涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

◎20世紀の虐殺・戦時犯罪 目次

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トルコ人によるアルメニア人虐殺(犠牲者60万〜150万人)は20世紀初頭
に起こった世界史的な大量虐殺事件である。
一般には民族浄化とは旧ユーゴスラビア紛争で1990年代より有名になった言葉
であるが20世紀初頭に行なわれたアルメニア人大虐殺が近代での民族浄化の先駆け
となっているように思われる。

「ひばり農園」というアルメニア人虐殺を題材とした映画

虐殺


アルメニア人はコーカソイド(白色人種系)の系列人種で、トルコ、シリア、パレスチナ、
中東に分布している。
インドヨーロッパ語族に属するアルメニア語を話し、独自の文字をもつ。
おもな宗教はキリスト教の東方教会に属するアルメニア正教会。
古くから独立国家をもち、キリスト教を国教とした。
東ローマ帝国当時は帝国内でギリシャ人につぐ主要な民族として君臨した。
現在、ソビエト連邦から独立したアルメニア共和国と欧米に形成されているアルメニア人
離散共同体があり、ユダヤ人に似た歴史、迫害を経験してきている。  

オスマン帝国は1890年代にも領内のアルメニア人の迫害虐殺(約10万人)を行ったが、
その中途半端さからか、その後10年以上にわたり「アルメニア人問題」の解決?への
「民族浄化」準備の研究が行われていたらしい。
第一次世界大戦中の1915年オスマン帝国は英国、ロシア帝国と交戦、ロシア国境付近
(トルコの東部)に住んでいた全アルメニア人を他の場所に強制移住の名目で移動させその
多くを移動の途中の砂浜や砂漠において小銃等で殺害した。
虐殺理由はアルメニア人は東方キリスト教徒が多くロシア帝国側につく者がいたからである。
アルバニア人側からすれば1890年代の虐殺の記憶も残り心理的にはロシア側に
つきたくなるのが当然と思われるのであるが。
この2回目の大量虐殺でオスマン帝国領土(トルコ)からキリスト教系アルメニア人は
1922年にはほぼ姿を消してて現在に至っている。


第一次世界大戦ではアルメニア人、第二次世界大戦ではユダヤ人がホロコースト(大量虐殺)
の犠牲になったとも言える。

現在トルコ共和国は「あくまで戦時下の強制移住によって結果的に大量のアルメニア人が
死亡してしまったとしており他にも第一次世界大戦や建国中にアルメニア人以外にも犠牲者が出た。 
共和国移行後は青年トルコ党の一部が虐殺を行ったが国家意思は無かった。」としている。

対するアルメニア人社会では
「虐殺がナチス・ドイツによるユダヤ人に対するホロコーストのように組織的に行われた。」
と考えられており、またオスマン帝国からトルコ共和国に至る「トルコ人国家」
が一貫した責任を有するとしている。

アルメニア人の大量虐殺は20世紀に行われた最も成功した民族浄化(大量虐殺)とも評された。
国内の違う言語・宗教の民族を数十万から百万人も殲滅したわけであるから実施した
トルコ共和国側からみれば非難はあっても「行う価値のある虐殺」であったかもしれない。
後年ドイツのヒトラーは「世界の誰が1915年のアルメニア人虐殺を覚えているだろうか?」
と語っておりユダヤ人ホロコーストへとも繋がる大きな参考となる成功?事例となったようだ。

オスマン帝国は第一次世界大戦で敗戦、セーブル条約に基き、1920年生き残った
アルメニア人らはは独立を宣言し失地回復に向けトルコに闘いをのぞんだが「闘い」
というより再度の「虐殺」という結果になりソ連(ボルシェビキ)や周辺のイスラム
教徒からも挟撃されアルバニア人の夢も土地も消滅した。
当時アルメニア人を虐殺したのはオスマン帝国(トルコ)だけで殺害60万、ソ連側の共産主義者
や周辺ののイスラム教徒(ムスリム)からも殺害50万以上虐殺との説もある。

トルコは第一次世界大戦では同盟国側として参戦し敗北したにも関わらず歴史的アルメニア地区、
クルド人独立予定地区を奪取し領土は拡大した。
つまりトルコにとってはアルメニア人の殲滅は成功した国家政策とも言えるのではなかろうか。

