涅槃までの14万歩!ハッピーリタイアできない100kmウォーカー

2017年11月にタイトル変更・・・中身は変わりません。 ぷらっとして行ってください。

【 日本 人物伝 】

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

唐突ですが沖縄戦当時の第27代沖縄知事である島田叡(あきら)をご存知でしょうか?
戦前・戦中は地方自治という言葉も聞かれず全国の県知事は地元の
選挙ではなく内務省が官選で知事を任命してました。

沖縄からも本土や台湾に疎開が始まったり那覇市が米軍に初空襲を受けたりと
昭和19年(1944年)秋の沖縄本当は平穏な島から火薬臭い戦場へと移り変わ
りつつある時期でした。
陸軍や内務省は可能な限り予定戦場の沖縄中・南部から沖縄北部や本土に県民を疎開しようと努力してましたが遅遅として進展しませんでした。
(それでも20万人近くが疎開しています。)
その責任をあえて追求し、犯人探しに行き着けば当時の第26代沖縄知事泉守紀氏の怠慢と泉知事の陸軍嫌いに辿り着くようです。

泉知事は昭和18年7月に沖縄に赴任、県民や県職員とも陸軍とも協調関係を築けず、自分には甘く部下や周りに厳しく接するようなインテリで昭和19年になり米軍上陸の確率が高まると色々な手を使って沖縄から逃げ出そうと画策します。
沖縄に赴任した1年半の間の3分の一にあたる半年は出張などで東京などで過ごしてました。
そして昭和20年1月内務省という組織を動かして自身は危険な沖縄から逃げ出し香川県知事に横滑りします。

イメージ 1


内務省は泉氏の抜けた沖縄知事の職、大阪府内務部長を務めていた島田叡に打診します。
内務省は生きて帰れない沖縄知事の昭和20年1月といえば後2ヵ月半で
米軍が沖縄に上陸してきます。
家族も友人も皆島田の沖縄行(沖縄県知事赴任)に大反対します。

しかし打診を受けた島田は一発返事で打診を諒承し
周囲の反対者たちには
「誰かが、どうしても行かなならんとあれば、
 言われた俺が断るわけにはいかんやないか。
 俺は死にたくないから、誰か代わりに行って
 死んでくれ、とは言えん。」
とつげ昭和20年1月末に沖縄に飛びたちました。
島田氏も断固拒否すれば沖縄行きは免れたかもしれませんし
この時、島田氏以外にも沖縄行きを打診されていた内務官僚も
いたかもしれません。

沖縄に赴任した嶋田知事は前任者との違いを鮮明にし陸軍との関係も改善し、
県民の沖縄本島北部への疎開も急ピッチで行い、防空壕や避難所をつくり、
北部の糧食がたりなとわかれば陸軍とも交渉し、それでも足りないと2月は台湾にも飛び米3千石を緊急輸送するなど縦横に活躍し県民からも期待が寄せられたのでした。

昭和20年4月1日以降米軍が上陸し本島で戦いがはじまると島田知事は慣れ親ししむ間もない県庁からでて防空壕を次々と移りながらも軍や職員と協力して行政組織を維持し執務も行います。

実は沖縄戦は5月に入り首里戦線で日本軍が全滅するか、南部に撤退して戦いを延長するかで大きく揉めました。
(史実では軍は南部に転進し南部に追い込まれた軍民は時間稼ぎとは裏腹に
米軍の徹底攻撃を受け犠牲者を増やしてしまう結果となりますが)
この大事な時点での作戦会議に島田知事も出席し堂々と知事(行政官)としての立場を述べます。
「南部には多くの住民が避難しており、住民が巻き添えになる。」
「軍が武器弾薬もあり装備も整った首里で玉砕せずに摩文仁に撤退し、
住民を道連れにするのは愚策である。」
島田知事の正々堂々の意見にも関わらず、軍は本土決戦への時間潰しを優先し南部に転進(撤退)が決まり島田も少なくなった職員と共に南部の地に撤退しますがこのころから(6月)何処をどう動いたか記録もあまりみつかりません。
6月9日に島田に同行した県の職員、警察官に対し、
「どうか命を永らえて欲しい。」と訓示し、県及び警察組織の解散を命じました。
その後、島田知事は荒井警察部長とともに行動を共にしていたようですが6月26日以後消息はわかっていません。(沖縄軍の総司令官牛島中将も6月23日自決)
米軍の銃火に倒れたのか自決・入水なのか未だにわかりませんし御遺骨
も見つかっておりません。


