涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

L書籍・映画 (借物有り)

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そもそも邦画って洋画に比べると名作は少ないと思いますが。
なかでも戦争映画とホラーの邦画は世界標準より遥に劣化した
作品が多いような気がしております。

最近もTVで「貞子3D」を観ましたがダメダメで超がっかりでした。

そんな訳で、賛否両論の激しい前から気になってた
「ノロイ」を観てみました。


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あらすじ yahoo映画より抜粋

ジャパニーズ・ホラー”の第一人者である一瀬隆重プロデューサーが、新たな恐怖の扉を開けた衝撃作。実在の人物である小林雅文氏は、怪奇現象を題材にしたドキュメンタリー「ノロイ」を完成させた。しかし製作に関わった人々に次々と奇妙な現象が起こり、小林氏本人も行方不明になってしまったことからお蔵入りとなっていた。映画化にあたっては団体名や個人名を一切伏せ、再度収録された映像を使用しているが、某人気お笑いコンビが登場するなど、生々しい恐怖を体感できる。

感想文
日本版の「ブレアウィッチ・プロジェクト」的な作品と言えばそれまでなんですが。。。
一言で言ってしまうと、ドキュメンタリーに見せかけたフィクションです。
擬似というかフェイク(嘘)・ドキュメントです。
AV映画のようにモヤモヤなモザイクはありませんが、
ホントに本番やってるのかどうか気になるような、つまりドキュメントなのか
創作映画なのかで曳きこまれます。

ワタシが観た最近のホラー邦画で楽しめたのはリングシリーズ「黒い家」 
くらいで、韓国のホラーにも劣るような邦画が多い中、本作は大健闘してます。
最初は知らない脇役級の無名?の俳優さんが一般人を装ってドキュメント風に
進行し、モタモタ感があり怖くもありませんが、後半のダム湖に行く辺りから
ストーリー展開が急加速していき、破滅に向かい、最後のホラーらしいオチ
も印象深いです。ただし、お決まり低予算ホラーなのでクライマックスシーン
でのバケモノ屋敷内のセットが貧弱でCGもなく、絵でごまかしてるのが
少し哀れです。

邦画としては日本的標準を越えた創りで、「毎回コレも面白くないだろう?」
とDVDを借りてみて、鑑賞後に「やはり面白くねえ」と再確認されるホラー
ファンは観てみて損はないでしょう。
本作のデキが良作と思われるのは、その他の邦画ホラー作品が以下にデキと
いうか質が悪過ぎるという点を再確認してしまう事にもなるわけですが。。


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3連休で昔の私の愚劣な行為を思い出させる
レンタルDVD映画をみてしましました。
「ジョゼと虎と魚たち」という邦画で人間の弱い部分
汚い部分をさり気なく切取り描く事に成功しています。
かって一度もプレイボーイにはなれなかったワタシでさえ
昔の贖罪を思い出すくらいですから、ホントのプレイボーイ
さんが観たらいたたまれなくなる映画でしょう。(苦笑
















あらすじ
大学生の主人公(妻夫木)が足の不自由な女の子(池脇)と出会って
徐々に仲良くなって、深く付きあうようになって、いろいろあって
最後に別れれてしまう?映画です。

感想
ワタシは妻夫木聡という俳優が以前から、知名度やキャラ先行
の感が強く映画「悪人」を見るまでなるべく敬遠していたのですが
「悪人」以降気になりだして本作を見たわけですが。。。

これは落ち込んでる人がみると辛い映画です。
また、奥さんや恋人とも一緒には見ないほうがいいような気がします。
妻夫木がナンチャッテな善人を演じますが、所詮ナンチャッテな浅墓な
善行ですので、今後の事を考えると悲観しズルくもなり、リアルでも
主人公のエゴも感じとります。
ハッピーターンなキレイ事で終わってないので映画としては成功
なんでしょうが、、、何だか昔の記憶の刺が心に刺さりますね。


この映画を見て思い出した昔の私の記憶とは?
(以下 本当のネタバレ)


昔から学力もなく目だたない小6生徒の私は、
あるとき少しだけ目立とうと決心したんです。

たまたま少し障害のある休みがちな女子生徒が同クラスに
転向してきて私の隣の机に座ったんです。(ワタシより年上だった)
その女子生徒は周りの女子らからもあまり相手にされないで
無視状態に陥り、学校も休みがちでしたが、私は親切に接しました。