日本や米国ではアルメニア人大虐殺は大きな問題とならないが欧州では、90年以上前の
トルコの犯した罪と無反省さを理由にEUへの加盟に反対する国、や団体も多い。
欧州にはフランスだけでもアルメニア系国民が50万人存在する。
2007年10月には、米国にも飛び火し、アメリカ合衆国下院外交委員会が、
20世紀の初頭におきたこの問題に関して、非難決議案を採択した。
このことを受けて、トルコの国務相がアメリカ合衆国への訪問を中止したり、トルコは
アメリカ駐在大使を一時本国に召還するなど両国の関係が悪化しつつある。

トルコは第一次世界大戦後、連合国に強制されてアルメニア人虐殺の調査?にのりだしたが
数年で調査をやめており、現在でもアルメニア人達には謝罪していない。
トルコ国内でマスコミや政治家はおろか一般人でもこの事件の「非はトルコ側に在る」
と発言すれば地位、生活の保証は無いようだ。
尚1970年代に組織されたアルメニア解放秘密軍はトルコ外交官暗殺、空港襲撃
といったテロを繰り返し40人以上を殺害したが現在は沈静化、解散しているらしい。


例えば日本では、日本人に南京虐殺はあったかと聞くと
「在った」「少しはあった」「無かった」「知らない」に別れるであろう。
日本人の政治家や外務省の困った点は今に生きる当の本人が自分が虐殺に参加したわけ
でもないのに他国が謝罪せよと文句を付けると深く考えずにその場を納めようとして
相手に簡単に謝ろうとする事だ。
自分の乗っている船(国)を「この船(国)が悪かったです。。。」と言って壊してゆけば、
いずれ自分や子孫が沈んでゆくことを自覚しているのだろうか。
日本の外務省や政治家はある意味トルコの政治家を見習って欲しいとも思うのである。
(ついでに書けば日本は近代史の中で、当時の世界の国々と比較しても
 世界に恥じるべき大罪は犯していないと私は考えるている)
国際的な宣伝工作に失敗すると、本当にあった虐殺さえ忘れ去られてしまうし、
逆に国際宣伝戦さえ上手く戦えれば無かった虐殺事件を作り出すことも出来るし
小規模の虐殺を大虐殺と世界にアピールすらできるだろう。
何をいいたいかといえば国際宣伝に日本は戦前も戦後の今も負け続けている事だ。


日本が戦争に負けたからといって当時植民地で独立もしていなかった地域の住民
(現在は国家・国民だが)にたいして日本本国から持ち込んだ資金で経済発展のインフラを
築きながらも、戦後は海外民間資産も無償で獲られ、戦後賠償まで行い、相手の要求に対し
謝罪した国は世界広しといえども日本国家くらいであろう。

トルコではアルメニア人虐殺事件への「トルコ政府の関与は無かった」で国論は一貫しているのである。
私は日本人全員が「南京虐殺」で申しわけないと思うべきとか逆に謝罪の必要性は無いとか主張
するのではない。
何でも自分達日本人は悪い、全く悪くない、何も知らないという多頭化の図式が嫌いなのである。
60年以上前に例え日本人の一部が悪い行いを行なったからと相手が怒ればその場を丸く納めようと
して現在の日本人が謝る姿勢を嫌悪するのである。
(でも日本はトルコと異なり南京虐殺は事実と公の場で主張しても自由は保障されている国だ。)
結局、深く考えず、当時の歴史や事実を知ろうともしないから「相手が怒っているので頭を下げよう」
というその場その場での調和を重んじ謝罪の結果、相手国が更につけあがりエスカレートしていく。

話をアルメニア人虐殺に戻す。
他民族国家で知られていたオスマン帝国が解体される時、青年トルコ党、革命者ケマルらは
トルコをトルコ人の単一民族国家に仕立てようと敗戦革命を画策し行動し一応の成功
(領土拡張、国内敵対民族の殲滅浄化)をみた。
又、トルコ国内では現在でも他にもクルド人問題等もあり「アルメニア人虐殺」を認め難い状況に
ある事は理解できるのだが今後も続く欧州や世界とのつきあいの中で「虐殺を否定」するばかりで
はいくら西洋化をめざしても最終目的であるEU入りの実現は遠いよう夢のように思えてくる。
しかしアルメニア人虐殺問題はアルメニア人社会や欧州から反発はあるものの現時点で
一応解決済みの事件となりつつあるので20世紀において一番成功した民族浄化の悪例と捉えられ、
その後のナチスによるユダヤ人虐殺、ユーゴ、東欧の紛争や民族浄化の原型(金型)になって
しまったように思えるのである。

