涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

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紀伊国屋書店 内容説明
マーシャル諸島ウオッゼ島の日本守備隊三千百名は昭和十九年二月以降、脱出・補給路を米軍に断 たれ、南海に孤立した。六百日におよんだ篭城生活―悪化する食糧事情、士気の衰え、指揮系統の乱れ、増加する犯罪、死を賭したサバイバル。若き海軍大尉が 島内での生活のすべてを客観的、克明に記録した最前線の実情


太平洋戦争で最前線のマーシャル群島のウオッゼ島で米軍が上陸せずに
素通りした後も日本陸軍と海軍とが駐留し経験した壮絶で恐ろしくかつ
貴重とも思われる体験記録です。

著者は実際に島に駐留した部隊の副官ですが、その息子さんが父の様々な
記録から纏め上げています。
味方の日本軍にも敵の米軍にも見過ごされた島生活なので案外に気楽かと
思いきや米軍の爆撃や砲撃が時々ありますが最大の敵は飢餓と病で上陸時に
3000人以上いた陸海軍と軍属は600日間の籠城の末に飢餓や病、空襲、殺人、窃盗や人肉食やその罪による処刑等で終戦時に生き残ったのは1000人前後で
2000人以上の殆どが飢餓が原因で命をおとします。

普通の日本軍モノ戦記ファンが読めば落胆する内容ばかりです。
飢えや病気で士気が下がればここまで軍隊としても人間としても
誇りも消えうせ、組織の秩序も保てなくなるのか?と唖然としますし
暗くなる記事や事件が続発します。

盗みや上官や仲間を次々に殺す兵が現れ次々と軍法会議にかけられ
処刑されていきますが、飢餓に苦しむ中で誰かが食料を隠したり専横したり
上官が食料を部下に廻さないので、実際に上官殺し等が多発し読み進むのが
辛くなります。
でも盗んだり殺したりする兵が100%悪いわけでなく補給や支援を
行わなかった日本軍の上層部に最大の責任があるのですが。。

「日本軍が食人なんてするわけがない!」と言うおめでたい人も少なからず
いますがここまでにウオッゼ島が悲惨であったかと目を覆いたくなります。
喰うものに困って焼いたゴキブリを食べたら平気だったが生のゴキブリを
食べたら3日で死亡したというような命との等価交換な体験談が淡々と
描かれています。

私が少し気になったのは著者が朝鮮人軍属にも触れてる事です。
日本人同士でも殺し合いや、逃亡や人肉食が行われたのでさぞや問題
となったのか?と思いきや、朝鮮人軍属は平均的な日本人より一致団結して
仲間殺しも無く士気の低下は低く、海岸や畑での食料調達も共同して行い
日本軍兵士の平均値より生存率が高かったとか、終戦後も、日本人に
威張らず先に船で復員する日本軍にも反乱せず荷物を持って手伝ってくれたと
平均的日本人の部隊より誉めております?。

読めば読むほどに日本軍最強説や日本軍美談説が覆させられる困った
内容の戦記ですが、正直に書いてしまうと事実はこうなるのでしょうかねえ。。






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最近巷でジブリの新作映画「風立ちぬ」が何かと話題です。
零戦の開発者の堀越二郎に焦点を絞ってますが作家の堀辰雄を
ミックスした統合人物として実在の人物像とはだいぶ異なります。


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実際に零戦などを開発した堀越二郎氏はどのような人物だったのでしょう?
戦後の昭和28年に零戦開発者の堀越二郎氏と旧海軍航空参謀の
奥宮正武の共著として「零戦-日本海軍航空小史」という名著が出版
されますが、実はそれまで零戦は一般国民には全く知られてません
(海軍は陸軍の隼のように公表しませんでした)でしたが、戦後一躍
有名となり、その後も坂井三郎氏の「大空のサムライ」等が刊行され
「零戦」は良くも悪くも日本で一番有名な飛行機と認知されます。

昭和28年の初版 当事の価格は380円

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「零戦-日本海軍航空小史」は資料価値の高い本ですが文章は殆ど
奥宮正武氏が書いています。
またその後も朝日ソノラマなどで復刊されますが内容は数値資料が
復刊の都度に省かれていき現在の「零戦」はテキスト文字だけの本となってます。

