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沖縄には仕事も含めると8回お邪魔してますが、何時も行こうと考えながら
行けてない場所がここ「海軍司令部壕」でした。
今回1月に初めて中に入り見学の機会を得ることができました。
沖縄戦では旧陸軍への沖縄県民の視線は厳しいものがあるようですが
海軍はあまり拠点から出て戦わず終焉の地となる南部にも撤退せず小禄飛行場
周辺の塹壕で戦って玉砕したことであまり県民を戦闘に捲き込まなかった事や
海軍側最高指揮官太田実中将の電文「沖縄県民斯ク戦ヘリ」が後に有名になった事
から陸軍の高級指揮官に比べると悪くは云われてないようです。
発 沖縄根拠地隊司令官(太田実 中将)
宛 海軍次官(多田武雄 中将)
沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を
失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。
県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことは
とてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。
沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関しては
ほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が
全員残らず防衛のための召集に進んで応募した。残された老人・子供・女性は頼る者が
なくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれて
しまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に
避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝さらされながら窮乏した生活に甘んじ続けている。
しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。
どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女性は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。
看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。
さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。
つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。
食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。
沖縄県民はこのように戦い抜いた。
県民に対し、後世、特別のご配慮をしていただくことを願う。
最後の一文の「県民に対し、後世、特別のご配慮をしていただくことを願う。」
に関しましては国は本土復帰後の沖縄に多数のお金を使ったとも思えますし、
逆に未だ何で沖縄にばかり米軍基地があるの?
という方も多く、結論は出そうにありませんが太田中将以下1万人以上の
海軍陸戦隊、水上特攻出撃を敢行した大和や特攻部隊の崇高かつ多くの犠牲
があったことも日本人として忘れてはならないでしょう。
そういう意味で社会の教科書に1ページ割いて「沖縄県民斯ク戦ヘリ」を
全文載せるべきでしょう。
とまあ色々な事を考えながら長いトンネルのようなスコップの跡がや爆発
・銃弾痕がのこる残る壕内の見学を終えたのでありました。
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