又、虐殺で注目すべき点はオスマン帝国もナチス第三帝国も敗勢が濃くなってから虐殺を
加速している事である。
戦争で勝利を確信できなくなりつつあっても副次目的である領土内の敵対民族を虐殺する事に
より戦後(敗戦後)の単一民族による出直しを図ろうと企画したのであろうか。
敗勢側の権力の廻りにはは最近話題となりつつある敗戦革命をも夢見ている者達が
巣くっていたのだろうか。

以下サイトに写真がありますが自己責任で閲覧いただきたい。
http://bibleprobe.com/christianmartyrs-armenia.htm

1945年8月の終戦時、潜水空母伊400等3隻を率いウルシー環礁攻撃に
向っていた潜水隊の司令有泉竜之介大佐は米軍の接収の際に伊401潜の艦内で自害した。
この当時残存していた多くの日本の軍艦が米軍に接収されたが多くの
日本の艦長や司令は自決してないが、有泉大佐には何か事情があったのだろうか?。

「太平洋無くしては独立も存立も叶わぬ日本である。
 苦難の中にも、将来の日本の再建と発展をこの太平洋で何時までも見守りたい。
 願わくは、一番大きな軍艦旗と共にこの太平洋の底深く。」

有泉大佐は軍艦旗を降ろし星条旗を掲げることを潔しとしなかったから自決したとの
ような戦記本での自決場面(心理描写)がでてくるが私は自決する動機として
は少し弱いのではないかと感じていた。 


私の有泉大佐自決に対する疑問の回答は2007年発行された平間洋一氏の
『第二次世界大戦と日独伊三国同盟―海軍とコミンテルンの視点から』
という学術書に書かれていたので後述する。

日本海軍によるシナ事変や第二次世界大戦での戦時犯罪は重慶爆撃等の都市爆撃
が有名で他に巡洋艦利根によるビハール号船員虐殺事件が知られている。
(以前のビハール号事件記事→ http://blogs.yahoo.co.jp/naomoe3/46679496.html )

しかし今でも表に出てこないが日本の潜水艦は日本海軍の隠れた汚点となる虐殺を
11件も行っておりその殺害された連合国死者の合計は800名以上にものぼる。

日本帝国海軍の潜水艦は第二次大戦での活躍は少なかったものの客船や輸送船は
狙わずに大型軍艦攻撃に執着し続け逆に日本潜水艦隊の犠牲が増えたとされている。
米潜水艦が日本の輸送船を集中攻撃し10万人以上の水没死者を出した
事と比較しても日本潜水艦は米英の軍艦攻撃一辺倒である意味人道的な戦争を
遂行していると戦時中も戦後も思われてきた。

私は日本潜水艦が沈めた客船や輸送船から泳いで逃げ惑う船員達を機銃で容赦なく
殺戮していたとはまともには信じられなかった。
なぜならば前の記事(1話)で書いたとおり日本人は自分らの意思では虐殺を企画しない
と考えるからである。

話は複雑になるが当時ドイツのUボートという潜水艦を多数建造し大戦中に
2800隻にも及ぶ連合国の輸送船を次々と沈めたが連合国側は1万隻以上の
輸送船を建造し米英間や米ソ間のシーレーンは盤石な体制であった。

ヒトラーは連合国の商船を沈めても新造船が短期間に撃沈数の数倍も進水するので
全ての輸送船を撃沈できないが撃沈のたびにその乗員を殺していけば訓練や習熟に
時間のかかる乗員数が不足するのではないかと思いつきドイツ潜水艦部隊に対し
「攻撃後、船員も射殺せよ!」との指令をだす。
しかしドイツ海軍潜水艦部隊の総責任者デーニッツ指令は総統命令であるにも関わらず
職責をかけて断固拒否し隷下の潜水艦部隊に虐殺命令は出さなかった。 
そのおかげか2800隻も沈めたドイツ潜水艦部隊の中から船員虐殺等で問題となった
事件は僅かに1件である。
米海軍でも1隻の潜水艦が日本船撃沈後の虐殺が1件知られているが。