休み時間の鉛筆削ってあげたり、休むと、家まで給食パンや連絡書
を持って行ったり、休みが続くと、そのこの家に迎えに行ったり。。

こうかくと私がその少し障害のある女子にホノカな好意を持っていたと
思われるかもしれませんが、全然違うんですね。
実は私は担任の女性教師に好意を懐いていて、先生に好かれようと
「良い奴でいようと」振る舞おうとした愚か者に過ぎませんでした。

結局その女子生徒は、学校には来ないままま卒業して私が進んだ
中学でも逢わなかったのでその後の事はわかりませんが
あれからどうしたのかな〜?
あの娘は当時の私の事をどう思っていたのだろう?
等など、私の心の古傷を広げてしまった映画で、一応
邦画の中では傑作のひとつでしょうね。
(鑑賞者の気分にもよるのでしょうが。。)



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日本機甲界の名著を図書館で借りて読みました。


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資料や写真が素晴らしく資料製の高い名著です。
でも私には高くて買えません。
初版は1961年で上下巻ですが、私が借りた本は1978年版で
一冊に纏められていて定価2800円、現在の中古本価格は
全て1万円以上で3万とか8万円とかの値がついてます。

執筆人は日本戦車界の神様的存在の重鎮、原乙未生元中将
栄森伝治、竹内昭の3氏。


資料的価値が高く、貴重な本である事は間違いありませんが
原乙未生元中将が執筆した
「第一部 日本戦車の発達史」は
原乙未生マンセー戦車一代記」
の内容に終始しており残念です。
とにかく弱武装やバネ棒に関しては言い訳もせず、エンジンに
関してはとかく問題のあった空冷ディーゼルエンジンの長所ばかりを
褒め称え「統制型ディーゼルエンジン」も自ら企画したとか、
終戦後、米軍側からみた日本戦車は「技術的特徴が見当たらない」
とまでダメだしで酷評されてますが、本著のご本人の弁によれば
「・・・空冷ディーゼルエンジンは世界にも例のない画期的なものであった。
アメリカはM60から採用したが、わが国では40年以上も前にこれに先鞭
をつけ実用化していたことは誇るべき業績である。」

ってな具合ですから戦後何十年も経過しても本日も反省の色なし状態です。
たしかに戦後の米軍のM60戦車は空冷ディーゼルエンジンですが
冷却能力が悪いので熱帯のベトナム戦争には派遣されませんし
今現在、空冷ディーゼルを使用してる戦車なんて自衛隊の74式戦車
くらいのもんでしょうね。
さすがに自衛隊も90式戦車で水冷ディーゼルエンジンに移行します。

昭和に入り航空部門の次に予算をつぎ込みき期待された日本の戦車。
太平洋戦争前から日本は野砲や重砲の開発予算を絞り戦車に廻しました。
しかし、航空・大砲より戦車は期待を裏切りました。
戦車の質が悪いため52もの機甲連隊を揃えたのに太平洋戦争では
緒戦を除き活躍の舞台はあれど戦場の主役とはなれませんでした。

先日感想文を書いた堀越二郎の「零戦」以上に自画自賛が多いです。
井の中の蛙である狭い世界での重鎮が書いてしまうと、用兵家以上の
自己賛辞な書籍になるので読む人は注意すべきなんでしょうね。


以下 読書メモ
日本戦車の欠点
① 海外のモノマネが多い。
② 空冷ディーゼル採用でエンジン車内容積が大きくなり  
ガソリンや水冷ディーゼルに比べ2分の一の低出力
③対戦車戦闘の遅れと低威力・短砲身の踏襲
④三式戦車から砲搭が大型化、駐退復座機が小型化できず




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紀伊国屋書店 内容説明
マーシャル諸島ウオッゼ島の日本守備隊三千百名は昭和十九年二月以降、脱出・補給路を米軍に断 たれ、南海に孤立した。六百日におよんだ篭城生活―悪化する食糧事情、士気の衰え、指揮系統の乱れ、増加する犯罪、死を賭したサバイバル。若き海軍大尉が 島内での生活のすべてを客観的、克明に記録した最前線の実情


太平洋戦争で最前線のマーシャル群島のウオッゼ島で米軍が上陸せずに
素通りした後も日本陸軍と海軍とが駐留し経験した壮絶で恐ろしくかつ
貴重とも思われる体験記録です。

