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沖縄戦については、沖縄本島に配備されていた日本軍最強と称された 第9師団を、台湾に移動し、その穴埋めの第84師団の沖縄派遣中止で 在沖縄の日本軍兵力が減少し、攻勢計画から持久計画に転じ 以後の作戦計画に齟齬が生じたと言われています。 当事、沖縄本島には大きな部隊として 第9師団 (編成地 金沢 3個歩兵連隊、1個山砲連隊) 第24師団(編成地 久留米 3個歩兵連隊 1個野砲連隊) 第62師団(編成地 中国・山西省太原 2個旅団・旅団は4個歩兵大隊) 独立混成第四十四旅団(編成地 熊本 6個歩兵大隊基幹) (その他に海軍の沖縄根拠地隊約1万名) 他に宮古島・石垣島にに26師団を配備、 昭和19年12月の台北会議で沖縄の32軍より上部組織の第10軍(台湾軍)の 強い希望を大本営も聞き入れ「沖縄の最強師団を台湾に抽出せよ」と決まりますが 沖縄の32軍では第24師団か第9師団を抽出するかで会議しますが 八原高級参謀の意見で、最強とされる第9師団は師団の砲兵力は 山砲中心で短射程の砲が多く、野砲や15センチ榴弾砲等を保有する 24師団を沖縄から台湾に抽出した方が上策との判断で、事実昭和19年の 年末に第9師団が台湾に移動いたします。 台湾に移動した第9師団は第18師団とともに最精強師団と称されましたが 台湾には米軍は上陸せず、太平洋戦でも緒戦から終戦まで一切の戦闘参加 はありませんでした。 もちろん第9師団の将兵にとっては幸運な移動(配置)となりました。
この第24師団を残し第9師団を台湾に抽出した沖縄軍(第32軍)の選択は 当事の大本営からも戦後の旧軍人や軍事評論家からも概ね妥当と判断されて おりますが、果たして本当に妥当な判断であったのでしょうか? 上記の第9師団と弟24師団の違いは、第9師団の精強さを度外視して 歩兵戦力は各3個連隊と横並びで違いは第9師団が山砲装備、第24師団が 野砲装備だった点が大きな違いとなるわけです。 沖縄戦で其々の師団がと山砲と野砲を何門ずつ保有していたのか正確な数は 今の私にはわかりませんが、正規編成通りなら第9師団が24門〜48門の 山砲を保有、第24師団が16門の7.5センチ野砲と8門の10センチ榴弾砲、 12門の15センチ野砲を保有していたと考えられます。 沖縄戦では別に軍直轄の砲兵部隊もあり各種の大砲を備えていました。 もちろん私は後知恵で卑怯な立場からではありますが、第9師団と多数の 山砲こそ沖縄本島に残したほうが沖縄戦で有効に戦い米軍に史実より 多くの損害を与えたのではなかろうかと思います。 では沖縄の戦場では野砲と山砲どちらが果たして有効な兵器で あったのでしょうか? あっ、この記事読んでくれる方3人くらしかいませんね。(汗
(続きます) この情報が役立ったと思う方は? いないと思いますが。。。
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