涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

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歴史学習妄想的メモ 【39話】

 実現不可能な爆撃機「富嶽」を提案した中島知久平氏の真意(後編)です。


ここで中島知久平氏のおさらいですが、元々が海軍機関大尉で
大正時代より航空分野の将来性に期待した軍艦より航空軍備優先派の
人物で国内では民間航空会社が皆無なため、自身が海軍を辞めてしまい
民間航空会社を立ち上げて後に戦争でも活躍する隼、疾風、また海軍の零戦や
他に様々な多くの軍用機を生産いたしました。


敗戦とはなりましたが機体・発動機ともに三菱航空機を上回る
航空機の製造を行いましたが、もし中島知久平氏が中島飛行機
を大正時代に立ち上げなければ太平洋戦争はもっと悲惨な負け方を
をしていたように思えます。

つまり中島知久平氏は実業家で大物政治家ながら飛行機についても
詳しい人物でありながら実現不可能な詐欺っぽい富嶽開発計画を
本人はどこまで本気で持ちかけたのでありましょうか?

ワタシは当初は中島氏が戦争を利用してライバルの三菱航空機を
凌駕するため資材や新技術を優先的に手中にするため、つまり
戦争を利用して会社を大きくしていく事をねらっていたとする説が
正しいように思ってきました。


当時は三菱と中島飛行機と川崎が三大航空機メーカーですが元々の規模は
三菱や川崎が圧倒的に大きかったのですが、戦時中は中島飛行機の方が沢山の
数の軍用機や発動機を製造し三菱や川崎よりも多数の機体や発動機を造り遂げます。。

理由は経営者の理念や戦争への貢献意識の違いが大きいと思いますが
三菱航空機は日本が戦争に負ける事を当初から見通しており、戦争中の航空機
の増産や設備投資に消極的でもあり、逆に中島は積極的でした。

実は中島知久平氏本人も開戦前から米国の国力を熟知しており戦争の立場に反対で
戦争もいずれは負ける事は最初から覚悟していました。

そんな訳で海軍も陸軍も戦時中の後半から三菱よりも何かと中島に
頼るようになり昭和19年ともなると中島が三菱を生産数で上回りました。

堀越二郎氏の設計で有名な三菱が誇る零戦にしても発動機「栄」はほぼ
中島で製造し、零戦の機体製造も三菱が増産に応じないので中島にも
製造依頼がありました。

零戦は日本では空前絶後の唯一1万機を超えて製造された軍用機としても有名ですが
内実は三菱製4000機弱中島製零戦が6500機前後ですから三菱の代名詞
ともいうねき零戦も1.5倍以上も製造し更に中島は自社設計の隼5000機、鐘馗1000機、
疾風3000機と陸海軍の単発戦闘機の6割ほどを1社で手掛けております。

同じ性能の飛行機なら三菱に発注するより中島の方が安いので
陸海軍が中島に多くを発注したとの説もあります。

戦争の後半の事実上中島が三菱を追い抜いた頃に中島飛行機の幹部が
中島知久平氏に
「この戦争でこんなに飛行機を造って中島(会社)はどうなるのでしょう!」
とオフレコの質問をしたそうです。

それに中島知久平はこう即答したそうです。
「戦争に勝っても負けても中島飛行機は滅ぶ!」

そうです、戦争に負けると米国の意向で飛行機は造れませんし
仮に日本が戦争に勝ったとしても過大な設備投資を軍から回収
できませんし、戦争が終わるとラインで製造中の飛行機も発注
キャンセルとなりのは必定です。

実際に戦前は2万人規模の中島飛行機従業員も終戦時には
各工場を合計すると25万人にも達して昭和19年の後半からは
中島や工場の土地から工作機械まで国に貸し出し、国からの賃貸支払いを
従業員の給料に充ててました。
そうでもしないと戦時中でも中島飛行機は潰れてたと思います。
※ どうも中島飛行機は他の財閥系航空機メーカーとは違い資本蓄積が少ないようです。

終戦でもちろん中島飛行機は潰れました。
非軍需産業での再建も目指しましたが日本で断トツに戦闘機を造り結果
米国の軍用機を墜とした日本メーカーでは中島製が断トツですから15社以上
の企業に解体(財閥解体)されてその中の1社が後に富士重工(現在のスバル)
となるわけですが。。

会社が潰れた時に中島知久平氏は授業員達に退職金代わりに
金額の記載のない手形を渡しこういいました。
「各自が好きな金額を書き銀行に手形を渡しなさい」

第一次世界大戦でのドイツ敗戦では瞬く間に数千倍とかの
スーパーインフレとなった事から日本の敗戦でも超インフレ
を察知しあえて高額な金額を書かせたのでしょうか。。

結果的に中島知久平氏は日米戦争には航空戦では絶対勝てない
と知りつつも大企業三菱以上に航空機を安くたくさん作り過ぎ
戦争に勝っても負けても中島飛行機は戦争が終わると存続できなくなる
事を誰以上にも知りながら、国家総力戦の先頭となり敗戦となるや従業員の
解雇に対しても超インフレを見越し高額な手形を発行し、占領軍であるGHQにも
睨まれ、飛行機の制作も敵わず中島飛行機は解体され中島知久平氏もA級戦犯
指定され 公職追放もあり無一文となりました。
(中島知久平氏 1884年生〜1949年没)

でも飛行機を造る事で国家に貢献する中島知久平氏の夢は
最低限はかなったようにも思います。

では最初の疑問の何故、実用の軍用機の製造や工場拡大だけでも
火の車であった事業にプラスして壮大過ぎる富嶽の開発計画を
陸海軍共同事業としてまでプレゼンし実施に向けて動いたのでしょう?

