涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

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明日の6月23日は沖縄戦の終結から68年で
首相はじめ多くの要人が沖繩の式典に参加されるようです。

沖繩戦と言えばどうしても住民被害の悲惨さ、なかでも集団自決とかの
話題にいきつくのですが、沖縄戦の頃、ある沖繩の離島で上陸した米軍と
日本軍守備隊の間で戦闘が行われ、その後両軍の間で話し合いが
行われ停戦状態が終戦まで続いて日米両軍や島民、朝鮮人軍属
の被害が最小限に抑えられえていたという話を紹介したいと思います。

イメージ 1














その島は慶良間諸島のひとつ阿嘉(あか)島です。
慶良間諸島と言えば沖縄戦の4月1日の沖繩本島上陸の
一週間前から前哨戦として米軍が方爆撃の後に上陸してますが
ここにはマルレという特攻艇の水上基地しかなく、米軍が沖繩
本島に上陸する背後から特攻艇で体当りする計画でしたが
米軍が先慶良間諸島に攻撃上陸してきたため特攻艇は
活躍することもできず、米軍上陸後は目だった戦闘も少なく
各島々の日本軍は山間部に隠れ、住民は集団自殺を行なった
事で有名ですがこの集団自殺は戦後は日本軍による虐殺とか
日本軍による指示?であるとされてきました。
慶良間諸島は12の島からなるのだそうですが日本軍が駐屯
していたのは大きな渡嘉敷島、座間味島、阿嘉島、慶留間島の
4島ですが、阿嘉島だけがこの諸島では住民の集団自決が最後
まで発生しておりません。


では阿嘉島では他の島と何がどう違ったのでしょうか?
海上挺進第2戦隊の戦隊長 野田少佐が指揮官ですが
この野田少佐がひとつはキーポイントだったような気がします。

野田少佐は真面目過ぎる性分のようでこの小さな島にも
朝鮮人慰安婦が7人慰問(派遣?)に着ていたそうですが
野田少佐は隊員達に話も接触もするなと命令し、1944年年末
に朝鮮人の作業員(男性)が多数が基地造りの為に来島すると
慰安婦を全員沖繩本島に返したそうです。

1945年3月26日、米軍が上陸するや地上戦闘は苦手な
野田少佐の部隊は海岸の米軍に数回切り込み攻撃を行いますが
この戦いの期間に何度も島民代表や郷土防衛隊から何度も
「自決のタイミング」を聞かれたそうですが
「死ぬのは日本軍が全滅してからでも遅くない!」
「最後に命令するまで自決は控えよ!」と諭したそうです。
その後6月ともなると日本側の食料が底をつき、投降勧告を呼びかける
米軍に応じて、島民や朝鮮人作業員、また日本軍部隊からも少しずつ
山を下り海岸にでて米軍側の捕虜となる者が出るようになりました。
この時もは野田少佐は「投降を見つけると後ろから撃たなきゃならんから
目につかず逃げろ!」といい周りの将校や下士官から指揮官として
甘い人だと頼りなくも思われたそうです。

そんな6月、日本軍の軍曹が海岸を偵察していると突如米兵達に
生け捕られてしまいますが米軍側に「日本部隊に帰してやるから日本軍
指揮官(野田少佐)に降伏勧告の話し合いに応じるように。。。」といわれ
その軍曹は日本軍に占拠する野田山に無事戻り野田少佐に米軍の
メッセージを報告。
悩み抜いた野田少佐ですが6月26日に海岸に降り、米軍の指揮官
クラーク中佐、オズボーン中尉、米軍通訳、それと先に座間味島で
捕虜となっていたケガで重症の梅沢少佐らと話し合いました。
野田少佐は50名近い小銃を持った兵士を海岸に林に忍ばせ
将校数名を引き連れ海岸に毛布を敷き座って、クラーク中佐から
「人道的扱うから降伏せよ!」との話を私一人では決断できないので
将校と話して決めるので1日の猶予が欲しいと告げ、既に捕虜となってる
梅沢少佐も「これ以上の犠牲を少なくしたい」と説得しますが野田少佐は
この日は帰る事にしました。
実はこの時、米軍側から「食事を用意してますから一緒に食べましょう。
後で隠れれる多数の兵隊さんの分もありますからどうぞ。」と言われ
野田少佐自身は本来この島の駐屯者である日本軍が食事を招待
せねばならないのにカーッと激怒を超えて熱くなり食べずに帰ろうと
考えたのですが周りの将校も背後の50名の兵士も飢餓と栄養失調で
死にそうなくらい空腹な事が痛いほど判っているので林に潜む兵士を
海岸に呼び全員で米軍の用意した食事を黙って食べたそうです。

米軍との別れ時、オズボーン中尉が思いがけない行動を取り
上官のクラーク中佐も驚きます。
オズボーン中尉は日本軍と共に日本軍の陣地である野田山に
登りたいと申し出て丸腰、裸足になり野田中佐に直訴します。
この時、野田
義彦
少佐は
「ああ〜、負けた。 大和魂はアメリカ魂に負けた。」と観念し
精神的にも落ち込んだそうですが、オズボーン中尉を日本軍
陣地に案内し山上から島の説明をしナケナシのパインの缶詰
を開けて振舞ったそうですが、何も警戒せず不審にも思わず
パインを食べたオズポーン中尉に護衛兵をつけて海岸まで下ろしたそうです。
オズボーン中尉の行動は奇をてらってますが勇気がないと
とれない行動ですし両軍の犠牲を減らしたいから自身が犠牲になっても
構わないとさえ思っての行動であったのでしょうか?
この阿嘉島での経験がオズボーン中尉のその後を変えたのかどうか
は判りませんが、オズボーン中尉は戦後の1967年から駐日公使を
務めあげています。

