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今回はNHKでも話題となる有名な方のファミリーヒストリー
のようなルーツ話です。
少し長くなりますが読まれて損はございませんよ。
お時間のある
(N●Kナレーション風)
或る一族の1000年に及ぶ歴史をふりかえります。
皆さんは平安時代の後期の東北での戦い「前九年の役」
をご存知でしょうか?
よく教科書やNHK大河にも出てきますが源氏が有名になった戦
いとか名称は知っていても中身はよく判らないと思いますが
アレコレ書きますと読む時間が増えますのでサラッと
先にすすみましょう。。
(本題に突入します)
前九年の役とは簡単に書きますと千年前の11世紀の東北で安部氏と
自称する安部一族と奥州藤原氏(当時は清原氏)と二分していました。
安部氏、奥州藤原氏ともに先住民族である夷(えびす)の親分でした。
事実上は安部氏の東北王国であったとも謂われ
安部一族は夷(えびす)≒アイヌ民族という学説もありますが
今更調べても判らないですから飛ばします。
そのようななか、河内源氏の名を高めたい武家の棟梁である源頼義
(よりよし)が奥州の陸奥守に就任しますと13年にも及ぶ
東北大戦争となる前九年の役がおこり東北を直接支配したい朝廷側で
官軍の源氏と蝦夷の代表親分であった安部氏が激突し、
安部一族は官軍相手に長期にわたり大善戦しますが
同じ蝦夷のNO2棟梁であった奥州藤原一族が朝廷方に
参戦し勝負がついて、安部一族は戦に斃れたり降伏します。
降伏以前の戦いで安部一族を束ねた安部頼時、息子の安部貞任は戦死、
貞任の弟である安部宗任(むねとう)は降伏し一番遠方の九州へ
島流しとなります。
安部宗任は筑前の宗像大社大宮司の宗像氏に預けられ終焉の地である
宗像市の大島に墓も存在します。
それから宗任の三男、季任(すえとう)は九州一のの海賊、
松浦(まつら)氏に婿入りします。
松浦党の中でも力を得た安部季任の家系は子孫である松浦高俊
(たかとし=安部から松浦に改名)のときに源平合戦を迎えます。
松浦高俊は従来の朝廷服従の路線から朝敵なった平氏を
助けるべく平家方につき瀬戸内海から北部九州を転戦し平家側からも
認められて要職につきます。
そして皆さんご存知の運命の壇ノ浦の戦いに行き着きます。
源義経一門のの八艘飛びとか潮の流れが変わったとか色々な源氏方の
勝因が伝えられますが最大の勝因は壇ノ浦での松浦党の寝返りです。
↑ここ大事ですよ。
松浦党は48党ともいわれ(後の自民党のように)緩い結合で
やって来てましたので婿養子流れの松浦高俊の元で勝ち戦で
あれば従うものの負け戦となると磁力が失せてしまいます。
それでも寝返った松浦党主力とは別に松浦高俊は平家側として
最後まで戦うのですが。。
ご存知の通り安徳天皇も平家も滅亡します。
松浦(まつら)党については戦国時代の村上水軍や九鬼水軍の
ようには有名じゃありませんが中世の水軍の覇者であり寝返った
源平合戦から元寇の国難を救い、前期倭寇の中心となった勢力で
ありましたが、主勢力の波多氏は滅びますが傍系の平戸の松浦氏は
戦国大名から6万石の藩として江戸時代も生き残ります。
壇ノ浦での平氏滅亡の結果、松浦高俊は松浦党の本拠である肥前にも
迷惑がかかり戻れず、周防国日置郷の湯谷(山口県長門市)に逃げ込んだ
とも源氏に降伏後に湯谷に流されたともききますが一族への迫害を
恐れてか名前を松浦から安部性に戻します。
↑
ここも非常に大事です。
その後は安部氏一族は山口県(長州)湯谷で約800年もの長い間
暮らし存続し現在に至ったようです。
江戸末期には阿部家中興の祖となる安部慎太郎が登場し庄屋として
酒・醤油を醸造し現在に至る安部家の地元での地位を名家として
確立させます。
また一族の中からも多数の幕末の志士が現れてはかって東北で
朝敵となっと一族の末裔が長州からの官軍として(←ここも大事)
朝敵となる東北諸藩に攻め込んだのです。
安部一族系の維新の末裔たちは800年間の時空の流れというか
歴史の皮肉に晒されつつも東北を転戦しつつ何を思ったのでしょうか?
ここまで私の筆力がなく面白くない話でしたが
ここから衝撃の話のオチに突き進みます。
ここまで読まれて誰かお分かりの人もいそうですね。(笑
この婿養子ストーリーもついに激動の昭和・平成にワープします。
安部家の末裔である安部普太郎氏は無事に成人し昭和の妖怪とも
呼ばれる首相経験者ともなる岸信介の長女と入り婿結婚し政界入りし
岸信介にとことん使えますが中央政界をめざし岸の後ろ盾もあり
1958年衆院選で当選し派閥を成長させて首相をめざしますが
その夢は果たせずに1991年に癌で67歳の生涯を終えますが
「俺は安倍宗任の41代目の末裔だよ。」
周りにとよく語っていたそうです。
また
「俺は日本人じゃない!」
とも周りの人に発言した証拠が多数の書籍で確認できます。
![]() 安部普太朗氏の次男である安倍晋三氏こそ誰もがご存知の通り
本稿の主役で現在のわが日本国首相で自民党総裁である
安部一族宗任から数えて42代目の安倍晋三様様サマ〜であられます。
何度も朝敵となり逆賊の汚名を冠せられもした安部一族の想いは
現在の晋三氏に二度目の首相就任により積年の願いを成就させました。
安部一族千年の恩讐を超越した安部首相の政界運営には疑問や
留保(特に消費税や外国へのばら撒き)もつけたい私でありますが
安部首相は果たして日本の為に役にたつように自分(一族)を
取り戻そうと考えて動いてるのでしょうか?
それとも千年間の復讐を今の日本に対し行いたいのか?
日本への貢献か?千年分の復讐か?
歴史的に申せば現在の安倍首相は錦の御旗の官軍なのか?
官軍のふりをした売国奴なのか?
どちらに考えても安部首相の評価が定まらない私がいます。
後世では安部晋三首相はどう評価されるのでしょうか?
どちらにしろアベノミクスやTPPの落とし前以上に
米国のT大統領へのアメポチ姿勢から脱却するのか?(今はそうみえない)
それともトランプ大統領の無理難題についにご先祖様の逆キレ踏襲で
喧嘩に及ぶのか?
またも体調不良で退場となるか?
どちらに振れても歴史に名を遺す方である事は間違いございません。。
ここまで読まれた皆さん?
お疲れさまでした。
日本の歴史って面白いとおもいませんか?(笑
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