沖縄の日本軍が全滅したと思われる昭和20年7月、安部内務大臣は
国と沖縄県民のために命を投げ出した故島田叡に行政史上初の内務大臣賞詞と
顕功賞を贈り、
「其ノ志、
 其ノ行動、
 真ニ官吏ノ亀鑑ト謂フベシ」
と称えました。(↑阿久根市の職員の皆さんどう受けとめますか?)

内務大臣が一県知事に対し賞詞を授与することは、前例がなかったそうです。
この島田への顕功賞を戦後も長く生きた泉守紀はどう受けとめたのでしょうか?

磨文仁の丘に建つ島田知事をはじめ県職員453名の慰霊碑「島守の塔」が戦後
沖縄県民の浄財により建立されました。
毎年沖縄の高校野球夏の大会の優勝校には島田叡の名を冠し、最後の官選知事
島田叡に感謝の気持ちを表す「島田杯」が贈られています。
沖縄や本土の左翼人は戦前の日本の軍人や政治家・官僚を全て悪であったと攻撃します。
陸軍の牛島勇中将は今でも「戦前戦中の悪」と彼らから看做されています。
でも歴史を捏造する彼らでさえも今のところは「島田知事」の事を
ひと言も悪くは書けません。
頭の良い彼ら(左翼人)は島田の事を徹底的に無視スルーする事により歴史の表に
出さずに歴史地層に埋没させる「化石化戦略」を採用中のようです。
イメージ 2













私は島田知事はもっと知られるべきだと思います。
興味をもたれた方は田村洋三氏の「沖縄の島守-内務官僚かく戦えり」を読まれるとよいかと思います。
島田知事を支え行動を共にした荒井退造警察部長もとても立派な人物である事が理解できます。
組織のリーダーや長たる方が読んだからとて島田の真似ができるはずも
ありませんが「人のために働く人は美しい」という事を再確認できようかと
も思います。
日本の政治家は必読の書でしょうか。。。ね。カネですか?)










経歴はwikより丸コピーです。

檜 與平(ひのき よへい、1920年 - 1991年檜 与平)は、イメージ 3
 日本陸軍軍人
戦闘機操縦者(空中勤務者)。 最終階級は陸軍少佐

昔、高校生の頃、戦記本でも「空中戦」や「撃墜王」ものが好きでパイロットご本人が書かれた(ゴーストライターもいた?)と思われる本を良く読んでました。
(日本海軍のエース坂井三郎氏の空戦記は子供心に大袈裟だと感じてました。)


空戦記を読んでで面白いのは海軍モノより陸軍モノ空戦記でした。
太平洋戦争の後半は海軍機は良いことなく押されまくりますが陸軍機特に
戦闘機はビルマや中国、本土上空でしぶとく最後まで将校というか指揮官率先で
活躍健闘したような印象が残ります。
(実際は海軍機の方が戦果をあげてはいますが。。。)

陸軍にも数多くの撃墜王が現れましたが私が一番畏敬の念をいだく
陸軍パイロットは檜 與平少佐です。

「つばさの血戦 − かえらざる隼戦闘隊」という著書をご自分で表されてますが イメージ 4
この本は読みやすく読んで損はないというか読むほうの人も励まされる本です。

檜氏は有名な加藤隼戦闘隊(64戦隊)の幹部で軍神となった加藤隊長
亡き後もビルマで戦い続けます。
1943年夏、日本人で初めて米軍の高性能戦闘機P51マスタングA型を
愛機隼2型で撃墜しハミルトン大佐を捕虜にしています。