同時期ヒトラーは外務省を通じて日本の大島大使に連合国船員の虐殺を日本にも要請していた。
大戦中日独間にはシベリア鉄道が利用できなくなり潜水艦での訪問を繰り返していたが
ドイツ側の科学技術導入を日本は受け入れるばかりで日本からドイツが興味を示す技術を
輸出することはできず(ドイツが興味を示す物が日本側に無い)ドイツ科学技術情報に
頼りきりとなっていた。
そのような空気が醸成されるなか、日本海軍はレーダー、ジェット機等科学技術を提供してくれる
ドイツに対して「何かで」貢献しなくてはならなかったのだが、それがインド洋での潜水艦作戦
となりヒトラーの希望も考慮した連合国海員の殺戮へと流れたようである。

日本海軍潜水艦部隊はインド洋を中心にドイツとの共同潜水艦作戦を昭和18年2月以降、
「撃沈後、乗組員の全滅を敢行する」作戦を展開、約1年半で100隻以上の輸送
船を撃沈するがそのうち11件もの船員殺戮を行ってしまったのである。

(日本海軍潜水艦は昭和18年インド洋において通商破壊戦に従事、ドイツからインド洋に
 派遣されたUボートと共に連合国輸送船を次々と沈めたがUボート艦長は沈めるだけで
 日本の潜水艦艦長は「撃沈後、乗組員の全滅を敢行する」作戦の事で心を痛めていたのである。
 ヒトラーの命令が廻りまわって受ける組織が異なると行為・結果も異なったのである。)

しかし現場の日本潜水艦部隊が何の逡巡も無くこのような違法虐殺行為を安易に行ったわけではない。
上からの強硬な指示に半年間以上も無言の抵抗を現場の艦長達は行ってはいたのでる。
(艦長の心理的にも抵抗があったろうし、虐殺のため浮上する事も潜水艦にはかなり危険であった。)
しかし半年後、良識の禁を破り初めて昭和18年12月に伊号8潜が英貨物船ディー・モラー号
の撃沈で乗船していた海員を殺戮しついに口火をきった。
その時の艦長こそが海軍大学を出て国際法にも明るく人望もある歴戦の有泉竜之介中佐(当時)
であった。
私は有泉中佐に口火を切るように海軍上層部から特別な指示(強い圧力)があったものと考える。
(尚、wikには有泉中佐の伊号8潜への着任は1944年1月となっている。
 43年11月時点で有泉中佐は参謀として伊号8潜に乗り込み虐殺を指示した可能性もある。)


その後6隻の日本潜水艦が昭和19年10月までに11件英国、オランダ、ギリシア、
米国の貨物船の乗員を殺戮、明らかな海戦法規違反事件をヒトラーへの義理たての為に
続けたのである。
昭和19年3月の巡洋艦利根によるビハール号船員虐殺事件も舞台はインド洋であるから
利根艦長への船員処分?指示も潜水艦部隊へと同目的の命令通達だったのしれない。

戦後、この事件は連合国により激しく追及されたのであるが海軍上層部の関係者が亡くなったり
実行者である潜水艦艦長も多くは有泉大佐のように亡くなっていたため海軍の生き残り総責任者
嶋田大将(元海軍大臣)に終身刑が言いわたされ他の幹部や生き残り艦長ら15名が有罪となった。
しかし水上部隊のビハール号事件で左近允提督が刑死したのに比べ、刑死者が潜水艦部隊から
でなかった事は日本や起訴者にとってはある意味幸いであった。
しかし日本帝国海軍はドイツから外務省経由で強い要請があったとしても全面的に受け入れて
よいはずもなく、ドイツを喜ばせようと受け入れた結果、帝国海軍の歴史上の隠れた
汚点となったのである。

これは日本海軍の悲しく、残念な汚点であるが、誰か上のものの中に
「高貴ある日本海軍としてこのような海戦法規に触れる作戦は人道上、認可できない。」
と一言発言できなかったのだろうか?
誠に残念ながら帝国海軍上層部にデーニッツのような見識者は存在しなかったのである。
いきなり日本の「美しくない」話となってしまったが米軍はもっと残酷な行為を
太平洋戦争で行っている。

日本人は所属組織の上部からの命令指示に弱いという事と、廻りの者がやり出せば違法行為も
安易に自身も加担しても逡巡しないという風潮が現在も残っているように思えるのである。

