで動けない人が多数いました。
コンビニ横のゴミ箱で酔って寝てる人も数人確認。

スマホのカメラも水かぶります。

イメージ 9






























、名護市の国道沿いに集客100人規模の24時間営業の
ネットカフェが1件ありました。
ワタシも利用したかったですがここで安直に利用すると
4.5時間寝てしまいそうで明日中に那覇市への到着も
難しいので諦めました。


30分歩き名護市役所過ぎた立体歩道も冠水がひどく
立体歩道下で雨宿りしかし靴は水没状態で結局歩きます。

幸いワタシはこれまで100km歩きの経験値が蓄積されたのか
どんなに雨が降っても寒くても眠くても、低速なら自動で
歩ける心スイッチを備えておりますので雨の中「低速自動」
モードで歩きます。

午前5時20分 ようやく 道の駅 許田に到着
ここでも少し雨宿りと体を少し自然乾燥させます。

イメージ 10










トイレでセルフ撮影してみました。 ブキオッサンに自分で思えます。

イメージ 11






























明るくなった午前7時  辺戸岬から65km歩いて恩納村に入ります。
バス停で濡れた足を乾燥させます
久しぶりに飲むチェリオ 美味しくありません。

イメージ 12
雨が小降りになったのでバス停を出て歩きます。

イメージ 3
72km歩いてきて 8時50分 また大雨で海岸の小屋で休みます。
思い切り大休憩で足を乾かします。
ワタシの1m隣のベンチでは朝から準仮想敵国(C国)の服装も
ダサい馬鹿
ップルが朝からチューチューイチャついており腹が立ちましたわ。
彼らはワタシを乞食か透明人間と思ったのでしょうか?

イメージ 4





























10時間近く濡れた足で動いたので足の裏が一部肉刺もでき
足裏全体がふやけて危険な状態になりつつあります。
雨が降ると効果はないのですが昨日から履き続けた
靴下をここで履き替えます新しい靴下だと足の裏が痛いです。


イメージ 5





























バスに乗りリタイアする気はありませんが、足裏を庇うと
さらに歩きが遅くなり夕方までに那覇市への到着が困難と悟ります。


【すいませんまた続きます】
結果はお判りだと思いますが、次回で最終回の予定です。


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