著者は実際に島に駐留した部隊の副官ですが、その息子さんが父の様々な
記録から纏め上げています。
味方の日本軍にも敵の米軍にも見過ごされた島生活なので案外に気楽かと
思いきや米軍の爆撃や砲撃が時々ありますが最大の敵は飢餓と病で上陸時に
3000人以上いた陸海軍と軍属は600日間の籠城の末に飢餓や病、空襲、殺人、窃盗や人肉食やその罪による処刑等で終戦時に生き残ったのは1000人前後で
2000人以上の殆どが飢餓が原因で命をおとします。

普通の日本軍モノ戦記ファンが読めば落胆する内容ばかりです。
飢えや病気で士気が下がればここまで軍隊としても人間としても
誇りも消えうせ、組織の秩序も保てなくなるのか?と唖然としますし
暗くなる記事や事件が続発します。

盗みや上官や仲間を次々に殺す兵が現れ次々と軍法会議にかけられ
処刑されていきますが、飢餓に苦しむ中で誰かが食料を隠したり専横したり
上官が食料を部下に廻さないので、実際に上官殺し等が多発し読み進むのが
辛くなります。
でも盗んだり殺したりする兵が100%悪いわけでなく補給や支援を
行わなかった日本軍の上層部に最大の責任があるのですが。。

「日本軍が食人なんてするわけがない!」と言うおめでたい人も少なからず
いますがここまでにウオッゼ島が悲惨であったかと目を覆いたくなります。
喰うものに困って焼いたゴキブリを食べたら平気だったが生のゴキブリを
食べたら3日で死亡したというような命との等価交換な体験談が淡々と
描かれています。

私が少し気になったのは著者が朝鮮人軍属にも触れてる事です。
日本人同士でも殺し合いや、逃亡や人肉食が行われたのでさぞや問題
となったのか?と思いきや、朝鮮人軍属は平均的な日本人より一致団結して
仲間殺しも無く士気の低下は低く、海岸や畑での食料調達も共同して行い
日本軍兵士の平均値より生存率が高かったとか、終戦後も、日本人に
威張らず先に船で復員する日本軍にも反乱せず荷物を持って手伝ってくれたと
平均的日本人の部隊より誉めております?。

読めば読むほどに日本軍最強説や日本軍美談説が覆させられる困った
内容の戦記ですが、正直に書いてしまうと事実はこうなるのでしょうかねえ。。






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明日の6月23日は沖縄戦の終結から68年で
首相はじめ多くの要人が沖繩の式典に参加されるようです。

沖繩戦と言えばどうしても住民被害の悲惨さ、なかでも集団自決とかの
話題にいきつくのですが、沖縄戦の頃、ある沖繩の離島で上陸した米軍と
日本軍守備隊の間で戦闘が行われ、その後両軍の間で話し合いが
行われ停戦状態が終戦まで続いて日米両軍や島民、朝鮮人軍属
の被害が最小限に抑えられえていたという話を紹介したいと思います。

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その島は慶良間諸島のひとつ阿嘉(あか)島です。
慶良間諸島と言えば沖縄戦の4月1日の沖繩本島上陸の
一週間前から前哨戦として米軍が方爆撃の後に上陸してますが
ここにはマルレという特攻艇の水上基地しかなく、米軍が沖繩
本島に上陸する背後から特攻艇で体当りする計画でしたが
米軍が先慶良間諸島に攻撃上陸してきたため特攻艇は
活躍することもできず、米軍上陸後は目だった戦闘も少なく
各島々の日本軍は山間部に隠れ、住民は集団自殺を行なった
事で有名ですがこの集団自殺は戦後は日本軍による虐殺とか
日本軍による指示?であるとされてきました。
慶良間諸島は12の島からなるのだそうですが日本軍が駐屯
していたのは大きな渡嘉敷島、座間味島、阿嘉島、慶留間島の
4島ですが、阿嘉島だけがこの諸島では住民の集団自決が最後
まで発生しておりません。


では阿嘉島では他の島と何がどう違ったのでしょうか?
海上挺進第2戦隊の戦隊長 野田少佐が指揮官ですが
この野田少佐がひとつはキーポイントだったような気がします。

野田少佐は真面目過ぎる性分のようでこの小さな島にも
朝鮮人慰安婦が7人慰問(派遣?)に着ていたそうですが
野田少佐は隊員達に話も接触もするなと命令し、1944年年末
に朝鮮人の作業員(男性)が多数が基地造りの為に来島すると
慰安婦を全員沖繩本島に返したそうです。

