涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

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以前古い記事を書いていたのですが自選で再投稿します。

15話・無人になった新潟市(原爆疎開)



現在の新潟市の人口は82万人と近隣の市町村合併により増加傾向にあり
本州の日本海側では唯一の政令都市であります。。
しかしこの大都市が68年前の敗戦直前にほとんど全市が無人になる
出来事がおこりました。

昭和20年の8月、広島次いで長崎に原爆が投下されましたが
米軍の日本への原爆候補地は広島、京都 小倉、新潟の4都市だったと伝えられます。
京都市は米軍が文化財を考慮して爆撃しなかった「都市伝説」が根強いが実態は
原爆投下予定の上記4都市の次に組み込まれており通常爆撃を禁止されていただけのようです。
スチムソン長官の進言で京都の原爆投下は撤回されたとの説もあるが私はもし「撤回」
されたなら昭和20年春から夏に一度は通常爆撃による大空襲を受けたと想像します。

実際米軍は日本より文明国と看做していたドイツの古都ドレスデン市破壊爆撃を
逡巡せず通常爆弾でに行っている。

実際に昭和20年8月の広島(8月6日)、長崎(8月9日)への原爆投下で
全国の情報通の都市市民はパニック状態に陥っていました。
特に新潟県県庁や新潟市では新型爆弾(原爆)の新潟への投下の可能性を
深刻に受け止めてました。
一部の市民も「次は新潟が新型爆弾にやられる」と考えたそうです。
日本海側の新潟市はサイパン島から遠くB29の空襲圏外でしたが
硫黄島の陥落で昭和20年4月以降は爆撃圏内に入ってました。
サイパンやグアム・テニアン島の島々からB29が飛び立ち
新潟や秋田を爆撃し帰路に硫黄島に着陸すれば往復爆撃が成立します。

当事大都市は殆どがB29の空襲を受け人口30万人以上の都市で米軍空襲を
受けてない大都市は新潟市を含めて非常に少なくなっていました。
事実、米軍により隣の長岡市に7月20日原爆模擬弾らしき物体
(実際に原爆模擬弾 注1)が投下されていました。
(日本側では模擬弾を原爆投下準備と見抜けなかったが8月6日以後疑念が高まった)

当然新潟県の島田知事、新潟市長も「次ぎは新潟かも知れない」と考えて以下の
ように動きました。
広島・長崎原爆被災後の8月10日に県職員を内務省、及び広島市に出張させた。
広島市には軍命令で立ち入りできなかったが内務省からは「新潟市も原爆候補地の可能性が非常に高い」ことを聞き出した職員は知事に電話しこの時点で県の不安は的中した。

8月10日県の緊急幹部会が召集され、その中で

①新潟市が原爆候補地に予定されている事。
②内務省は新潟市民の疎開に反対している事(島田知事は内務省官僚でもある)
が報告された。


会議の結論は
①「新潟市民を救うために政府(内務省=国)の反対を押し切り疎開を決定」し
②「緊急かつ徹底的な疎開指示、(新潟市から12キロ以上離れる指示)」を出した。


翌8月11日新潟市の町内会長を集めて指示を出して疎開が県知事の決断で
決行(実行)されました。
急な決断、対処であった為、職業柄、疎開禁止とされていた公務員でも我先に疎開する者が増え、市民の多くも広島市、長崎市が全滅したとの風評が伝えら為、大きな混乱を招く事になったのです。


以下布告文
「(広島市は)極メテ僅少ノ爆弾ヲ以テ最大ノ被害ヲ受ケタ」
「酸鼻ノ極トモ謂(い)フベキ状態」「新潟市ニ対スル爆撃ニ、
近ク使用セラレル公算極メテ大キイ」

この大疎開の混乱は8月15日の敗戦日まで続き、そして8月14日時点で新潟市は一部の県市関係者を除き完全な無人都市状態となりました。

ぼつぼつと市民が市街地に戻りだしたのは8月18日頃からだそうです。
今では新潟市民の多くは新潟市が原爆候補地だった事は知っていても
原爆疎開で新潟市が一度とはいえ終戦直前に完全無人になった事は知らない人が
殆だそうです。。
私は最近いいかげんな政治家や官僚が多い中、県民市民を思い、国に逆らい
苦渋の決断を実行に移した島田知事と職員の勇気を示した姿を風化させずに
県や市が今後も語り継いでほしいものと思います。。

多くの市民が知らないままになっている点については当時の混乱した一部の県、
市職員の逃亡や離散が問題化するのを恐れているのでありましょうか?。
それとも新潟市への原爆投下は結果的になかったので島田知事の疎開への
判断が早計過ぎたと考えての事でしょうか?。

しかし米軍の作戦計画では8月17−18日に「小倉」もしくは「新潟」が原爆投下
予定都市となっていました。
私は島田知事の判断は当時の数少ない情報の中から「市民」を救うために
為した「究極の判断=徹底的人員疎開」で混乱はあったが理に適う判断で
あったと思います。

実際に当事の米軍は3発目の原爆も準備しておりはやければ
8月18日から20日にかけて小倉、新潟、京都の都市にも落されていた
可能性が高いのです。
実際、広島についで二発目は小倉市(現北九州市)に決定してましたが
小倉上空が雲が多く、雲が多いと原爆の威力が低下するので晴れていた
長崎市に2発目の原爆を投下しています。

当事の新潟市は人口20万人前後であったようですが、一度は無人となる新潟市の
中にも警察、公務員、電力会社や軍需工場等で一部の方は目に見えぬ想像もできない原爆の恐怖に怯えつつも持ち場を離れられず、市内に残って働いていた事も忘れてはいけないと思います。

(注1)原爆模擬弾
人類初の原爆投下を成功させるために米軍が原爆と同じサイズ、重量の
模擬爆弾を製造し実際に日本本土の15都道府県に49発投下させて弾道
研究や爆発後の放射線から退避する訓練を行った。
模擬爆弾とはいえ中には通常炸薬も充填されており日本人約420名が死亡、
約1200が負傷した。米軍ではパンプキン爆弾と呼称された。 
つまり米軍は各原爆投下予定候補地に事前に侵入、投下、退避の訓練を
行っていた事になる。

この記事は文春文庫秦郁彦氏の著作「8月15日の空〜日本空軍の最後(74P)」に
ほんの少し記載されていましたので気になり調べてみました。  


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