実は私は若い頃から日本海軍ファンである。
日本海軍には現場の指揮官や下士官。兵にまつわる美談にも事欠かない。
しかし、日本海軍を知れば知るほど上層部の戦中は怠惰で卑怯で戦後は隠蔽の巧い
今の外務省にも似た雰囲気を持っていた上部組織であった事を痛感するのである。

この話は海軍関係者からの戦記本には殆んどでてこない話題であり、私も今後の日本国に
不利になるようであれば記事にしない方がいいかもと逡巡?したが
外国ではそこそ知られている事でもあり、日本人組織の行なった戦時犯罪の一事件の一例として
本記事にする。

私は 先の1話で近代まで日本は大虐殺と無縁だったと書いたが昭和の前半日本人、
又は日本国がどう転落していったのか? 
それとも世界中がそのような弱肉強食の時代の趨勢で日本だけが悪くはなかったのか?
という対比する部分も今後、余裕があれば考えてみたい。
3話 以降は世界中でおこった20世紀の虐殺を私なりに書いてみる。
もちろん日本の組織が犯した虐殺にもふれる予定である。

2009年1月14日以下追記↓

米潜独潜の犯した戦時犯罪のそれぞれ1件づつであるが・
ちなみに米潜水艦の犯した事件は1943年1月米潜ワフーが武洋丸を撃沈、
艦長の個人判断で漂流中の日本人船員等250名を虐殺。 
事件後艦長はよくやったと勲章を授与されている。
艦長はは「日本人に対する人種偏見と生かせておくと連合軍側の誰かが
殺される。」と弁明した。
私はこれ以外にも米潜による日本人船員の殺傷あると考えるが証拠や記録は無い。
ドイツのUボートU852は撃沈後、自艦の位置が暴露されるのを避ける為に艦長
の判断で虐殺。
こちらは戦後、艦長と砲術長は処刑されている。

米、独では艦長個人の判断での戦時犯罪となるが日本の場合、海軍上部から
「口頭命令」を出していた点で違いがでてくる。
日本の艦長個人の判断で行なわれたわけではない事に留意する必要は感じる。
日本は古代より群島国家で国家成立も5世紀?と早く長い歴史を持つが
内乱や国内戦争はあったものの政治家や宗教権力者による
民衆虐殺が非常に少なかった点は世界に誇れる部分である。

近代以前の日本での虐殺と言えば16世紀の織田信長による一向宗攻め、17世紀の
徳川政権初期 のキリスト教徒弾圧があったくらいではなかろうか。
島原の乱は宗教戦争というより一揆勢が「一神教」を楯に近隣住民を原城に
押し込み篭城させた為、宗教戦争のような匂いを醸しだしはしたもののその後、
鎖国政策が功を奏し日本は世界一泰平な世が200年続いた。

19世紀までの国内戦争でも一方の軍が1会戦で1万人を越すような戦死者はでていない。
天草の乱も一揆側3万人が殺戮されたと伝えられるが西国の幕府側として参加した大名家の
家中文書は老人子供女は見逃したとの記述も多く一揆側の成人男子の死亡に
限れば5.6千人の規模ではなかったかと推測する。
16世紀、対外戦となった文禄慶長(朝鮮)の役では朝鮮人の耳や鼻を削いで耳塚を
造った等の伝承もあるが朝鮮や大陸ではそれ以前から度々民族抹殺のような事が
度々国内権力者によって行われており元寇時に元・高麗軍が対馬や壱岐、平戸で行った
島民殺戮に比べても残虐さでは迫力不足は否めない。


日本という国は2千年もの間、権力者や圧政者による民衆殺戮が殆ど無かったと
いう事は世界史の中でも特筆できる美点ではなかろうか。
神聖首長→大王→天皇→武人と政権奪取時に徹底破壊(虐殺)されないで
権力委譲が行われてきた。
平安時代初期など防人(国土防衛隊)制度を廃止し常備軍も廃止していた。
他国にみられるように宗教権威者に国政を任せず、宗教的混乱に陥らなかった
点も大きい。
私は日本人は神道も仏教も儒教も一神教等の宗教を大半の者が認めつつも
寛容さと自身が「信者」にならなかったと「無信仰」さは何故だろうと思うことがある。