1945年3月26日、米軍が上陸するや地上戦闘は苦手な
野田少佐の部隊は海岸の米軍に数回切り込み攻撃を行いますが
この戦いの期間に何度も島民代表や郷土防衛隊から何度も
「自決のタイミング」を聞かれたそうですが
「死ぬのは日本軍が全滅してからでも遅くない!」
「最後に命令するまで自決は控えよ!」と諭したそうです。
その後6月ともなると日本側の食料が底をつき、投降勧告を呼びかける
米軍に応じて、島民や朝鮮人作業員、また日本軍部隊からも少しずつ
山を下り海岸にでて米軍側の捕虜となる者が出るようになりました。
この時もは野田少佐は「投降を見つけると後ろから撃たなきゃならんから
目につかず逃げろ!」といい周りの将校や下士官から指揮官として
甘い人だと頼りなくも思われたそうです。

そんな6月、日本軍の軍曹が海岸を偵察していると突如米兵達に
生け捕られてしまいますが米軍側に「日本部隊に帰してやるから日本軍
指揮官(野田少佐)に降伏勧告の話し合いに応じるように。。。」といわれ
その軍曹は日本軍に占拠する野田山に無事戻り野田少佐に米軍の
メッセージを報告。
悩み抜いた野田少佐ですが6月26日に海岸に降り、米軍の指揮官
クラーク中佐、オズボーン中尉、米軍通訳、それと先に座間味島で
捕虜となっていたケガで重症の梅沢少佐らと話し合いました。
野田少佐は50名近い小銃を持った兵士を海岸に林に忍ばせ
将校数名を引き連れ海岸に毛布を敷き座って、クラーク中佐から
「人道的扱うから降伏せよ!」との話を私一人では決断できないので
将校と話して決めるので1日の猶予が欲しいと告げ、既に捕虜となってる
梅沢少佐も「これ以上の犠牲を少なくしたい」と説得しますが野田少佐は
この日は帰る事にしました。
実はこの時、米軍側から「食事を用意してますから一緒に食べましょう。
後で隠れれる多数の兵隊さんの分もありますからどうぞ。」と言われ
野田少佐自身は本来この島の駐屯者である日本軍が食事を招待
せねばならないのにカーッと激怒を超えて熱くなり食べずに帰ろうと
考えたのですが周りの将校も背後の50名の兵士も飢餓と栄養失調で
死にそうなくらい空腹な事が痛いほど判っているので林に潜む兵士を
海岸に呼び全員で米軍の用意した食事を黙って食べたそうです。

米軍との別れ時、オズボーン中尉が思いがけない行動を取り
上官のクラーク中佐も驚きます。
オズボーン中尉は日本軍と共に日本軍の陣地である野田山に
登りたいと申し出て丸腰、裸足になり野田中佐に直訴します。
この時、野田
義彦
少佐は
「ああ〜、負けた。 大和魂はアメリカ魂に負けた。」と観念し
精神的にも落ち込んだそうですが、オズボーン中尉を日本軍
陣地に案内し山上から島の説明をしナケナシのパインの缶詰
を開けて振舞ったそうですが、何も警戒せず不審にも思わず
パインを食べたオズポーン中尉に護衛兵をつけて海岸まで下ろしたそうです。
オズボーン中尉の行動は奇をてらってますが勇気がないと
とれない行動ですし両軍の犠牲を減らしたいから自身が犠牲になっても
構わないとさえ思っての行動であったのでしょうか?
この阿嘉島での経験がオズボーン中尉のその後を変えたのかどうか
は判りませんが、オズボーン中尉は戦後の1967年から駐日公使を
務めあげています。

戦争中に阿嘉島の海岸に日米両軍の兵士が対座して
複雑な表情で食事するシーンやこの会談を無駄に終わらせたくない
オズボーン中尉の行動、悩みに悩む野田少佐の困り果てた表情など
戦争映画に持ってこいのシナリオなんですが、くだらない映画が
ばかり多いですがこの映画誰か作ってくれませんかね〜。