同年11月ビルマに現れた敵爆撃機を攻撃中、ハミルトン大佐の仇とばかり
後ろから近寄ったP51戦闘機により不意をつかれ被弾し負傷を負いますが
何とか機体も味方飛行場に着陸させますが敵の機銃弾で右足下腿部を切断
され内地に帰還し歩行用の義足をつけますが空中勤務は無理と判断されます。

普通ならこのあたりで退役とか傷痍軍人とか後方での地上勤務に従事するのでしょうが
檜氏は大空への復帰を諦めずに半年かけて必死でリハビリに励みます。
そのような檜氏に廻りの人たちもつき動かされ特殊な飛行機用の義足を提供したり
恐る恐る檜氏の飛行再訓練を認めたりしていきます。
訓練を終え地上に戻り飛行機から整備員達に降ろしてもらう時、檜氏の義足は
毎回血まみれだったそうです。

そして1年以上経過し檜氏は明野教導飛行師団の教官として大空に復帰しますが
未だ話は終わりません。
教官になったとはいえ、同僚の教官はおろか教わる学生も檜教官の乗る乗機とは
編隊を組もうとしなかったり遠ざかって飛んだといいます。
やはり義足なので細かなペダル操作が難しく檜氏の乗機と空中でぶつかる事を
恐れていたようです。
でもここでも負けず嫌いな檜氏は血みどろのようなリハビリを続けながら飛行訓練を
こなし廻りの一流の訓練教官からも認められついには第一線の実戦部隊の
飛行隊長に返り咲きます。

それでも廻りの一部のパイロットからは「檜氏の義足では空中戦は無理」とも
思われてたようです。
あと一月で終戦となる1945年(昭和20年)の7月に伊勢湾上空で本土空襲にきた檜氏の右足を
2年前に奪ったまさしく氏の宿敵であるマスタングP51D型の大編隊と遭遇します。

この当時は戦争中で武器特に飛行機の進歩は著しく檜氏の乗る愛機も
ビルマ戦当時の隼2型(最高時速536キロ)から新鋭機の五式戦(最高時速580キロ)
に機種変更してましたが対する米空軍の硫黄島から飛来したマスタングP51もビルマ戦当時の
イメージ 2
















A型(最高時速600キロ前後)からD型(最高速度703キロ)と驚異的に性能向上を
果たしB型以降は米陸軍というより第二次大戦での最高傑作との評判でした。
イメージ 1














五式戦(キ-100)でも性能はP51に完全に劣りますし、檜氏は先輩の黒江少佐からP51の
侮れない高性能を鹵獲機を使用した模擬空戦で熟知はしてましたが臆することなくもなく
果敢にかつベテランらしく冷静に戦闘を挑みました。
しかし2年ぶりとなるいきなりの空中戦で檜少佐はP51D型十数機に包囲され苦戦に陥りますが
敵の射撃を避けつつも一瞬の隙をつき反撃に転じ、ベンボウ大尉機のP51D型を本土上空で
撃墜します。
此頃の日本陸海軍のパイロットは五体満足な者でもP51を恐れ本土決戦間近なためか
燃料の浪費する空中戦を控える時期でしたが、檜少佐の敵機撃墜は素晴らしい戦果であろうと思います。
奇跡というか偶然か?必然か?は判然としませんが氏は自分の右足を奪った同一品番の敵機
を終戦間際に片足による操縦で撃ち落とし、落とし前をつける凱歌をあげたのです。