戦争中に阿嘉島の海岸に日米両軍の兵士が対座して
複雑な表情で食事するシーンやこの会談を無駄に終わらせたくない
オズボーン中尉の行動、悩みに悩む野田少佐の困り果てた表情など
戦争映画に持ってこいのシナリオなんですが、くだらない映画が
ばかり多いですがこの映画誰か作ってくれませんかね〜。


その夜、日本軍の下士官兵には内緒で日本軍将校だけで
話し合いが行われましたが
野田少佐の心は一時は投降(捕虜)に揺れたけれども決心は変更せず
「降伏拒否」を決め込みます。
翌日、野田少佐は自身は海岸に降りず、代理の竹田少尉を立てて
海岸で待ち受ける米軍に
「日本軍は天皇の命令がないと降伏できない」
と米軍の降伏受け入れを拒否し、
「島民や朝鮮人軍属は彼らの自由意志で投降させる」
と物別れには終わるのですが、事実上これがこの島においては
停戦(休戦)状態となります。
クラーク中佐は野田少佐が降伏へ肚を決めてると確信してたので
とても残念がりますすがこれ以上は交渉の余地がないと判断し代役の
竹田少尉にある提案を行います。
「お互いが国境を超えた相互理解と平和を全ての
 信仰を超えた全能の神に祈ろうではないか」
竹田少尉も納得し護衛の兵も膝まづかせて、米軍が招いた
牧師の祈る言葉を竹田少尉は通訳を通じて聞き感動し
クラーク中佐に記念の日章旗を渡し、クラーク中佐は
黄色い旗を渡し「降伏するときはその旗を持ってくるように」
と申し添えたそうです。


野田少佐は直ちに、兵士軍属、島民幹部、朝鮮人幹部を
集めてこのような訓示をおこないました、
「捕虜になりたい者は山を降れ!
山を下っても後ろから狙撃しない! 
米軍は捕虜や民間人を殺しはしない!」
これで直ぐにではありませんが日本軍の周りから
島民や朝鮮人は消え日本軍からも少数ずつ抜けて
投降者がでるようになり昭和20年の8月22日を迎えます。
6月23日の沖縄戦組織戦の終了や8月15日の日本終戦を
確認した野田少佐は生き残った部隊と最後まで日本軍に従った
島の少数の住民や朝鮮人軍属を引き連れて降伏し
米軍の武装解除を受け入れました。
この時の野田少佐はまだ27歳だったそうです。

米軍の捕虜キャンプでは先に収容されていた朝鮮人軍属らが
先に体力も回復しており特に朝鮮人を虐めた日本軍の将校兵士を
問わずリンチを繰り返したそうで、総責任者である野田少佐も
酷いリンチを何度も受けたんだそうであります。
まあ阿嘉島でも集団自決は無かったとはいえ、野田少佐の
命令かどうかは判然としませんが戦いの最中にスパイ扱い
された島民夫婦が日本軍に殺害されたり、投降しようとした?
朝鮮人軍属が何名か射殺されたりとかの事件は起こったようです。

それでも沖繩の慶良間諸島の中で何故?阿嘉島だけが
集団自決が発生しなかつたのか?
ここまで書いてみて私もうまくは説明出来ません。
でも、野田少佐の真面目な性格ながらも度量の広さ、
米軍の寛容さ、島民の慎重さが幾重にも折り重なって
の「運」「不運」ではありませんが、この阿嘉島の場合は
「最悪の不運」は避けられたのかもしれません。
でもやはり指揮官の野田少佐が最大のキーマンで
当時ととしては常識破りな聡明さがあったと私は思います。
沖繩本島でも野田少佐のような人物が日本側の最高指揮官
であったならどうであったか?
と考えんてみても結論はでないのでしょうがつい考えこんで
しまいたくなりますね。
いくらあの時代は「軍国主義」という時代の空気(狂気)に誰しも
逆らえなかったといいつつも、その多くの制約や困難がつきまとう
中で最後まで良い結果を出しきろうとした人々の努力した姿は
伝承しないと行けませんよね。

たぶん明日の6月23日を過ぎるとヘンな左翼団体とか阿呆
マスコミは「日本軍がいた島では必ず住民自決が発生してますね〜」
とか得意げにシャア・シャアと立て板に水で喋る理由ですが
そういう人に限って勉強不足かワザと阿嘉島をスルーするのか
阿嘉島の実態には触れようといたしません。
逆に申し上げると日本軍が進駐もしてない
嘉比島でも

この慶良間諸島の阿嘉島の戦いについて詳しく知りたい方は
深沢 敬次郎氏の体験戦記である沖縄戦と海上特攻をお読みくださいませ。
また今年の3月に発売の
中村仁勇氏の沖縄・阿嘉島の戦闘―沖縄戦で最初に米軍が上陸した島の戦記も更に詳しく書かれおり、戦後も30年以上経過して
TV局の特集で野田隊長と
オズボーン氏らが
阿嘉島で再開した様子も詳しく記載
されてます。


イメージ 2

イメージ 3














まあ明日から沖繩慰霊祭、各地の夏の平和リレー、原爆慰霊祭や
終戦記念と慰霊祭イベント続きとなりますが、右の左のと言わず先ず
事実を知りたくなる私にとっても今年の夏は肌感覚で
蒸し暑くなるのが予見できますね。



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