叉アジアの多くに見られるが日本には奴隷がいなかったのが日本史の特徴だ。
日本人は植物の奴隷化(盆栽、箱庭、稲作)には成功するが動物の奴隷化には
今も昔も全く興味を示さなかった。
アジア諸国は狩猟民族の傾向が強いせいか動物の奴隷化をすすめ最終的には
人間の奴隷化(去勢した宦官、女性の纏足)にまで発展させる。
日本の権力者も宦官についての知識は得ていたが「人間の去勢」など下位者
に対して実行した者はいない。
奴隷とは植物でも動物でも人間でも「生物=いきもの」を「モノ=物質」
として見たてることであり強制的に酷使すれば「奴隷の使役」である。
現在の日本でも「賃金奴隷」「会社の奴隷」という言葉?は存在するが。。。
世界史的にみても欧米の先進国で奴隷がなくなるのは19世紀からである。

第一次世界大戦終了時、パリ講和条約で世界に先駆けて人種差別撤廃案を
国際連盟?に提出したのは何を隠そう日本であった。
この人種差別撤廃案はアジアの雄日本の主導で11対5で賛成多数となるが
議長国アメリカや世界に植民地を保有する英国の思惑がからみ否決、廃案となった。
人類史上初めての画期的な人種差別廃案を国際会議で日本が欧米に先駆けて
提唱した事はもっと知られなくてはいけない。
(もちろん当時の日本は海外への移民が多く移民者が差別されていた経緯がある。)

左翼や反日勢力がさかんに言う「今も昔も日本は虐待が好きな国」という
宣伝は、日本の歴史を眺めると全く根拠が無いのである。

しかし日本は昭和に入り人権を疎かにする国に転落していったように思えるのである。
このように私のこの書庫は左翼右翼(保守?)からも受容されない内容である。
(でも私は左右どちらでもない一般の人達に読んでもらいたいのが本音である。)
このように日本人は近代に入り昭和に入りどう変っていったのだろうか?
叉世界全体での近代の虐殺や戦時犯罪はどのような規模、残酷さはどの程度で
あったのだろうか。

私自身先週に書物でえた知見を恥かしげもなく本記事にしているようなていたらく
でありこの書庫は完結する自身もないがモチベーションが多少ともある内に
書きすすむことにする。

はじめに

はじめに

恐ろしいテーマですが虐殺・戦争犯罪の書庫を設けました。
興味のある方はあまりいないと思いますが今後の日本の行方
が気になる方は読まれてください。
私はこの書庫の記事で過去の虐殺の事例をあげつらい
日本は過去を反省すべき国なのか日本は残虐な国だったのか
を勉強してみたいと思います。(尚、政治色はありません。)


まず大まかな定義ですがこまかく書くと大変なので三省堂提供「大辞林 第二版」
で引くと以下のように記載されています。

虐殺とは   むごい方法で殺すこと。
戦時犯罪とは 交戦法規に違反する行為。降伏者の殺傷、禁止兵器の使用など。戦争犯罪


昔の方が残虐で現在は残虐行為は減ったという方もいるようですが
実際にはどうなのでしょうか?
欧米人は上品でアジア、アフリカ人が野蛮なのでしょうか。
戦争と大量虐殺の死亡者はどちらが多いのでしょうか。
(私は大量虐殺の方が多いと確信してます)
今後このような大量虐殺、戦時犯罪は無くなったり減るのでしょうか。
私達は大量虐殺、戦時犯罪にまき込まれぬようどう考えるべきでしょうか。
今このような事を考えていますが先ず、どのような大量虐殺や戦時犯罪が
行なわれてきたか19世紀後半の事象を不定期的に抽出してみたいと思います。
21世紀こそ虐殺と戦争のない世紀を実現して欲しいと思います。
(21世紀はやくも9.11事件やムンバイ虐殺事件が発生していますが。)

尚、日本も大量虐殺・戦時犯罪をおこしていますが世界史的にみてどの程度の
規模、残虐ぶりだったとのか、日本人だけが際だっていたのか、日本人だけが
今後も「反省謝罪」しないといけないのか?という部分も勉強してみたいと思います。
現在の私の考えとして「規模」で較べると日本人が加害側となった虐殺や戦時犯罪は
不遜な表現ですが「小規模」で共産主義や全体主義により行なわれた20世紀の
虐殺者数1億人には二桁以上も遠く及びもしません。

一部私の推測や勉強不足で拙い(問題表現)もあるかと思いますが皆様のコメントや
批判等をを含む指摘で補則していだけると助かります。

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