以前のワタシは中島知久平氏は武器商人として戦争で富嶽開発で
大きく成長させたいのでは?考えていましたが考えを訂正しないと
いけないようです。

中島知久平氏の絶対に戦争に勝てないし戦争にも絶対に間に合わない
富嶽計画を国に認めさせようと動いたのでしょうか?

今のワタシなりの解釈と理解ですが中島知久平氏本人は私利私欲は
ないものの25万人を超えた技術者や作業員を本土決戦等の赤紙召集から
救うためまた一度は敗戦するも戦後はいち早く富嶽開発で得ようとしていた
高度な技術習得による戦後の日本航空界の再建のため人材を確保
しようと夢に描いていたのではないでしょうか?

※ 事実、昭和18年ごろ中島飛行機で誉エンジンを設計主任を務めた中川良一氏が陸軍に
  赤紙一枚で一兵卒とされた熟練工まで陸軍に徴収されてます。

イメージ 1


















余談となりますが最近日本では一番の利益(内部留保)を稼ぐT自動車会社の社長が
「終身雇用を守って逝くのがは難しい局面に入ってきた」
と発言し物議を醸しましたが、あれだけの輸出額相当の消費税を免除されて
おきながら何という甘えた従業員蔑視の発言がありましたが、日本一稼ぐ会社
の社長が発言して従業員のモチベーションは維持できるのでしょうか?

そう考えると75年前の中島知久平氏は堂々の漢(おとこ)ぶりで
国家にも従業員にも情に厚い人ではありませんか?
ワタシは氏の事をもっと知りたくなりました。

今回は長い投稿文となりましたが最後まで読んでいただき
ありがとうございます。


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歴史学習妄想的メモ【38話】

実現不可能な爆撃機「富嶽」と中島知久平氏の真意(前編) となります。


戦争に詳しい方なら戦時中の中島飛行機(後の富士重工)の経営者かつ
政友会の総裁まで務めたり鉄道大臣なども歴任された政治家でもあった
中島知久平が戦時中に起死回生の爆撃機「富嶽」を開発しようとしていた事はご存知でしょう。

富嶽は実際に登場し日本へ戦略爆撃をおこなった米国のB29に対抗どころか
遥かにB29を超えたスペックで戦争を日本の勝利でケリをつけようと真剣に
計画され東条英機首相にも気に入られて前向きに陸海軍共同で開発や量産まで
国家的をあげて検討はされたようです。

 米軍のB29重爆 実際に4000機生産され主に日本に空襲を加えました。

イメージ 1


 
 B29でさえマリアナ諸島から日本本土への6000kmの往復爆撃がやっとでしたが
富嶽はB29の3倍もの爆弾を搭載し日本から無着陸で1万8000kmもの先の
米国本土を爆撃し大西洋に抜けてドイツの支配地域に着陸し、整備、燃料、
爆弾を補給し再度米国を爆撃し日本に戻るか、北極海(ソ連上空)を抜けて
日本に戻るという現在から考えてもかなり無理のある壮大過ぎる爆撃機でした。

 富嶽 1機も製造されませんでしたが 戦後プラモデルやIF戦記では人気モノ?

イメージ 2



















しかし中島知久平氏の壮大な富嶽プランは、昭和19年6月のマリアナ諸島の
失陥の責任を取らされた東条首相の退陣や日本が完全に対峙から本土を攻撃
されるため夢のような富嶽よりも戦闘機や防空兵器の増産や改良が優先される
事となり、1944年には富嶽用の組立工場建屋まで完成していたのですが中止となりました。

以下 富嶽と憎きB29  比較です。

      富嶽の計画性能     B29の性能
  
全長   46.0 m              30.0 m
全幅   63.0 m                           43 m
主翼面積 330.00 m2                  160 m2  
全備重量 122 t            63トン 
発動機  5000馬力x6基      2.200馬力x4基 
爆弾   20トン                            9トン
最大速度 780km                       570km
航続距離 1万9000km         9000km



これにより日本からの米本土攻撃計画は挫折しますが、もう一つのプラン
風船爆弾は大成功とはいえないまでも気流を利用し米国に一定数の風船爆弾が到達しています。

富嶽の大風呂敷過ぎる開発への漕ぎ付けと最終的な中止至る流れは
戦史マニアなら知ってる話しでワタシの大嫌いな1990年代に一世風靡
したIF戦記モノに「富嶽」が実用兵器として多数登場して来ます。


イメージ 3

 仮想戦記小説ですから
 全く史実でありません。(笑





























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イメージ 4

  こちらもあったらいいなの仮想小説。























しかし重要な点は中止となる判断は東条首相の退陣の結果という
「政治判断」だけでなく、本当に無理や創意努力で富嶽は完成実用化が
できたかのか?と問われれば絶対に計画通りの要求に応える事は無理でした。

※ 諸与条件を考えず脳内空想が実現できるのはIF戦記の中だけです。
  IF戦記の作家が脳内空想すればバチカン市国でさえ米国に勝ちますから。

つまり幾ら開発資材や燃料や飛行場を用意できたとしても
誉などの2000馬力の発動機の量産に苦労した日本の技術陣が
米国でも当時実用化されてもない5000馬力以上以上の発動機
を開発するなんてはなから無理な話でした。
中島飛行機の社内の技術者は中島氏から富嶽構想を聞いたとき
全員が反対というより実現は無理との返答であったようです。

ここにワタシの大きな疑問が生じます。

何故?中島知久平氏は最初から社内でさえ実現不可との見通された
詐欺的な要素も感じられる誇大プロジェクト富嶽計画を持ち込み
売り込もうとしたのでしょうか?


(後編に続きます)


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