その夜、日本軍の下士官兵には内緒で日本軍将校だけで
話し合いが行われましたが
野田少佐の心は一時は投降(捕虜)に揺れたけれども決心は変更せず
「降伏拒否」を決め込みます。
翌日、野田少佐は自身は海岸に降りず、代理の竹田少尉を立てて
海岸で待ち受ける米軍に
「日本軍は天皇の命令がないと降伏できない」
と米軍の降伏受け入れを拒否し、
「島民や朝鮮人軍属は彼らの自由意志で投降させる」
と物別れには終わるのですが、事実上これがこの島においては
停戦(休戦)状態となります。
クラーク中佐は野田少佐が降伏へ肚を決めてると確信してたので
とても残念がりますすがこれ以上は交渉の余地がないと判断し代役の
竹田少尉にある提案を行います。
「お互いが国境を超えた相互理解と平和を全ての
 信仰を超えた全能の神に祈ろうではないか」
竹田少尉も納得し護衛の兵も膝まづかせて、米軍が招いた
牧師の祈る言葉を竹田少尉は通訳を通じて聞き感動し
クラーク中佐に記念の日章旗を渡し、クラーク中佐は
黄色い旗を渡し「降伏するときはその旗を持ってくるように」
と申し添えたそうです。


野田少佐は直ちに、兵士軍属、島民幹部、朝鮮人幹部を
集めてこのような訓示をおこないました、
「捕虜になりたい者は山を降れ!
山を下っても後ろから狙撃しない! 
米軍は捕虜や民間人を殺しはしない!」
これで直ぐにではありませんが日本軍の周りから
島民や朝鮮人は消え日本軍からも少数ずつ抜けて
投降者がでるようになり昭和20年の8月22日を迎えます。
6月23日の沖縄戦組織戦の終了や8月15日の日本終戦を
確認した野田少佐は生き残った部隊と最後まで日本軍に従った
島の少数の住民や朝鮮人軍属を引き連れて降伏し
米軍の武装解除を受け入れました。
この時の野田少佐はまだ27歳だったそうです。

米軍の捕虜キャンプでは先に収容されていた朝鮮人軍属らが
先に体力も回復しており特に朝鮮人を虐めた日本軍の将校兵士を
問わずリンチを繰り返したそうで、総責任者である野田少佐も
酷いリンチを何度も受けたんだそうであります。
まあ阿嘉島でも集団自決は無かったとはいえ、野田少佐の
命令かどうかは判然としませんが戦いの最中にスパイ扱い
された島民夫婦が日本軍に殺害されたり、投降しようとした?
朝鮮人軍属が何名か射殺されたりとかの事件は起こったようです。

それでも沖繩の慶良間諸島の中で何故?阿嘉島だけが
集団自決が発生しなかつたのか?
ここまで書いてみて私もうまくは説明出来ません。
でも、野田少佐の真面目な性格ながらも度量の広さ、
米軍の寛容さ、島民の慎重さが幾重にも折り重なって
の「運」「不運」ではありませんが、この阿嘉島の場合は
「最悪の不運」は避けられたのかもしれません。
でもやはり指揮官の野田少佐が最大のキーマンで
当時ととしては常識破りな聡明さがあったと私は思います。
沖繩本島でも野田少佐のような人物が日本側の最高指揮官
であったならどうであったか?
と考えんてみても結論はでないのでしょうがつい考えこんで
しまいたくなりますね。
いくらあの時代は「軍国主義」という時代の空気(狂気)に誰しも
逆らえなかったといいつつも、その多くの制約や困難がつきまとう
中で最後まで良い結果を出しきろうとした人々の努力した姿は
伝承しないと行けませんよね。

たぶん明日の6月23日を過ぎるとヘンな左翼団体とか阿呆
マスコミは「日本軍がいた島では必ず住民自決が発生してますね〜」
とか得意げにシャア・シャアと立て板に水で喋る理由ですが
そういう人に限って勉強不足かワザと阿嘉島をスルーするのか
阿嘉島の実態には触れようといたしません。
逆に申し上げると日本軍が進駐もしてない
嘉比島でも

この慶良間諸島の阿嘉島の戦いについて詳しく知りたい方は
深沢 敬次郎氏の体験戦記である沖縄戦と海上特攻をお読みくださいませ。
また今年の3月に発売の
中村仁勇氏の沖縄・阿嘉島の戦闘―沖縄戦で最初に米軍が上陸した島の戦記も更に詳しく書かれおり、戦後も30年以上経過して
TV局の特集で野田隊長と
オズボーン氏らが
阿嘉島で再開した様子も詳しく記載
されてます。


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イメージ 3














まあ明日から沖繩慰霊祭、各地の夏の平和リレー、原爆慰霊祭や
終戦記念と慰霊祭イベント続きとなりますが、右の左のと言わず先ず
事実を知りたくなる私にとっても今年の夏は肌感覚で
蒸し暑くなるのが予見できますね。



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