戦後の堀越氏は零戦人気に気をよくして、自身と零戦の神話化を図ります。
簡単に述べると堀越氏は初作の七試単戦で失敗し、後の九六式艦戦で
大成功を納めその勢いで零戦に挑戦し、この零戦が太平洋戦争での
主力戦闘機となり次々と部分改良をかさねて戦争を終始戦い抜く訳ですが、
昭和15年日中戦争で中国空軍機を全機撃墜という華々しいデビューから、
太平洋戦争では緒戦の快調とは裏腹に後半は米軍の新型戦闘機に無理な
戦闘をいどみ続け、最後は特攻隊の主力機ともなります。
零戦開発後の堀越氏はその後も零戦の部分改良と迎撃専門の局地戦闘機
雷電の開発にも苦しみ続け、体を壊し蝕んでいきます。
そして、日本にも堀越氏にとっても運命の戦闘機となる零戦の後継機
「烈風」の試作が昭和17年から始まります。
烈風は零戦並みの運動性、零戦より100km以上の速度向上、武装の強化や
かるい防弾対策等が織り込まれましたが問題は当事の日本に小型の2000馬力
エンジンが存在せず、海軍側からは堀越氏が勤務する三菱製ではないNK9
(誉)という中島飛行機製の事実上1800馬力クラスのエンジンを指定されました。

堀越氏会心の作 九六式艦上戦闘機

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緒戦の精強無比ぶりと終盤の落日が際立った零式艦上戦闘機

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開発実用化に5年を要した超問題作 局地戦闘機雷電
陸軍の二式単戦
鍾馗より二年も遅れ高馬力エンジンを積みながら鍾馗と同性能?

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ここから私は堀越氏の選択肢と氏が導き出した「解」について素人なりに
触れてみたいと思います。

先ず堀越氏は烈風用に自社(三菱)製で開発中の2000馬力エンジンMK9を
希望しますがエンジンの完成が遅れては戦争に間に合わないと考える海軍側に
他社中島製のNK9(誉)を強権で押しつけられた事に強い不満を抱きます。
そしてNK9(誉)を装着した烈風の試作機を遅れに遅れて昭和19年の5月に
送りだしますが速度が当時の零戦より遅い速度520km代で、その後も空気抵抗を
減らす努力をしたりエンジンの当たり外れを考慮し替えてみたりしますが
570kmと零戦52型とほぼ同じ速度で海軍要求の640kmに遠く及びません。
烈風という機体は翼が零戦の1.5倍くらいも大きく、機体の重量もそれなりに
重く戦闘機というより艦上攻撃機天山のような日本機離れした巨人戦闘機でした。
結局、戦闘機零戦の時期後継機として大きく期待された烈風は
太平洋戦争に全く間に合わず実戦どころか配備もできぬまま終戦となります。

         全長    幅    全備重量  発動機  最大速度
零戦52型  9.1m   11m  2733kg 1130ps  564km

烈風11型  11m   14.0m  4410kg  2000ps? 574km

天山12型  10.8m 14.8m  5200kg  1850ps  481km



昭和19年の半ばで海軍はたまたま高性能を発揮した紫電と紫電改を
正式採用に傾き烈風は開発試作中止が決まります。
憤懣やるかたない三菱と堀越氏は昭和19年10月にようやく完成した自社エンジン
MK9を装着し社内試作機烈風をテストし速度624キロを確認し海軍側に正式採用を
具申し海軍側もそれを受け入れ正式機への道を歩みますが、当事の日本は
空母も無くなっており艦上戦闘機は必要とされない状態でした。

その後も、昭和20年の東南海地震や相変わらずの三菱MK9エンジンの量産化の
遅れが響き正式採用となってから終戦まで10ヶ月もの期間がありながらも試作機
量産期を含めてわずかに8機しか烈風は造られず米軍機との空中戦もないまま
終戦を迎えます。