現在、檜氏が当時使用していた義足は航空自衛隊入間基地内に展示されてるそうです。

人間どんな境遇にあっても諦めず前向きに明るく生きる事の大切さを檜氏は
自身の戦いを通じて戦後の私たち日本人にも教えてくれてるように思えます。

敵との空中戦における一瞬の戦いのために、しかも死が確実に待つ、空の戦場に舞い
戻るために檜氏は2年以上も自分自身の心と対峙し戦い続け自分自身に打ち勝ち恐怖の
空の戦場に舞い戻ったその勇気を、現在の平和な時代とはいえ日本人各自は日本人の
誇りとして見習うべき点もあるのではないでしょうか?。
(これは反戦とか軍国主義とかは関係ありません、氏は日本国家に責務を果たすべく
自身の執念で大空に復帰したのだと思います。)

今でもこのようなリハビリに励む方は多いと思います。


生前の檜氏のインタビューです。 心して拝聴しませんか。
元軍人さんとは思えない朗らかさと明るさです。













NHKの「坂の上の雲」でモッくんが演じている日本海開戦での勝利の立役者
の一人である秋山真之参謀(当時は中佐)なんですが、日露戦争が終わると
かなり悲惨な晩年なんですね。

日本海海戦の当時の年齢37歳、その後中将まで昇進し49歳の若さで
没するんですが秋山真之の晩年はどの伝記でも戦史本でもサラッと走馬灯の
ように駆け巡って若くして亡くなったという表現や描写が多いですね。

秋山参謀は若い頃から不潔で少し変人っぽく奇行も多く行儀も悪かったのですが
(ですからモッくんはミスキャストですね。)
日露戦争当時はあらゆる合理性を求めて戦争に勝つことに没頭しました。
「何所へ行って見ても、半歳か一年経つ中に、
自分の方が偉く思われて来て仕方がない。」
秋山参謀は基本的には↑のような唯我独尊の考えの持ち主のようでした。

でも戦後は何を思い何を追い求めたのかドンドン変わっていきます。
神秘主義や宗教にのめり込むんですね。
頭がイイので最初は宗教や宗教人よりも「自分が偉い!」と
勘違いというか軽く考えたのかしれません。

この当時天才と言われた人もたしかに変人が多いようでした。
天才発明家エジソンは子供時代に池で溺れ死んだ親友を助けずに、ずっと見ていたし、
晩年に一番凝って研究したのは「死後の世界とも話せる電話」だったそうです。
シャーロック・ホームズで有名な作家コナン・ドイルも死後の世界や異界にずっと
憧れを抱いてました。

秋山真之の場合は日露戦後は科学よりも霊力に強く関心をしめしキリスト教、神道、仏教、
大本教と外側から色々な宗教を探りますが今ひとつ宗教の胡散臭さも感じたのか
皆正式には入信してないととの噂もあるそうですが宗教オタクというかマニアだったのは
確かなようです。
最後は宗教にハマり通常の業務にも支障をきたしたとか最後は狂人同様だったとの話も出てきます。
後輩の海軍軍人の多くを誘って大本教に入信させ、その後の出口王仁三郎と日本海軍の
関係を強めた人物とも噂されるんですね。

オウム真理教の信者じゃありませんがその宗教教団から抜けても
また何か他の宗教を探して接近し虜(とりこ)となるパターンですね。

致命的なのは化学合理性を重んじた日本海軍の参謀経験者であるにも
関わらず自身の病気「盲腸炎」の手術を断り続け、たぶん手術すれば
助かる確率が高かったと思われるものの、何を考えたか宗教の力というか
祈祷で治そうとして・・・もちろん治らずに49歳でなくなります。

秋山の賢さを真似た後輩となる昭和期の海軍大学を出た佐官クラスの参謀達も
日米戦争の後半となるや正気な理性の持ち主なはずなのに
「天佑を確信し・・・」
「断じて敢行すれば鬼神もこれを避く・・・」
とか神がかって精神万能主義に傾倒してしまうのですけどね。。。



全1ページ

[1]


.
naomoe3
naomoe3
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

アル(歩)中症候群者 リスト

yahooブログ

不定期訪問先

情報源

レフティ

人類は麺類

名店公式ブログ

登録されていません

食べ物

沖縄いろいろ

右側通行

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事