戦後、大人しくしていた堀越氏ですが昭和28年以降の零戦ブームと「烈風神話」
の国民への認知で俄然張りきります。
戦時中は零戦の改良には終始、1000馬力級の栄エンジン(これも中島製)に
こだわり続け自社製の1500馬力の三菱の金星エンジンがあるにも係わらず零戦に
金製エンジンを最後まで装着しようとの強い意志を示さなかった堀越氏が、後継機の烈風となるや自社のいつ完成するかも知れない大馬力エンジンに見切りをつけず、結果的に他社製エンジンと大型機体との失敗が約束されたマッチングで応えようとした堀越二郎氏のセンスというか選択肢の結果のその「解」に私は疑問も深く持ちます。 

大いに期待されつつ全く戦争に間に合わなかった烈風、果たしてエンジンの
問題だけで済まされるものだろうか?
全長は零戦より2メートル長く幅は3メートルも長い、無駄に大きい機体と
なってしまった烈風。 既に航続距離とか格闘戦性能など意味が無くなっていた。

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ともかく、昭和28年から堀越氏がタラレバ烈風神話で主張した
「もし三菱製エンジンに海軍が速く決めてくれてたら?
マリアナ沖海戦や本土防空戦に間に合い米軍機をバタバタ落した?」

という烈風神話は戦後も長く一般にも長い間信じられ1990年代は
シュミレーションIF戦争話の主役としても数多く登場しますが、実態は
三菱製MK9エンジンは史実の中島NK9エンジンより1年以上も遅れており
実際には量産に移行しても中島NK9エンジンなみに粗製乱造になった
蓋然性も高く、海軍の判断に関係なく烈風は戦争に間に合わない兵器でした。

では三菱と堀越氏はどうすべきだったか?
何とか戦争後半に間に合った中島NK9エンジンに見合う
小型で高速・高過重に耐えうる機体を作るべきでしたが、
超大型・大重量の機体で凡作というより失敗作となりました。
堀越氏は自分の肥満児のような機体設計を棚に上げ
中島NK9エンジンでは時速570kmしか出せなかった言い張りますが
その同じNK9エンジンで陸軍の中島社の四式戦疾風は624kmを出し、
海軍の川西社の紫電改は量産機では594kmですが試作機は640kmを
出したりと、烈風よりも速度面で素晴らしい成績をみせています。
(NK9のNは中島製、MK9のMは三菱製の略号)

また1985年に出版された「中島飛行機エンジン史」では
「烈風は、あの艦攻のような大きな機体に小さな誉(NK9)
が搭載されたが試作機自体が(大きさが)異常であった」

して堀越氏のエンジン選定ミス説より機体の大型化重量増加による
性能低下説でさりげなく反論をしています。

海軍航空の最大の失敗点は零戦の改良による大幅な飛躍は
無かった事と烈風の流産による零戦の後継機が事実上現れなかった
事に行き着くと思います。

その意味では零戦と後継機烈風の設計主務者としての堀越氏が
戦後に書いた、
「零戦-日本海軍航空小史」の中で述べている海軍側の
エンジン選定ミス説に誘導しようとした堀越氏の説には納得行きませんし
氏が設計者として係わった(特に烈風の)機体設計に真摯な反省が全く
観られない点は私には残念でたまりません。


戦記モノを読むと軍人や中でも参謀が自己の無能ぶりを
他に責任転換した著作を多く見かけるのですが、実は軍人以上に
負けず劣らずぶりで戦争に係わった技術者も自己の選択ミスや
判断ミスを何か他の原因によるモノへと責任転換した著作が目だちます。


ジブリ映画の中で「飛行機設計家の寿命は10年だ・・・」との重い言葉が
出てきますが堀越氏も飛行機設計から10年を経て九六式艦戦、零戦初期で
10年の絶頂期を超え後は雷電、烈風と設計家としての晩節を汚したようにも
思えてきます。

また話題の映画の宮崎駿監督自身も「千と千尋の神隠し」を境に
何を訴えたいのかが全くわからなくなり映画作品が続きその才能の
枯渇ぶりを見る人に印象づけています。

この烈風の開発失敗については「風たちぬ」というより
烈風吹かず」の方が相応しいような気がしております。





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